ホームへ  目次へ  掲示板へ  


本坂越(姫街道)独歩記

ほんざかごえ(ひめかいどう)ひとりあるき


姫街道と池田近道の案内板


今年の5月から8月にかけて東海道の宮の宿から中山道の垂井の宿まで、14里24町の美濃路を歩いた。この時、何も有名な5街道でなくても、身近な所にも昔の街道の良さが残っていることを認識させられた。そこで次の挑戦は身近にあって未だ歩いていない東海道の迂回路、本坂越(姫街道)と決めて良い時候が来るのを待った。いろんな行事や用事が一段落したところで今日の日の決行となった。

本坂越とは


この本坂越は東海道の迂回路である。@東海道の新居の関所の厳しい取締りを避けるため、A舞阪と新居の間の船渡し(海上一里の渡し)を嫌ったため、B浜名湖の海への切れ目の今切の名を不吉としたため等から、浜名湖の北にある気賀の関所を通り、三ケ日から遠州と三河の国境にある本坂峠を越え、嵩山から御油に至るコースを辿っている。江戸時代は本坂越や本坂通と呼ばれていたが、婦女子の通行が多かったことから街道筋の人が姫街道と呼び、これが明治以降に一般化され姫街道と呼ぶようになった。

東海道から本坂越へと向かうのに三つのルートがある。その一つは、これから歩こうとしている見付宿の追分からのルート。もう一つは天竜川を渡った先の安間の萱場(かやんば)から向かうルート、後の一つは浜松城の南、浜松宿の連尺町から向かうルートである。見付から、萱場から、浜松からの三つのルートが、市野で二つになり、三方ヶ原で一つになり気賀へと向かう訳である。

見付から池田を通って市野へと向かうルートは本坂越や姫街道と言うより「池田の近道」と呼ばれた。それは東海道が見附から中泉代官所の方へ南下し、さらに豊田町森下付近から池田の渡船場まで北上する遠回りの道であったため、見附宿からまっすぐ西に出て一言坂を通り、池田渡船場まで斜めに直線に行ける道が1里も近く、そのため「池田の近道」とも呼ばれて、多くの旅人に利用された。しかしこの道は徒歩でしか行けない道で、旅人往来御禁制ではあった。



今回も見どころとして写真に撮ってきた所を青色の「 」でくくった見出しとし、それに説明を付ける形で紀行を纏めました。貴方が本坂越(姫街道)を歩かれる時の参考にして頂ければ幸いです。

ページ公開 平成16年11月19日
ページ改良 平成23年4月30日



ホームへ  目次へ  掲示板へ