二日目 9月29日(土)


望月宿での朝が来た。6時起床、7時朝食、8時にスタート。よほど寒いかと思い、長袖シャツにベストのスタイルになる。しかし昨日の方が風が冷たかった。お天気は上々。井出野屋旅館の女将さんの見送りを受けて、街道を間の宿茂田井に向けて出発する。





     望月


    中山道第二十五宿 望月宿


     所在地 長野県北佐久郡望月町
     最寄駅 JR長野新幹線佐久平駅
     本陣1、脇本陣1、旅籠9、総人口360、家数82
     芦田へ 1里8町(4.8q)


「大伴神社」
宿の左手丘の上にある。延喜式内社、景行天皇40年の奉斎、御牧七郷の総社、望月牧鎮守、本殿は延宝5年(1677)の建築で春日造り。境内には古い道祖神なども残っている。ここまでが望月の宿。

                大伴神社

「宿の外れより振り返る」
8時過ぎ、未だ街は眠っているようだ。





望月より芦田へ


「間の宿茂田井へ」
宿を出て新国道をくぐり青木坂を上る。旧国道と合流し老人ホーム、本牧小学校を過ぎ、武重歯科医院から下り。やがて茂田井宿方面の標柱で旧国道から分かれ右に入る。

                間の宿茂田井へ

「白壁の家」
間の宿茂田井に入ると、とたんに白壁が目に入る。白い土塀や土蔵が続き狭い道沿いに用水が流れ、街道時代の姿がそのまま残されている。

「武重本家酒造」
右手に大きな造り酒屋の叶屋(武重本家酒造)。門には杉の葉の玉、酒林が下がっている。豪農で慶応元年(1865)から酒造を始めた。建物は国の登録有形文化財となっている。

武重本家酒造


「通りから奥へ白壁が続く」
叶屋の右手、白壁は奥まで続き用水も流れている。

「若山牧水歌碑」
叶屋の向かい左手、用水の脇に若山牧水の歌碑。
牧水はここの銘酒「御園竹」を読み込んだ歌を詠み、ここも純米酒「牧水」を造っている。

「大澤酒造」
右手叶屋の隣に、もう一軒の造り酒屋蔦屋(大澤酒造)がある。地酒「大吉野」の蔵元。元禄2年(1689)から酒造りを始め、江戸時代には庄屋を務めたと言われる。屋敷内に「しなの山林美術館」と酒蔵を改造した「大澤酒造民俗資料館」とがある。

大澤酒造


「旧茂田井村高札場跡」
大澤酒造の土塀の端に高札場跡の解説板。

「馬頭観音と白壁の家」
街道の左手、白壁の屋敷の用水脇に大きな馬頭観音。この大きな家を作ったり維持してゆく財力は何処から来るのかと不思議になる。

                  馬頭観音と白壁の家

「茂田井宿一里塚跡」
茂田井の集落の西端にある短く急な石原坂を上ると左手に一里塚跡の解説板。ここを過ぎやがて国道と合流する。間も無く急に展望が開け、再び浅間が見えてくる。





     芦田


    中山道第二十六宿 芦田宿


     所在地 長野県北佐久郡立科町
     最寄駅 しなの鉄道小諸駅
     本陣1、脇本陣2、旅籠6、総人口326、家数80
     長久保へ 1里16町(5.7q)


「芦田宿入口の中居交差点」
芦田川を渡り、白樺湖へ向かう道を中居交差点で横切ると芦田の宿に入る。交差点脇には常夜灯型モニュメント、中山道芦田の宿の文字が嵌め込まれている。

