保土ヶ谷 所在地   神奈川県横浜市保土ヶ谷区
最寄駅   JR横須賀線保土ヶ谷駅

東海道第4宿
本陣1、 脇本陣3、 旅籠67、 問屋場1
総人口2,928、 家数558

戸塚へ   2里9丁




追分
追分
台町を下り勧行寺、浅間神社を通って保土ヶ谷の宿に入る。
浅間町4丁目に旧東海道追分の木札。

江戸時代初期東海道開設当時の旧道への追分。
人の往来が多くなり、今の道が開かれた。

江戸方見附はこの辺りにあった。
松原商店街
松原商店街
相鉄(相模鉄道)天王町駅まで続く商店街。
昔海岸沿いの松並木が有った事からその名がある。

歳末で特別にお買い物道路となっていた。
橘樹神社
橘樹神社

たちばな神社と読む。

神社の前にしめ飾り売り。
屋号の提灯に、いなせな法被姿は江戸下町の正月を思わせる。
帷子橋
帷子橋
廣重の描いた「保土ヶ谷・新町橋」は帷子川に架かる帷子橋で、今はこの橋。

しかし川は昭和30年代に改修され北寄りに約100メートル移動しており、昔の川跡に公園が作られ帷子橋跡の説明板がある。

川の右手が相鉄天王町駅、左手が保土ヶ谷の宿。
川には大きな鯉、土手にはカモメと鳩が沢山いた。
金沢横町道標
金沢横町道標
帷子橋を過ぎ一路南へ。右手に遍照寺を見てその先商店街に出るとすぐこの道標。

横浜市地域有形民俗文化財金沢横町道標四基の標柱がある。
   
「園海山之道」                     天明3年 (1783)建
   「かなさわ・かまくら道」                天和2年 (1682)建
   「保土ヶ谷の枝道曲がれ梅の花   其爪」    文化11年(1814)建
   「ほうさう神富岡芋大明神江の道」         弘化2年 (1845)建
保土ヶ谷宿本陣跡
保土ヶ谷宿本陣跡
金沢横町から間もなくJR東海道線の踏切を渡り、国道1号線にT字形に突き当たる。
その国道の向かい側、石塀の中に古い屋根付きの門のある家が元本陣の軽部家。

明治の火災や関東大震災に遭い建物はこの門を残すだけ。解説板がある。
権太坂
権太坂
保土ヶ谷の宿の外れからの上りが権太坂。

昔は一番坂、二番坂と呼んだのだが、何時の頃か旅人が坂の名を尋ねたところ、耳の遠い老人が自分の名を問われたと思い、権太と答えたところから、権太坂と言うようになった。
境木地蔵
境木地蔵
坂を上り切るとやや平坦地となり小学校に突き当たる。右に曲がると右手にある。

左に曲がると
投げ込み塚がある。

この辺りが武蔵と相模の国境。
品濃坂の一里塚
品濃坂の一里塚
境木地蔵から約600メートル下がった所にこんもりと繁った森があり、その中に一里塚がある。日本橋より9番目。

道の両側に榎こそ無いが昔のままの塚が残っている。

この辺りは道幅が狭く、自然の状態が良く残されて、往時の東海道の様子を創造することが出来る。
柏尾町不動坂三叉路
柏尾町不動坂三叉路
品濃坂を下ると道は更に細くなり、両側は観光果樹園が続く。その右には雲を突くようなマンション。そして突然環状2号線の歩道橋に出る。

柏尾川沿いに団地の中を通り、国道1号線を横切りしばらく進むとこの交差点。

国道1号線新道は小田原方面へ直進、旧道は戸塚駅方面へ左折、東海道は更に左手の上り道を進む。




戸塚の吉田大橋を渡った所で行程を終わる。
戸塚は江戸を発った旅人が最初に泊まる宿場、それを今回は1泊2日をかけて歩いた。

夏の日ならばもうひと頑張りするところだが、冬の日、しかも暮れも押し詰まった時だけに余裕を持って終わる。
JR東海道線戸塚駅から小田原へ、小田原で新幹線に乗換えて帰路につく。


今日の歩数 35,526歩




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