藤川 所在地   愛知県岡崎市
最寄駅   名鉄名古屋本線藤川駅

東海道第37宿
本陣1、 脇本陣1、 旅籠36、 問屋場1
総人口1,213、 家数302

岡崎へ   1里25丁




平成9年(1997)4月20日(日)
名鉄名古屋本線名電長沢駅より長沢の集落へ、本宿、藤川へと向かう。




東の棒鼻
藤川宿東の棒鼻
山中八幡を過ぎ、約500メートルで国道は右へ大きくカーブし、名鉄名古屋本線を跨ぐが、東海道は国道と分かれほぼ直進する。

旧道のすぐ左手に東の棒鼻。これは平成5年(1993)に廣重の「藤川 棒鼻ノ図」を基に西の棒鼻と共に再現されたもの。見事にその雰囲気が出ている。

大きな木柱に「従是西藤川宿 東海道五十三次之内」と墨書されている。
藤川宿の家並み
藤川宿の家並み
格子造りの古い民家が何軒か有って、宿場の名残を留めている。
こんな街道を歩く時は、心がワクワクして足どりが軽い。
問屋場跡
問屋場跡
道の脇にぽつんと問屋場跡の標石。宿が栄えていた頃は人足や馬で賑わったであろう所が、春の昼下がり、静まり返っている。
本陣跡
本陣跡
宿の中ほど右手に森川家本陣の跡。
標石と藤川学区社会教育委員会の立てた解説板。

建物は残っていないが、裏手に回ると石垣が残っていて、当時の規模を知ることが出来る。
脇本陣跡
脇本陣跡
本陣の隣に黒い門のある脇本陣跡。

この門は享保4年(1719)の大火の後に建てられたもの。
中は無人の藤川宿資料館、模型や古文書、各種資料が展示されている。

中でも、まぼろしの「むらさき麦」復元栽培の紹介が興味深い。
西の棒鼻
西の棒鼻
右手藤川小学校の前に小公園のように整備された西の棒鼻。
「従是東藤川宿」の大きな木柱と常夜灯、そして歌川豊広の歌碑。

  
 藤川の宿の棒鼻みわたせば杉のしるしとうで蛸のあし   歌川豊広

向かいの
十王堂のそばに芭蕉の句碑
   
爰(ここ)も三河むらさき麦のかきつばた     芭蕉
           
一里塚跡
一里塚跡
民家の花の植え込みに手作りの札が立てられている。
ほのぼのとした温かみが有って嬉しい。
藤川の松並木
藤川の松並木
間も無く約400メートル続く藤川の松並木、この並木の真中を名鉄名古屋本線が横切る。

踏切の手前左手に
吉良道道標。豊広の歌にあるうで蛸はこの道を通って藤川へ入ってきた。
大平の一里塚 大平の一里塚
藤川の松並木を抜け国道と合流。約1キロ進んで再び左手に分かれると美合の町。ここにも松並木が残っている。

山綱川に架かる高橋の手前、左手に「
天然記念物岡崎源氏蛍発生地」の標石と解説板。

乙川で旧道が途切れるため、国道の橋を渡りまた元の旧道へ。大平東の信号で国道を斜めに横切る。落着いた街を行くと左手に大平の一里塚。南の塚片側だけが残っている。今植わっている榎は、昭和28年の台風で倒れた先代に代わって植えられたもの。

国道に合流し、東名岡崎インター、岡崎環状線の信号を過ぎて間も無く右手へ分かれると欠町(かけまち)で、岡崎へ入る。




前回は名鉄の普通電車しか停まらない駅で区切ったため、往復に大変時間がかかり苦労をした。
そこで今回は急行停車駅の美合で区切る事にした。
藤川の宿は棒鼻が非常に印象的で、他の宿場には無い風情がある。
ここの松並木は御油に劣らぬ立派なものであった。


今日の歩数 20,329歩




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