「芦田宿の中心部」
役場入口信号を過ぎると道は左に曲がる。ここが桝形跡。役場への道は街道の雰囲気に整備されている。信号交差点より本陣方面を見る。

「芦田宿本陣土屋家」
間も無く右手に白壁門構えの旧本陣跡土屋家。土屋家は芦田宿の開祖で問屋も兼ねていた。

                 芦田宿本陣土屋家

「本陣の庭と建物」
本陣御殿の建物は寛政12年(1800)に再建されたもので、イチイの木を使った京風上段の間がある。

芦田宿本陣土屋家の庭と建物


「芦田宿脇本陣跡」
本陣の向かい駐車場の奥、住宅の前に芦田宿脇本陣の標柱。標柱の側面に脇本陣山浦家。

「元庄屋・脇本陣山浦家」
宿中央の信号左手先に元庄屋で脇本陣の山浦家。慶長から元和(1596〜1624)の頃の建築で、昔は板葺き石置き屋根だったという。

                 元庄屋脇本陣山浦家

「酢屋茂」
向かい、宿の右手に味噌醤油醸造の「酢屋茂」。

「金丸土屋旅館」
元庄屋の並びに金丸土屋旅館。ここは江戸期には「つちや」と言う旅籠であり、今も宿内唯一の旅館として営業している。二階には今も土屋の看板が下がっている。

金丸土屋旅館


「正明寺」
左手に正明寺、ここで宿は終わる。





芦田から長久保へ


「笠取峠への分岐の常夜灯」
正明寺の山門を過ぎ、やや左にカーブし、国道142号を横断する。すぐに右手へ上田道が分かれて行く。街道はこの先国道に平行した石畳の道となり笠取峠の松並木になる。この道の入口には真新しい常夜灯がある。

                 笠取峠への分岐の常夜灯

「松並木入口の道祖神」
松並木の始まる所に大きな道祖神、最近になって作られたもののようだ。

「松並木」
この松並木は慶長7年(1602)徳川幕府が小諸藩に命じ芦田から笠取峠の間に赤松を753本植えさせたもので、最近まではこの下をトラックが行き交っていたが、今は長さ1qにわたって遊歩道に整備され保護されている。昭和42年に立科町の文化財に、昭和49年に長野県の天然記念物の指定を受けた。平成5年、立科町のふるさと創生事業により中山道と松並木周辺が公園化された。

「休憩所の説明板など」
途中の休憩所には、和宮行列の銅版、笠取峠の茶屋、望月・芦田・長久保の浮世絵の石碑や解説板がある。

「領界石」
並木道が国道と交差する手前右手に領界石。従是東小諸領とある。

「松並木終わりの常夜灯と道祖神」
国道を横断し、松並木は国道の左手を行く。松並木が終わり国道と合流する所に、常夜灯と道祖神がある。

松並木と常夜灯と道祖神


「笠取峠の一里塚」
峠の頂上手前100mの所、右手の斜面に一里塚。一里塚の碑と解説板がある。

                 笠取峠の一里塚

「峠の頂上」
『30町上り』と言われた峠道の頂上。昔は小諸領と幕領の境で、今は佐久郡と小県郡の境になっている。

「笠取峠の大きな石碑」
峠を越えると今度は『22町下り』、右に現代版の峠の茶屋が有り、続いて笠取峠と記した巨大な石碑が横たわる

「松尾神社」
笠取峠の石碑のすぐ下で国道から右に分かれ、旧国道と何度かの旧道による近道を辿りながら峠を下る。下りた所が松尾神社。

「松尾神社の鳥居と橋」
神社の境内を横切り、橋を渡り鳥居をくぐると先の旧国道に合流する。鳥居の前には松尾神社の大きな石碑と日本第一酒造之祖神の碑がある。この旧国道を右へと進めば長久保宿の竪町になる。





     長久保


    中山道第二十七宿 長久保宿


     所在地 長野県小県郡長門町
     最寄駅 長野新幹線・しなの鉄道上田駅
     本陣1、脇本陣1、旅籠43、総人口721、家数187
     和田へ 2里(7.9q)


「竪町から宿中心を望む」
今の国道はカーブの連続であるが、旧道は笠取峠の頂上から長久保宿の桝形まで一直線に下っている。

「保存工事中の民家」
竪町のかかり、左手に解体修理中の民家。この様に保存するのも大変な仕事。

「長久保宿本陣石合家」
右手に本陣、名主、問屋をも兼ねていた石合家。表門と御殿が残されている。上段の間がある御殿奥座敷は17世紀後半の建築で、中山道最古の本陣建物と言われている。

