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所在地 愛知県岡崎市 最寄駅 名鉄名古屋本線東岡崎駅 東海道第38宿 本陣3、 脇本陣3、 旅籠112、 問屋場1 総人口6,494、 家数1,565 池鯉鮒へ 3里半11丁22間 |
平成9年(1997)4月29日(火) 今日は祝日みどりの日、ゴールデンウィークの真中。前日からの雨が上がり快晴、夏日である。 バス、名鉄の急行を使って美合まで行き、東海道へ |
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岡崎城下の入口 国道から分かれて少し入った所、欠町の左手に冠木門、その奥に黒い石碑。 これより岡崎様のご城下に入る。 |
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岡崎城下二十七曲り碑 岡崎城下を通る東海道はその曲折の多さから通称二十七曲りと呼ばれた。 これは城内を防衛するためで慶長14年(1609)にはほぼ道筋が確定したとか。 東から来た東海道は曲折しながら岡崎城の北から西へと迂回する。 この碑の案内に従って街角の標石に注意すれば、街道をたどることが出来ると言われるが、初めて通る者には至難の業。 |
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旧岡崎銀行本店 欠町から若宮町の市民病院前を通って両町へ、伝馬通りに出て西進する。この辺りが宿の中心で東、西、大津屋本陣、脇本陣が並んでいた。 伝馬通りを左折、右折すると角にきらみち道標(明治2年建立)、ほどなく右手にレンガ造りの旧岡崎銀行本店。 |
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籠田総門跡 籠田公園に籠田総門跡、昔はこの辺りまで岡崎城の外堀があった。 公園を抜け、連尺通りへ左折、今の岡崎の繁華街に入る。 本町の大手門前を通って右折左折を2度繰り返し材木町へ、ここを西進。 右手に格子造りの家、貴重な街道の名残。 |
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板屋町の民家 材木町から今度は南へ曲折しながら魚町、田町、板屋町へと進む。 板屋町には茶屋女が置かれ繁盛したとか。 数軒その名残を示すかのような民家が残っている。岡崎では材木町とここだけ。 貴重な民俗遺産、何時までも残っていて欲しいもの。 |
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日吉丸蜂須賀小六の「出合之像」 板屋町を右折、国道248号を渡り、愛知環状鉄道をくぐり、そのまま進むと矢作川に出る。 昔の矢矧橋は長さ貳百八間、東海第一の長橋なりと言われ、国道の矢作橋より約100メートル下流に架かっていた。 橋を渡ったところ(左岸)に大きな石の「出合之像」 橋を渡ったら右にとり、国道に並行する旧道に入る。激しいクルマの騒音から開放されほっとする。 |
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宇頭の松並木 古い家並みの残る矢作町、右手に親鸞上人旧跡柳堂のある勝蓮寺。その先右手に源義経と愛人浄瑠璃姫ゆかりの誓願寺。 矢作町を過ぎると国道に合流。 宇頭町で再び右に分かれると松並木の道になる。この辺りけっこう松並木が残っている。 |
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東海道一里塚跡 右側に立派な石の鳥居のある熊野神社。 その前に東海道一里塚跡碑。 並んで予科練之碑、英霊招魂碑、元第1岡崎海軍航空隊の解説板。 戦時中この空を赤トンボと言われた飛行機が飛び交っていた。 戦争で散った多くの人たちのことを思うと胸が痛み、今街道を歩いている自分の幸せを改めて知らされる。 |
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今村の松並木 立場の有った宇頭茶屋町を過ぎると右手に雲龍の松の永安寺。 信号角に明治用水記念碑。 名鉄名古屋本線新安城駅に至る道路との交差点の前後にも松並木が残っている。 猿渡川橋を過ぎると知立市、池鯉鮒の宿が近い。 |
今日のコースは岡崎城下の通り抜けがメインで、歩いた割には印象に残る所が少なかった。 安城市今本町北、今村郵便局前で切り上げ、名鉄新安城より戻る。 今日の歩数 28,259歩 |