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飯田街道独歩記

いいだかいどうひとりあるき



飯田街道ウォーク その1

 
平成18年4月1日(土) <その1>



2月4日に佐屋街道を歩き終えてから、その後は北海道へ雪を見に行ったり、山中温泉へ行ったり、ボランティアの行事が続いたりして結構忙しい日を過ごした。

市民大学講座も、今受けているもの全てが年度末で終わり、忙しい後の物足りなさから、早く歩きに出たいとの衝動に駆られた。何処にするか道中の足の便の事を考えるより、とにかく歩き出そうと言うことで、飯田街道を歩く事にした。先ずは足助までを目標にして、その先は後でゆっくり考える事にした。

家内に駅まで送ってもらって、久し振りの街道歩き。9時27分に名古屋着。名古屋駅ビルから地上に出て駅前を歩く。意外な場所に桜が咲いていて、ツインタワーと重ねて見ると近代的な絵になる。駅前から西に延びる桜通を堀川の桜橋まで行き、右に折れて伝馬橋へ。ここを飯田街道へのスタート地点と決めた。

飯田街道とは

尾張から三河山間部をぬけて信州伊那谷へ通じる道は、名古屋方面からは「伊那街道」、飯田方面からは「三州街道」と呼ばれていた。この道は、塩の道から中馬の道へと発展して、塩や塩乾物などを信州へ運び、信州の物産を足助へ運んだ。善光寺詣でや伊勢参りの人々もこの街道を往来した。

名古屋からの飯田街道は足助で岡崎から来た足助街道(七里街道)と合流し、根羽で吉田から来た三州街道と合流し飯田へ向かい、飯田から先は塩尻、松本、大町を通って糸魚川の日本海へと続いてゆく。現在の飯田街道は国道153号線で名古屋から八事まではほぼ昔の道を通るが、その先植田から大きく離れ旧道は県道56号線、58号線となり、豊田市平戸橋で合流し再び国道153号線となって足助へと向かう。



伝馬橋から塩付通へ

「名駅ツインタワーと桜」
名古屋の駅を降りると、通常は地下街を通って移動するのだが、今日は街道歩きの日と言うことで、地上へ出る事にした。駅ビルから横断歩道を歩いて渡り大名古屋ビルの前の桜通へ。その歩道に一本の桜が咲いており、振り向くとセントラルタワーズの二本ののっぽビルが見え、実にモダンな絵になった。

名駅ツインタワーと桜


「四間道」
駅前のオフィス街を西へと向かう。名古屋高速都心環状線をくぐり国際センタービルを過ぎると、やがて左に四間道と呼ばれる古い名古屋の商業地に向かう道がある。ここの堀川沿いには蔵が建ち商家が軒を連ねていた。

四間道


「堀川桜橋から名駅方面」
やがて堀川の桜橋に至る。橋の両端、中央にはモニュメントの飾りがあるモダンな橋である。

堀川桜橋から名駅方面


「伝馬橋」
桜橋から一つ南の橋が伝馬橋で、この通が伝馬町通り。これから歩こうとしている飯田街道である。

伝馬橋


「伝馬橋から行く先を眺める」
伝馬橋から行く先を眺める。中規模のオフィスビルが並んでいるが、道幅が狭く、何となく街道であることを思わせる。

伝馬橋から行く先を眺める


「堀川」
伝馬橋の下が堀川。名古屋築城の際に用材を運ぶ為に開かれた運河である。この水の汚れが問題となり、水質浄化の動きが始まっているのは良い事だ。向こうに見えるのが先ほどの桜橋で、その先には名古屋城がある。

堀川


「伝馬橋東交差点」
伝馬橋を渡った交差点から先を望むと、テレビ塔が見える。あの辺りが今の名古屋の中心部で、繁華街が広がる。

伝馬橋東交差点


「取り残された民家」
歩き出すとやがて右手に一軒の木造の町屋がある。黒い漆喰壁の二階家で特にこれと言う事は無いが、こんなところに一軒だけぽつんと有るのが興味深い。

取り残された民家


「桜通伏見歩道橋から」
やがて国道19号線の伏見通りと交差する。しかし、ここでは横断する事が出来ず、一本左の桜通り交差点の歩道橋で渡る。渡った交差点の右角が日本銀行、そこに枝垂れ桜があり、歩道橋を覆うように花を咲かせている。春だな〜と感じる。

桜通伏見歩道橋から


「長者町繊維街」
日本銀行を左に見て、再び伝馬通りを行く。三本目に横切る道が長者町通りで、「長者町繊維街」の大きな看板が幾つか道を跨ぎ、集配の車が慌しく出入りする。

長者町繊維街


「テレビ塔を目指して」
テレビ塔がだいぶ近付いてきた。この辺りは錦3(きんさん)と呼ばれる繁華街。名古屋名物の違法駐車を防ぐため、交差点の四隅にはバリアのポールが立っている。如何にも名古屋らしい風景である。

テレビ塔を目指して


「テレビ塔」
テレビ塔の真下に来た。ここが久屋大通公園、セントラルパーク。街の中だが緑がいっぱいある。

テレビ塔


「東桜」
久屋大通を信号で渡り、左手の真新しいビルを横に見て一筋歩くと、その交差点から先の道がやや斜め右に進むようになる。ここが東桜、旧駿河町で、飯田街道の起点とも言われる所。

東桜


「町中に残った黒塀の屋敷」
やや斜めになった道、飯田街道を西に向かって歩き出す。一筋目を左に入ったところ、冨士中学の向かいに、黒板塀に囲まれ見越しの松のあるお屋敷がある。ビルの谷間に埋没したような空間であるが、街道歩きのスタートには嬉しい風景である。

