戸塚 所在地   神奈川県横浜市戸塚区
最寄駅   JR東海道線戸塚駅

東海道第5宿
本陣2、 脇本陣3、 旅籠75、 問屋場3
総人口2,906、 家数613

藤沢へ   2里




平成11年2月13日(土)
年も明けてはや2月も半ば、日も幾分長くなり、暫くおとなしくしていた歩きたい虫が東海道へと誘うので、思い切って実行する。
6時30分のバスで出発。 駅のホームの気温マイナス1度、お天気晴れ、風雪波浪低温注意報が出ている。
小田原で「こだま448号」から乗り換え、東海道線で戸塚へ。

10時10分駅前をスタート。街道へ出て、宿へと向かう。
今朝のニュース、アメリカ上院弾劾裁判クリントン大統領解任を否決、金融再生委員会大手銀行への資金投入を決定。




東海道戸塚宿見附跡
東海道戸塚宿見附跡
国道1号線と旧道が合流しブリジストン横浜工場を過ぎ、ダイエー前交差点西南角ファミリーレストラン「フォルクス」の前に碑と標柱ががある。

ここが戸塚宿の江戸方見附。

昔の旅人は江戸日本橋を早朝(七つ午前4時頃)に発って初めての泊まりがこの戸塚の宿であったとか。足が達者であったのに感心させられる。
吉田大橋
吉田大橋
柏尾川に架かる橋。廣重の絵はここを描いている。
橋の手前左へは鎌倉道、橋を渡ると戸塚の宿。

前回でここまで歩いた。
今日は戸塚の駅から街道に出て左折し宿の中心部へと向かう。

沢辺本陣跡
沢辺本陣跡
東海道線の踏切。さすがは首都圏、大編成の電車がひっきりなしに通る。平面交差の踏み切り、向こうへ渡り切るまでが怖い。この踏切を渡って消防署の手前右手に、
明治天皇戸塚行在所跡の大きな石碑があり、本陣跡の標柱は小さく茂みに隠れている。
富塚八幡宮
富塚八幡宮
街道の右側、戸塚の地名の起こりとなった八幡宮。

境内には前方後円墳があり、相模の国造弟武彦命の2世の孫、富属彦命(とつきひこのみこと)が葬られていると言う。
上方見附跡
東海道戸塚宿見附跡ー上方見附ー
街道の左手に標柱、後ろに廣重の浮世絵。
江戸方見附は立派な石碑だったが、こちらは簡単なもの。

この先から急な上り坂になる。
大坂とも戸塚の坂とも呼ばれる。
昔は一番大坂、二番大坂、白土坂と呼ばれていた。

この先右手に
第六天宮の小さな社がある。
石仏群
石仏群
坂を登りきると国道1号線に合流。その途中右手に庚申塔などの石仏群。
この辺り東海道を旅した人々や馬たちの安全を祈る為の石仏や、石神が多い。
お軽勘平の碑
お軽勘平戸塚山中道行きの場の碑

国道1号線との合流点からは道路の左側が東海道。約500メートル程先の左手にある。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の舞台となったことから建てられたもの。もちろんフィクションである。

国道1号線との合流からおよそ1キロばかり、道路中央に松並木が残されている。これが
戸塚の松並木。土曜日の昼前、マイカーを中心に大変な交通量、殆どが若い松ではあるが、これでは生きて行けない。
原宿の一里塚
原宿の一里塚
原宿町の街道の左手、小高い崖の上に一里塚の解説板。日本橋から11番目。
この辺りに茶店などが有ったところから原宿と呼ばれるようになった。

一里山の地名も残っている。
浅間神社
浅間神社
一里塚の向かい側、社殿は長い参道の奥にある。
鳥居は安永5年(1776)の建立。

影取町の街道の左手に馬頭観音と道祖神。このあたり東海道を旅した人々や馬たちの安全を守るための石仏や石人が多い。
諏訪神社
諏訪神社
道祖神から間も無く左手に在る。この神社の裏に有った池に大蛇が住んでいて、そこを通る旅人の影を呑んだと言う伝説が有り、この辺りの地名が影取町となった。



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