宮 所在地   愛知県名古屋市熱田区
最寄駅   名鉄名古屋本線神宮前駅

東海道第41宿
本陣2、 脇本陣1、 旅籠248、 問屋場1
総人口10,342、 家数2,924

桑名へ   海上7里




平成9年6月1日(日)
今日から衣替え。この街道歩きを始めたのが3月初旬、未だ風が冷たかったのに、
花が咲き、田植えがされ、今では緑濃く汗ばむ陽気になった。歩いていると季節の移り変わりが良く分かる。
駅まで送ってもらって名鉄特急で鳴海へ。




笠寺の一里塚
笠寺の一里塚
天白川を渡って赤坪町の交差点を進むと右手に大きなエノキの聳える一里塚。
周りも綺麗に整備されている。
笠寺観音
笠寺観音
間も無く右手に笠寺観音で親しまれている天林山笠覆寺。

聖武天皇の時代、近くの呼続浦に漂着した霊木を開基禅光上人が彫ったと伝わる十一面観音が本尊。

宝暦13年(1763)建造の本堂は先の戦火から免れ、今も線香の煙が絶えない。
境内には
宮本武蔵百年忌供養碑芭蕉句碑など古い碑が多く残されている。

笠寺観音の説明板
笠寺観音の説明板
門前の商店街とバス道路の交差点に笠寺観音の立派な説明板。

兵火の為に荒廃し雨ざらしとなっていた観音像に、鳴海長者の侍女(玉照姫)が笠を被せた。その優しさが縁で、娘は都の公家・藤原兼平にみそめられ妻に。兼平は後に観音堂や僧坊を寄進し、寺を再興した。玉の輿、シンデレラ物語である。

西門から門前の商店街を行き、名鉄本笠寺駅を左に見て踏切を渡り、二又の道を右手へと進む。
裁断橋跡
裁断橋跡

笠寺から桜、呼続、堀田へと進む。この間街道らしいのは道幅と緩やかなカーブ。
山崎橋を渡り国道1号線を越すと伝馬町、JR東海道線までが八丁畷。JRを渡り名鉄常滑線をくぐると昔は神宮の門前町。左に裁断橋址と
姥堂。ここからが宮の宿。

裁断橋は擬宝珠に戦で息子を亡くした母が子を弔うための銘文が書かれているので有名。
さやみちの道標
さやみちの道標
西への道の突き当たり熱田伝馬町の角に道標、東海道と美濃路(佐屋道)の分岐点。裁断橋からこのあたりまでが宿の中心で本陣や旅籠が並んでいた。

       
 道標には
        東   北  さやつしま 道
             同  みのち
        南   寛政庚戌年
        西   東  江戸かいとう
             北  なこやきそ道
        北   南  京いせ七里の渡し
             是より北あつた御本社貮丁 道
熱田神宮
熱田神宮
先の道標を右へ行くと、宮の名の起こりとなた熱田神宮。

旧官幣大社、熱田大神を主神に天照皇大神、素戔鳴尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を相殿に祀り、三種の神器の一つ草薙の剣が御神体として祀られている。

名古屋では熱田さんと呼ばれ親しまれている。
宮宿の旅籠
宮宿の旅籠伊勢久(丹羽家住宅)
道標を左に行くと間も無く宮の渡し公園。
道路の向かいに2軒の古い建物、丹羽家住宅と
熱田荘

丹羽家住宅は昔は脇本陣格の旅籠で伊勢久と称した。
正面破風付の玄関が格式の高さを表している。
七里の渡し
七里の渡し
宮の渡し公園として整備された七里の渡し場跡で、常夜灯の他
時の鐘が復元されている。

ここには舟番所や御浜御殿などが有って、関所のような役割をしていた。

桑名までには木曽三川の湿地帯があり、それを避けて海上七里のルートを行くか、宮から北に迂回して陸路を行く佐屋道を通り、佐屋から川舟三里で行く2つのルートが有った。
熱田湊の常夜灯
熱田湊の常夜灯
七里の渡しの船着場にあって航行する船の貴重な目標になっていた。
寛永2年(1625)に建てられ、現在のものは昭和30年(1955)に復元された。

正面に見える水路が名古屋港、伊勢湾、そして桑名へとつながっている。




熱田の湊に着いて初めて水面に向かった時、何とも言われぬ感動に打たれた。
右手は堀川へ、正面は伊勢湾へと続く水路が延び、
一見川のようではあるが水の色も、音も、匂いも間違い無く海である。
昔の旅人が歩いて歩いてやっとこの渡しに辿り付いた時味わったその感動が、
自分にも伝わってくる様な気持ちがした。

今日の歩数 24,148歩




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