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所在地 神奈川県横浜市神奈川区 最寄駅 JR京浜東北線東神奈川駅 東海道第3宿 本陣2、 脇本陣0、 旅籠58、 問屋場1 総人口5,739、 家数1,341 保土ヶ谷へ 1里9丁 |
平成10年12月28日(月) 12月28日 今日も良い天気。ホテルでゆっくりと朝食をとって、朝8時30分にスタートする。 この時間帯いつもなら通勤、通学の人々で大変な混雑なのに、さすが暮れも押し詰まると空いている。 まだお仕事のある人に申し訳ない気持ち。 JR京浜東北線で昨日の切り上げ地点の新子安へと向かう。 新子安で降り京急の踏切を渡り100メートル程で東海道に出る。 |
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土居(枡形)跡 新子安から国道15号線第一京浜を京へ向かってしばらく歩く。 国道から右手へ少し入った京急神奈川新町駅前の東公園が土居跡。 ここが神奈川宿の入口で枡形があり、道の両側に高さ2.5メートルの土居が築かれ、その上に竹矢来が設けてあったという。 |
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神奈川宿案内板 京急神奈川新町駅の前にある。 江戸後期に幕府の道中奉行が作った「東海道分間延絵図」神奈川宿のタイル絵が掲げられている。 |
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神奈川本陣跡 神奈川には本陣が二つ有った。 滝ノ橋の江戸川に東の本陣・神奈川本陣が、反対側に西の本陣・青木本陣が有った。 |
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滝ノ橋から見た本陣跡 滝ノ川の右手が神奈川本陣、左手が青木本陣。 宿内数キロにわたって神奈川宿歴史の道が作られ、案内板が建てられている。 |
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洲崎神社 国道15号から別れ東海道は右(西)に曲がる。 京急神奈川駅手前宮前商店街の中程にこの神社がある。 源頼朝の創建と伝えられ、この前面がかつての神奈川湊の荷揚げ場だった。 |
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甚行寺、フランス公使館跡 洲崎神社のすぐ先右手の寺。開国当時フランス公使館があった。 この先陸橋青木橋の下をJR東海道線、横須賀線、京急が走る。右に京急神奈川駅。 このあたり明治5年(1872)我国で初めて鉄道が開通した際の軌道跡の一部だとか。 橋を渡ってすぐ国道1号線第二京浜を横断し、斜め左前方、神奈川の台と呼ばれる坂道へと登ってゆく。 |
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大網金比羅神社 鉄道や国道でしばらく途切れていた東海道が復活。 神奈川の台の坂道に入ってすぐ右手にある。 神奈川湊の海運関係者の信仰を集めた。以前にはこの辺りに一里塚が有った所。 今は見当たらない。 |
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台の茶屋 廣重の「保永堂版・東海道五十三次」神奈川に描かれた台の茶屋がこの辺り。 今も滝川、田中屋が同じ場所で料亭を営んでいる。 外壁に東海道中膝栗毛の一節のレリーフと廣重の神奈川台之景のタイル絵が飾られている。 まわりはマンションばかり。 |
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田中屋 文久三年(1863)の看板。 この年に廣重の絵中に看板が見えるさくらやを買い取って旅籠を創業したという。 この坂はけっこうきつい。 左側茶店の裏は当時はすぐ海であったが、今ははるか先まで埋め立てられて海の景色は全く見えない。 |
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神奈川台関門跡、袖ヶ浦見晴所碑 台を登りきった所右手。関門は東の鶴見関門とともに横浜開港時、外国公館警備のために設けられた。 右側の碑には 思いきや袖ヶ浦なみ立かへり こヽに旅寝を重ぬべしとは 竹径かく |
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上台橋 台坂から少し下がった所にある陸橋。 この辺りが神奈川宿の外れ、上方見附。 下の道路を左に行けば横浜駅の西口。 |