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所在地 静岡県浜名郡舞阪町 最寄駅 JR東海道線舞阪駅 東海道第30宿 本陣2、 脇本陣1、 旅籠28、 問屋場1 総人口2,475、 家数541 新居へ 1里半 |
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舞坂の松並木 浜松領の領界石を過ぎると、街道はひたすら西へと真っ直ぐに進む。 高塚の駅を右手に過ごし、篠原の立場で国道1号線、浜名バイパス方面の道と分かれ静かな街道に戻る。 馬郡の交差点角に春日神社、ここを過ぎるとやがて両側に見事な松並木。 国道と交差するまでの間およそ700メートル続く。左手には五十三次絵入りの石碑が並ぶ。 |
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見付石垣 国道と交差して南(海側)に入ると、宿場と言うより名産しらす・海苔の看板が目立つ落着いた漁師町。 間も無く左手に石垣と解説板。舞坂宿の東の入口。 |
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一里塚跡 宿に入ってすぐ左に植え込みと石碑。江戸から68里。 |
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新町常夜灯 宿内には幾つかの常夜灯が有るが、これは新町常夜灯と呼ばれているもの。 正面が秋葉大権現、南面が両皇大神宮、東面が文化12年乙亥正月吉日と彫られている。 文化6年(1809)には宿の大半を焼く大火があり、その復興には難儀したと言われ、火防せの願いにより立てられた。 |
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宿内軒別書絵図面 宿の右手に横長の石碑。 文久2年東海道舞坂宿宿内軒別書絵図面で当時の家割が刻まれている。 |
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舞坂宿本陣跡 宿の右手にある本陣跡碑。ここは宮崎伝左衛門本陣跡で、この先にもう1軒徳右衛門本陣跡がある。 |
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脇本陣茗荷屋 天保9年(1838)に建てられたものを平成9年に解体・復元されたもので、東海道を代表する貴重な歴史資料と言われている。 |
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渡船場跡北雁木 宿場はそのまま湖岸に続く。ここから新居まで湖上1里18丁の舟渡し。 浜名湖は昔は閉じた淡水湖だったが明応7年(1498)の大地震・大津波で南岸が決壊し海に繋がった。決壊した所を今切れと呼び、新居までの渡しを今切の渡しと言う。 その乗船場を雁木(がんげ)と呼び、北、本、南の3ヶ所があり、北は諸侯用、本は武家用、南が庶民や荷物の積み下ろしに使われた。 舟渡しの危険を避け浜名湖の北を迂回するルートが本坂越えの姫街道である。 |
見付から浜松、舞坂まで歩いた後、更に弁天島まで歩いて帰路のJRに乗ったので歩数が多くなった。 浜松は見るべき物少なく、逆に舞坂は松並木から雁木まで狭い範囲に色々な物が残っていて非常に楽しい宿である。 雁木から見た弁天島や浜名大橋が印象的であった。 今日の歩数 42,137歩 |