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本坂越(姫街道)独歩記
ほんざかごえ(ひめかいどう)ひとりあるき
本坂越(姫街道)ウォーク その6
平成17年3月30日(水) <その2>
豊川から御油まで
「世界神道教の塔」
国道から右手一筋奥、家並みの向こうに豊川市役所が有り、反対の左手を見ると派手な色の塔が見える。これが世界新道教の塔。何時の間にこんな塔が出来たのか?(こちらで気が付かなかっただけなのか)この宗教は元天理教教師の会田ヒデ(1898〜1973)が独自の教えを説き、1944年に設立し1952年に宗教法人となったとか。こんな立派な塔を建てるお金はどうしたのか、よそ事ながら一寸気になる。
「体育館前交差点」
次の大きな交差点が体育館前。交差点右手前が豊川郵便局。ここから左へ行くのが南大通で豊橋方面に至る。右に行くと市総合体育館や豊川運動公園、その先には日本車両の工場がある。この辺りも桜の名所。
「平和の像と薄墨桜」
交差点を右に折れ、郵便局の先、運動公園の一角に平和の像が立っている。台座が高く見上げるような高さである。そばの薄墨桜は花を咲かせている。像の由来記によると『終戦の年の8月7日の米軍の爆撃により豊川海軍工廠の徴用工員、女子挺身隊員、学徒報国隊員など2,477名が犠牲になった。その13回忌に元従業員が八七会を結成、昭和37年に像建立委員会を設立、昭和40年8月7日に完成・除幕した』との主旨の長文の由来が記されている。
「桜のトンネル」
運動公園の南縁の道路も見事な桜のトンネルである。何処も見事な桜並木では有るが花が見られないのは誠に残念。
「長栄寺」
元の体育館前交差点に戻り、再び西へ、御油の追分に向かって歩き出す。右手の消防署を過ぎ諏訪橋西交差点の先、右手背の高い長栄寺の石柱の奥、白いコンクリート壁の更に奥に本堂が見える。曹洞宗のお寺の長栄寺。
「諏訪神社」
同じくその先の右手に諏訪神社。街道近くに諏訪神社の石柱、奥へと常夜灯、石の鳥居、更に奥に社殿が続く。神社の由緒によると祭神は建御名方神と八坂刀売神で創建は明らかではないが永正年間(1504〜1520)市田城主が崇敬したとある。この神社の西あたりが江戸から76里目の諏訪一里塚跡。姫街道最後の一里塚で、安間一里塚から数えて13番目の一里塚。しかし残念ながらそれの痕跡は何も無い。
「本宮山遥拝所」
続いて右手に『本宮山遥拝所』の石柱が立っている。気付かずに通り過ぎてしまいそう。本宮山(海抜789m)は樹齢千年近い大木の杉檜が林立した神山で、頂上には三河国一宮砥鹿神社の奥宮が鎮座して大己貴命(大国様)が祀られている。ここから朝な夕なにその美しい山体に向かって遥拝する人々がいた事を想像するだけで、心が豊かになったような気がした。
「白川橋」
細い流れの白川橋を渡る。
「郡明神道標」
白川橋交差点の右手前に背の高い道標があり『国内神名帳郡明神是ヨリ十五丁』とある。ここから北へ15丁の所に豊川市市田町の伊知多神社があり、昔はこの地に郡明神が存在していたという。当時はこの辺りに国府が置かれ、国分寺や国分尼寺もあって三河の中心であった。
「歩道に残された枝垂れ桜」
野口町交差点の手前右手、歩道上に枝垂れ桜があり、ピンクの花を付けている。道路拡張工事に伴って伐られる運命にあったものを、誰かの情熱で残されたものに違いない。残そうとした人、残してくれた人、そのどちらにも感謝をしたい。ありがとう。
「栄昌寺」
横道の交差点を過ぎて右手にハイカラな金属製の門と塀のあるお寺が曹洞宗宝珠山永昌寺。
「火の見櫓」
亀ヶ坪交差点の左先に火の見櫓。道路が拡張整備されたのによくぞ残ったものだ。これからも出来る限り残しておいて欲しいものだ。
「筋交橋」
西古瀬川の筋交橋を渡ったところが県道21号豊川新城線との交差点。
「国府八幡入り口に立つ常夜灯」
筋交橋交差点を渡ってすぐ右手に左へ入る道が有り、その道の右手には『縣社八幡宮』の石柱と左手には文化8年(1811)建立の常夜灯が立っている。
「国府八幡宮」
街道から右手に入って少し奥、西古瀬川の宮前橋を渡る。正面にある5段の石段を上がり石の鳥居をくぐると国府八幡宮。入口は狭いが境内は案外広い。解説板によると『第40代天武天皇の白鳳年間に宇佐八幡宮から勧請された。本殿は文明9年(1477)の建立、三間社流造、檜皮葺で室町時代の神社建築の代表的なもの。明治40年に国の重要文化財に指定された。祭神は応神天皇、三女神、神宮皇后』
「三河国分寺塔跡」
八幡宮の境内から東に出て公民館の先に、竹林を背にした『三河国分寺塔跡』の石柱がある。竹藪の中には塔の基壇や礎石が残っている。
「史跡三河国分寺跡と国分寺」
更に東に行くと左手に『史跡三河国分寺跡』の石柱と赤や白の『本尊薬師瑠璃光如来』の幟がはためき奥にお堂が見える。これが現在の国分寺で解説によると『現在の国分寺は16世紀に再興された曹洞宗のお寺。調査によると現在の本堂がかつての金堂の跡に建てられている』とある。