長久保宿本陣石合家


「古久屋」
左手には宿場時代の庵看板が掛けられている古久屋。

「卯建のある釜鳴屋」
右手本陣の並びに卯建の上がった釜鳴屋。江戸時代初期から昭和の初めまで造り酒屋をして、宿役も務めていたと言われる家で、建物は享保16年(1731)以前の建築。現存する長野県最古の町屋。

卯建のある釜鳴屋


「ならや」
左手桝形近くに昔の旅籠屋らしい建物。出桁造りに連子格子、卯建の漆喰に屋号のならや。

                 ならや

「桝形の旅館浜田屋」
桝形の竪町側から横町を見る。左手角に木造三階建ての旅館浜田屋。

「桝形を横町から見る」
右竪町、左新町上田道。角には郷愁を誘う火の見櫓、半鐘が懸かっていて今も活躍している様子。

桝形を横町から見る


「横町の民家」
横町の左手京方桝形の近くに大きな建物。街道時代の面影が残っている。桝形で右折すぐに左折して旧国道に合流。宿を出る。





長久保から和田へ


「四泊の一里塚跡」
横町信号で国道142号と合流、長久保信号で国道152号と合流し、しばらく進むと右手に一里塚の解説板。ここから右へ農道を行く。集落の手前で再び国道に合流する。

「中山道これより和田の里碑」
和田・大門両峠道分岐点に大きな碑。

中山道これより和田の里碑


「大門川の落合橋を渡る」
碑には進まず、大門峠へ向かい初めての落合橋を渡る。

「依田川渡る」
続いて依田川を渡り先の国道に出る。橋の手前、松の根方に百万遍供養塔と庚申塔

「旧国道に石碑群」
大きな橋の手前信号で、国道から分かれ右に旧国道を進む。分かれてすぐの所に中山道の標識や解説板、石碑が集められている。

「藁葺き屋根のバス停」
和田へ向かう旧国道のバス停は何れも凝った物ばかり。左手の上深山口バス停は藁葺き屋根。僅かな便数のバスに頼る住民の気持ちが表れている。

藁葺き屋根のバス停


「三千僧接待碑」
下和田青原から中組みへ向かう途中の左手に三千僧接待碑。ある人物が千人の僧の接待を発願し達成したので、今度は三千の僧の接待を発願したと言う碑。

「上立場バス停」
下和田中組の右手に上立場バス停。名の通り立場の有った所。

「若宮八幡神社」
下和田上組の左手に若宮八幡神社。境内に和田城主大井信定父子の墓がある。

「中山道一里塚跡」
八幡神社の先100m左に芹沢の一里塚。真新しい大きな石碑が立っている。江戸より49里目。右手の畑で何かを植えている父子を見掛けた。『何を植えてるの〜』と聞いたら『ほうれん草〜』と返事が返ってきた。きっと美味しいほうれん草になるだろ。

                 中山道一里塚跡

「是より和田宿碑」
学校下で旧国道が二手に分かれる。左に進むと和田の宿。この分岐左に大きな宿の碑。

「古い民家」
すぐ右手に街道らしい家が目に入る。





     和田


    中山道第二十八宿 和田宿


     所在地 長野県小県郡和田村
     最寄駅 長野新幹線・しなの鉄道上田駅
     本陣1、脇本陣2、旅籠28、総人口522、家数126
     下諏訪へ 5里18町(21.6q)


「八幡神社」
小学校、中学校を右手に過ごし、間も無く右手少し高くなった所に藁葺き屋根の八幡神社。和田城主大井氏館の鬼門除けに建てられたと言われている。

八幡神社


「桝形・ここから和田宿」
神社の前が桝形で、道は直角に近く右に曲がっている和田宿に入る。

「火の見櫓・消防施設も出桁造り」
枡形を過ぎると右手に火の見櫓。消防施設の建物も出桁造りのこだわり。

「追川を渡って宿の中心に入る」
追川に架かる橋を渡ると宿の中心部となる。

「河内屋」
右手に今は歴史の道資料館として公開されている河内屋がある。江戸末期の規模の大きい旅籠の遺構として昭和56年に復元、開館された。右奥に黒曜石石器資料館がある。

