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所在地 滋賀県大津市 最寄駅 JR東海道線大津駅 東海道第53宿 本陣2、 脇本陣1、 旅籠71、 問屋場1 総人口14,892、 家数3,650 京・三条大橋へ 3里 |
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一里塚跡碑 草津の宿を出ると右に歌枕の地の野路の玉川の小公園。 その先左、月の輪池の前に東海道立場跡碑。 JR瀬田駅に向かう大きな通り・医大通りの角に一里塚碑がある。 |
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建部大社 左に近江国一之宮、延喜式名神大社の建部大社の大きな石柱と石の鳥居がある。 祭神は日本武尊、天照皇大神、大己貴命。 右に曲がると瀬田の唐橋。 |
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瀬田の唐橋 都への関門、壬申の乱以来何度も戦の舞台となった橋。中の島を挟んで東の大橋と西の小橋が架かる。橋の東詰に龍王宮道標、先に龍王宮と秀郷社。 俵籐太秀郷が瀬田川に住む竜に頼まれて、三上山の大ムカデを退治した伝説にちなんだ社。 橋を渡って京阪電鉄石坂線を越え左に御霊社。壬申の乱で大海人皇子と戦った大友皇子が祀られている。 |
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勢多口総門跡 橋を渡り混雑する交差点を右折、東海道線のガードをくぐりしばらく行くと、右に粟津中学校。正門の脇に粟津の晴嵐の標柱、近江八景の粟津の地。 膳所の城下に入り、京阪・瓦ヶ浜駅の手前に勢多口総門跡がある。 この辺りから道は右に左にと曲折する。城下町特有の曲がり。 |
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あげ店のある古い民家 若宮八幡を左に過ごすと古い町並みになる。 べんがら格子にあげ店があり、2階は塗り込め造り。 子供時代を過ごした京都の家のそばにも、この様な造りの家が沢山有って、懐かしさが込み上げてくる。 |
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義仲寺 篠津神社、縁心寺、和田神社、石坐神社をいずれも左手に見て馬場1丁目に入ると膳所城北総門跡。その先左に義仲寺。義仲と芭蕉の墓、そして多くの句碑がある。 木曽義仲の菩提を弔う為、巴御前が墓のそばに草庵を結んだのが始まり。 義仲を愛した芭蕉はここに無名庵を営み、俳諧名士の往来が頻繁であった。 芭蕉の死後遺言により、遺骸は義仲の墓の傍らに葬られた。 木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄 |
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大津事件碑 石場駅手前で京阪の踏切を渡る。右手に蹴鞠の神社の石柱の立つ平野神社。この辺りから大津の宿。古い町並みが続く。 京町2丁目の左に大津事件碑。碑には此付近露国皇太子遭難の地とある。 明治24年(1891)日本訪問中のロシア皇太子を警備の警察官が切りつけた事件。 |
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札の辻 京町1丁目で東海道が、浜大津から来た道、京阪電鉄京津線の電車道に突き当たる。交差点の西南角に札の辻の標柱と道標、大津市道路元標がある。 |
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街道を行く京阪電鉄京津線 京都京阪三条(三条大橋)から浜大津までを結ぶ電車。この様に路面を走る区間が多い。急坂急カーブの多いのが特徴。 昔は『びわこ号』という流線型の2連接電車が走っていた。 |
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大津本陣跡 札の辻で左折して間も無く左手、滋賀労働基準局の隣に大津本陣跡。 明治天皇聖跡の大きな石碑の横に大津本陣跡の標柱が立っている。 札の辻からこの辺りまでがかつての大津宿の中心地。 今の繁華街はもっと浜よりに移動している。 この先逢坂の関を越えると、いよいよ京の都に入る。 |
11月の初旬だのに午後4時を過ぎると、日差しが翳ってきて写真が撮りづらくなった。 予定ではもう少し先まで行く積もりだったが、石山で初日の行程を終わる。 予約してあった大津のホテルに入り、明日の三条大橋ゴールの前夜祭、一人で祝杯をあげる。 今日の歩数 39,794歩 |