「史跡三河国分尼寺跡」
更に北西に、県道377号豊川額田線を越えると『史跡三河国分尼寺跡』がある。以前に来た時は何も無かったのに、今は復元された赤い建物が建っていてビックリした。復元施設はほとんど出来上がり周辺の駐車場の工事が行われている。
そこにはカラー写真や図面入りの立派な陶板の解説がある。その要点は『国分尼寺は,奈良時代の天平13年(741)聖武天皇により,諸国に国分寺と共に建てられた。この三河国分尼寺跡は隣接する三河国分寺跡とともに,大正11年に国史跡に指定された。昭和42年(1967)の発掘調査の結果,金堂の礎石などが発見され南北一直線に並ぶ伽藍配置が確認されている。寺域の広さは全国の国分尼寺跡の中では最大級の規模である。また南の中門から北の講堂へつながる複式回廊は他に例がなく珍しい。豊川市では平成11年から「史跡国分尼寺跡保存整備事業」を実施しこの国分尼寺跡を史跡公園として整備しており、これまでに金堂基壇復元施設や,講堂・経堂・鐘楼・回廊跡の基壇を表す施設が完成、朱塗りの中門と回廊の一部も復元され、平成16年度末には史跡公園が完成予定である。』
「清光寺」
三河国分尼寺跡の西隣にある寺は曹洞宗祗園山清光寺といい、西明寺六世伝芝和尚によって文禄4年(1595年) に三河国分尼寺跡地に建てられたもので、豊川魔利支尊天霊場の看板が掲げられている。
「お地蔵様」
街道からそれて国府八幡、国分寺跡、国分尼寺跡へと寄り道してしまった。しかし、この辺りが三河の中心として栄えた頃、天平の頃にタイムスリップして、いろんな想像を廻らせ楽しむ事が出来たのは大きな収穫であった。再び街道に戻り西へ、御油へと向かう。佃交差点の右、高圧線の鉄塔の下の祠の中にお地蔵さんがある。
「船山古墳」
街道はゆるやかな下りとなり右へとカーブする。上宿交差点の右には三河地方最大(県下3番目)の前方後円墳の船山古墳がある。豊川市の史跡に指定されている。古墳時代中期のもので、全長96m、円筒埴輪が多数出土したと言う。
「古墳の石室の名残か」
古墳の側に鳥居があり上宿神社とあったので登ってみたら上には石室の名残か石積みの祠があり石像が祀られていた。
「国府陸橋」
上宿信号を過ぎると国道は名鉄名古屋本線を跨ぐための陸橋となり、自動車専用の上り坂となる。街道は右下の側道を行く。
「西明寺入口の芭蕉碑」
側道になってすぐ、右に入る道が有り、その道の左の石垣の上に大きな『西明寺』の道標が見える。ここが名刹曹洞宗大宝山西明寺への入口。道標などがある一角に芭蕉の句碑がある。
「芭蕉碑」
句碑には屋根が架けられ、そばに解説板がある。『寛保3年(1743)10月、芭蕉50回忌に国府の俳人米林下(小沢才二)が建てたもので、現在東三河にある句碑の中で一番古いものです。』
かげろふの我が肩に立紙子哉 ばせを翁
「名鉄を跨ぐ」
右側の側道を行くとやがて線路となるので、陸橋をくぐって左へ進むと歩道橋がありこれを上って名鉄の線路を跨ぐ。
「陸橋から国府駅を望む」
歩道橋の上からは国府駅が見える。そこへ赤い電車がやってきた。
「国道で遮断される」
道は真っ直ぐに延びて前方右手には消防署、左手にはスーパーの看板が見える。しかしこの道は国道1号線が横切り中央分離帯のフェンスで遮断され横断することが出来ない。
「国道1号線追分交差点」
国道に出て追分の信号交差点で向かいに渡る。
「東海道との追分」
信号交差点からそのまま進むと、左手のスーパーのところで先の国道で遮断されていた道が左から来て合流する。すぐ先の行力信号交差点の一筋先が東海道との合流点、追分である。追分には常夜灯や道標が立っている。右から『秋葉山常夜灯』、『秋葉山三尺坊大権現道』の道標、手前に『三州御油宿これより姫街道遠州見付宿まで』の木製の道標、『国幣小社砥鹿神社道是より北二里三十丁』の道標が並ぶ。
これで本坂越、姫街道を6日間かけて無事完歩した。
遅くなった昼食を国道1号線沿いのお店でとって、帰りは名鉄御油の駅から電車を利用。ホームの待合室に入って強い風を避け各駅停車の電車を待つ。待合室には春の日差しがいっぱいで、何だか満たされた気持ちになった。
今日のニュース、朝刊では「スマトラ島沖地震(3月28日、M8.7)下敷き数百人・救助難航、死者430人を確認」。夕刊では「美浜原発事故・関電の安全管理断罪、保安院最終報告」。
今日歩いた記録
国分寺跡辺りでどれくらい歩いたかを見ようと歩数計を見たら、や・や・や?! 未だ数百歩しかカウントされていない。何かの拍子で歩数計の蓋が開きリセットボタンに触れてしまったようだ。残念であるが、今更どうにも仕方が無い。と言う事で本坂越の記録は和田辻までで終わってしまった。
ページ公開 平成17年4月15日
ページ改良 平成23年4月30日
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