河内屋


「問屋山本屋」
宿の左手、河内屋の斜め向かいに問屋場跡、山本屋の大きな建物がある。

「民家」
宿の右手、昔は旅籠だったか。

「民家」
同じく右手に立派な門の有る家。この前で学校帰りの4人の小学生が丁寧に挨拶をしてくれた。みんな良い子だ。

民家


「和田宿本陣の冠木門」
役場への交差点の左手前に復元された和田宿本陣。冠木門に黒塀、その奥に板葺き石置き屋根の本陣居住棟。

「和田宿本陣の門」
和田宿は文久元年(1861)3月の大火で大半を焼失、本陣も失われた。この年11月には皇女和宮降嫁の宿泊地となっていたため、幕府から金を借りて急いで復興された。維新後は役場、農協の事務所として使われていたが、昭和61年度から歴史の道整備事業として解体修理の末に復元された。明治21年(1888)信越本線の開通と共に交通が途絶え宿は衰退した。『出るも地獄戻るも地獄』と言われた交通の不便な所だっただけに貴重な歴史遺産が数多く残された。

和田宿本陣の門


「解体復元された本陣居室棟」
復元された居室棟は本陣長井家が住んでいた建物で、座敷棟は丸子町の龍願寺に移築され客間として使用されている。

「本陣居室棟の側面」
横から眺めると雨戸一枚が小さくて、逆に建物の規模の大きさがわかる。昼もとっくに過ぎ腹が減ってきた。四泊の一里塚のところにドライブインが有ったきりこの和田へ入っても街道筋には食べる所が全く無かった。役場の近くまで行ってやっと一軒の食堂を見付けやれやれ。汗にまみれた顔を洗い渇きと空腹を満たす。

                 本陣居室棟の側面

「本陣前から振り返る」
和田宿中町、宿の中心部。

「河内屋方面を振り返る」
出桁造りの家の様子が良く判る。

「元庄屋の旅館本亭」
役場入口交差点の先左手に元庄屋の長井家、今は『中山道和田宿旅人御宿本亭』の看板を揚げて旅館をしている。

                 元庄屋の旅館本亭

「本亭の全景」
門構えに松の木、時代を感じさせる。

「本亭の前庭」
庭先にコスモスが咲いてのどかな感じ。看板にある電話・和田十五番もなかなか良い。

「脇本陣翠川家」
宿の右手、バスターミナルの右隣。少し奥まった所に門構えの脇本陣翠川家。

脇本陣翠川家


「脇本陣翠川家の屋敷」
玄関の式台は昔の姿そのまま。表札は『脇御本陣みとり川』。

「卯建のある萬屋酒店」
宿の左手、本亭の隣に白壁土蔵に卯建の上がった酒店よろずや。宿場らしい風景。

                  卯建のある萬屋酒店


「各戸に屋号の下げ看板」
それぞれの家に昔の屋号が下げられている。この先は次回の楽しみとしてここで切り上げる。





昨日、今日の街道歩きは最高に良かった。気候は良いし、天気も良い。街道脇の田畑には稲穂が実り、りんごが枝もたわわ、コスモスに赤トンボ。浅間や八ヶ岳が見え空にはうろこ雲。こんな条件に恵まれる事はめったに無いと感謝、感謝。

今回は和田の宿で終わる。ここから鉄道の駅に出るには午前と午後の2本しか便が無い。これに全てを合わせてプランを練った。予定どおりにうまく行く。14時32分のJRバスで上田まで。16時10分の長野新幹線で東京へ。食事をしてお土産を買って、18時45分の東海道新幹線ひかり169号岡山行きに乗車、豊橋に20時27分着。20時40分のJRバス、21時10分頃に無事帰宅する。


     35,745歩
     望月〜和田   18.4q



ページ公開 平成15年1月21日
ページ改良 平成22年11月2日
  写真追加 平成22年11月14日



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