日本橋 所在地   東京都中央区
最寄駅   JR東京駅

品川へ   2里




平成10年(1998)12月27日(日)
暮れも押し詰まった12月27日、昨日から年末年始休暇に入る。
6時15分タクシーで駅まで、日の出前の朝焼けが美しい。気温3度、晴れ。6時44分発「ひかり334号」にて東京へ。
今朝のニュースはインターネット毒カプセル宅配事件の続報。
東京駅八重洲口を8時30分に出発、真っ直ぐに約200メートル進み、ブリジストン美術館を左に折れる。
ここが東海道、起点の日本橋へ。




日本橋
日本橋
日曜日の朝で車や人の往来が少なく写真を撮るのには絶好。
京橋側からの眺め、右は野村證券。

廣重の絵で有名なあの橋は石橋となり高速道路の下にある。
日本橋由来記の碑
日本橋由来記の碑

西北橋詰の花の広場にあり、ここは
高札場跡でもある。
西南橋詰の滝の広場には交番があり
晒し場跡

東南橋詰の乙姫広場には
日本橋魚市場発祥の地の碑がある。
江戸の頃から魚河岸が有った所。関東大震災の後築地へ移った。
東北橋詰の元標広場には
日本国道路元標のレプリカ東京市道路元標の柱がある。
道路元標
道路元標
橋の路面中央に元標が埋められている。
京都まで503キロ。

元標広場で掃除をしていたデパートの店員さんに記念写真のシャッターを押して貰う。

日本橋通を一路西へ。
日本橋から京橋、銀座、新橋にかけてデパートや有名店が立ち並び、大きなショーウィンドウの中でお華の先生が正月用の花を生けていたりして、歳の瀬を思わせる。

この道が国道15号線第一京浜国道で、横浜まで東海道と着きつ離れつする。
江戸歌舞伎発祥の地の碑
江戸歌舞伎発祥の地碑
京橋交差点の北東詰めにある。
寛永元年(1624)初代中村勘三郎がこの地で初めて興行をしたところ。
京橋
京橋
日本橋を発って京都に向かって初めて渡る橋なのでこの名がある。
今、川は埋め立てられて無く、明治18年の擬宝珠が記念に残されている。
道路の南側、警察博物館の前にある。

銀座発祥の地碑
銀座発祥の地碑

銀座2丁目の南側。
慶長17年(1612)幕府がこの地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置した。

この道を日本テレビ箱根駅伝の中継車が試走していた。
正月が間近であることを告げている。
銀座四丁目
銀座四丁目

地下鉄銀座駅入口と三愛ビル。
東海道で、いや日本でも一番賑やかな所。
銀座の柳の碑
銀座の柳の碑
新橋、ここも川は埋め立てられて無い。首都高速をくぐって左に、西条八十作詞、中山晋平作曲の「植ゑてうれしい銀座の柳、江戸のなごりのうすみどり・・・」の「銀座の柳」記念碑と柳の木がある。

賑やかなのもこの辺りまでJRのガードをくぐるとビジネス街になる。

芝大神宮の標柱増上寺の大門を右手に、浜松町の世界貿易センタービルを左手に見てしばらく進むと首都高速の下に金杉橋。ここまでが江戸市街の内とされた。

この先左手に雑魚場と呼ばれる漁師町があった。今は屋形船や釣り舟が沢山繋いである。
西郷隆盛・勝海舟会見の地碑
西郷隆盛・勝海舟会見の地碑
田町駅手前左、三菱自動車前に薩摩藩の蔵屋敷があった。
ここで江戸無血開城についての談判がなされた。
高輪大木戸跡
高輪大木戸跡
品川操車場を左に見て道路の左の小公園に石垣がある。
これが木戸跡、昔は街道の両側にあり、ここまでが江戸であった。


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