町中に残った黒塀の屋敷


「冨士神社」
そのまま街道を左にそれ、冨士中学の先、桜通に面したところに冨士神社がある。かつては大きな神域だったが名古屋城築城に際し普請小屋が建てられたため、縮小移転されたが、再び元の位置に戻ったという。祭神は木花咲耶姫命

冨士神社


「境内の築城石」
この地から大きな石が沢山出て、ここに普請小屋があった事が証明された。その石の中に□の印が付いた名古屋城築城の残石が見付かり境内に展示されている。

境内の築城石


「名古屋高速都心環状線をくぐる」
街道に戻り、冨士中学の前から袋町通を斜めに横切る。街路樹に赤い花が咲きケヤキの裸木の向こうに名古屋高速都市環状線が見える。環状線の通る道に出ると右には東海テレビやテレピアホールがある。このテレピアホール、現役の頃、ここでお得意先を招いて新作発表会を行った思い出がある。

名古屋高速都心環状線をくぐる


「ハクモクレンが咲いたビジネス街」
東新町出口の交差点で環状線をくぐり、再び右斜め、すなわち東南の方向に進む。この道の街路樹にはハクモクレンが植わっており、今は丁度白い花を咲かせている。

ハクモクレンが咲いたビジネス街


「西蓮寺」
街道の左側には浄土宗の西蓮寺がある。門には「花祭り」のポスターが貼られ、奥の正面には地蔵菩薩の石像が立ち、そばに枝垂桜が咲いている。

西蓮寺


「飯田街道の標識」
錦通東桜2交差点で錦通を斜めに横切る。その錦通に標識が立っており、その一番上に「飯田街道」その下に「新栄町」一番下に地図がありそれには「史跡散策路・街道巡りコース案内」とあった。
名古屋の中心部はほぼ東西と南北の通りで碁盤の目の様になっているが、この飯田街道だけが斜めに走り、どこの交差点でも斜めに横断するので、方向感覚がおかしくなりそう。

飯田街道の標識


「広小路を斜めに横断」
更に広小路通を斜めに横断するのだが、隣の広小路葵の交差点で西へ、南へと渡る。この広小路葵の交差点の北から来て一つ南の交差点で曲り東南へと進むのが国道153号線である。

広小路を斜めに横断


「広小路葵交差点角のお寺の門」
広小路葵交差点の北西角に格子のようなお寺の門がある。それには浄土真宗本願寺派宗園寺とあり、門の脇の桜が見事に咲いている。

広小路葵交差点角のお寺の門


「広小路葵交差点歩道上の桜」
広小路葵交差点から少し南へ行った所、丁度飯田街道が斜めに交差している辺りの歩道上に枝垂桜が咲いていて、外国人の若者がその前で記念写真を撮っていた。

広小路葵交差点歩道上の枝垂桜


「飯田街道の標識」
街道は斜めに進む。新栄町バス停の向かいの結婚式場の前に「飯田街道」の標識が立っている。

飯田街道の標識


「普通の民家が珍しい」
新栄2の交差点を過ぎると左手コンビニの手前に木造二階のお店がある。飲食店でもしていたのか、この一軒だけが木造で回りと異質に見える。

普通の民家が珍しい


「JR中央線のガードをくぐる」
菊里町交差点を過ぎるとJR中央線のガード「飯田街道架道橋」になる。この上を「ワイドビューしなの」が通り過ぎて行った。

JR中央線のガードをくぐる


「古井ノ坂」
間も無く古井ノ坂バス停、この辺り名前の通やや上り坂になるのが、目で見た感じでは殆んど判らない。次の交差点に「古井ノ坂」の地名標識があり、やっとそれと分かる。

古井ノ坂


「若宮大通を渡る」
広い通りに出た。これが若宮大通、広い通りの中央下を掘割のようになって名古屋高速東山線が通っている。右手には吹上公園や年3回の骨董市を見に来る吹上ホールが見える。街道はこの道を斜めに横切り先へと続くが、国道153号線はここから若宮通りに入り西へ行って青柳町6から右に分かれ安田通りを旧道と並行するように進む。

若宮大通を渡る


「三体石仏」
若宮通りから右斜めに別れて進むと、すぐ右の覆屋の中に石仏が三体祀られている。

三体石仏


「昔ながらの通の様子」
この辺りからは街道の様子が変わり、昔懐かしい佇まいの家が並ぶようになる。

昔ながらの通りの様子


SHOPPING STREET 飯田街道」
阿由知通りを斜めに横断する。この角には大きな家電の量販店、地下鉄吹上駅の出口もある。渡った所から先へ伸びる街道の上に道を跨いでSHOPPING STREET 飯田街道」の看板が架かっている。

SHOPPING STREET 飯田街道


「お地蔵様」
小坂町の右手にコンクリートの祠に入ったお地蔵さんがある。このお地蔵さんには「左やごと道、右東海道・新四国道」と刻まれていて、飯田街道から塩付街道へ別れ道を示すお地蔵さんだったと思われる。

お地蔵様


「小さなお社」
その先すぐ、やはり右手に小さなお社がある。その前には常夜灯が立っている。このお宮さん名前が無いが、千種区今池にある高牟神社の分社とか。高牟神社の他伊勢神宮・熱田神宮・秋葉神社・津島神社が祀られ、この辺りの氏神様

小さなお社


「春岡通7」
次の信号交差点が春岡通7で、塩付通との交差点。塩付通は南北に通っている道で、南は星崎付近から北は瀬戸街道につながっている。塩付という名は、星崎付近の塩田で取れた塩を、足助を経て信州方面に運ばれたことに由来している。塩は馬によって運ばれたので、馬の安全を祈って、所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置され、その一部が今も残っている

春岡通7





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