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所在地 神奈川県中郡大磯町 最寄駅 JR東海道線大磯駅 東海道第8宿 本陣3、 脇本陣0、 旅籠66、 問屋場2 総人口3,056、 家数676 小田原へ 4里 |
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地福寺 大磯の市街地へ入ってすぐ右手、少し入ったところにある真言宗の寺。 ここには昭和18年この地で没した島崎藤村と静子夫妻の墓がある。 この隣には戦後の混血孤児施設として有名なエリザベスサンダースホームがある。 |
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尾上本陣跡 大磯には石井、尾上、小島の三本陣があった。 しかしその名残は全く無くわずかに石碑に残すのみ。 |
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お饅頭屋新杵 街道が右に曲がるところにあるお饅頭屋さん。明治24年の創業ではあるが、街道に合った雰囲気のあるお店。 虎子まんじゅう、西行まんじゅうが名物。おみやげに買う。 |
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同志社大学創立者新島襄先生終焉の地 新杵の斜め向かい、街道のカーブに沿った三角地に、大きな石碑と解説板がある。 |
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旧蹟鴫立澤 街道が西へ向かう直線に入って間もなく、左手に鴫立澤がある。 道路から下がった所の小さな流れ。 昔西行法師が東路行脚のおりに詠んだ 心なき身にもあわれはしられけり鴫立沢の秋の夕暮れ 新古今の三夕、その鴫立澤がここ。 鴫立庵の標石、庵室、庭園、円位堂には西行の木像、法虎堂には虎御前の像、庭周辺には多くの歌碑や句碑がある。 |
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大磯の松並木 鴫立澤を過ぎたところが宿場の西の外れにあたる。この先西へと進むとやがて見事な松並木となる。 左手には西湘バイパスと小淘綾(こゆるぎ)の浜。大磯の海辺は万葉集にも詠まれた歌枕の地。西行の歌でいっそう名勝としての名が高まった。 大磯は日本最初の海水浴場であり、この浜をのぞむ海岸地帯には明治の名士の邸宅や別荘が並んでいる。 この先左手に伊藤博文の旧居で中国料理店になっている滄浪閣がある。 |
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六所神社の鳥居 街道の右手、六所明神とも呼ばれる相模の国の総社。 ここには国府本郷、国府新宿等の地名が残る相模の国の国府が置かれていた所。 左の海へ出ると大磯ロングビーチ。 |
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押切塚の一里塚 途中二宮辺りの火の見櫓の下に道祖神や天社神などの石神が集められているのに興味をひかれた。 押切川手前の右手に、史跡東海道一里塚の跡の石碑。 江戸より十八里とある。 |
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車坂 押切川の中村橋を渡りしばらく行くと、緩い下り坂になり海が見えてくる。 これが相模湾。間もなく右手に史跡車坂の木柱と説明板。 ここで詠まれた歌が紹介されている。 鳴る神の声もしきりに車坂轟かし降る夕立の空 太田道灌 浜辺なる前の川瀬を行く水の早くも今日の暮れにけるかな 源 実朝 浦路行くこころぼそさを浪間より出でて知らする有明の月 阿仏尼 |
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大山道道標 車坂の先右手に、彩色の不動さんを乗せた大山道の道標。 正面には従是大山道、左には大やまみちと彫られている。背後には秋葉山の灯篭と小さな石の社がある。 国府津の駅前を過ぎしばらく進むと小八幡。松並木の残る国道の左手に一里塚の解説板。小八幡の一里塚、江戸から19番目。 ほどなく酒匂川に架かる酒匂橋。正面に箱根の山並み、富士が見え隠れする。 昔は橋が無く、少し上流に渡し場があった。これを渡るといよいよ小田原である。 |
小田原の宿を通り箱根への上りにかかる板橋見附までを今回の行程とした。 最寄の箱根登山鉄道の箱根板橋駅から小田原へ戻る。 車内は箱根へ行ってきたハイカーのリュック姿が多い。 小田原にて新幹線に乗り換え帰路に着く。 次回はいよいよ箱根八里の峠越え。 今日の歩数 43,701歩 |