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所在地 三重県鈴鹿郡関町 最寄駅 JR関西本線「関」駅よりバス「伊勢坂下」下車 東海道第48宿 本陣3、 脇本陣1、 旅籠48、 問屋場1 総人口546、 家数153 土山へ 2里半 |
平成11年(1999)8月9日(月) 長崎原爆54回目の慰霊の日 この6月に東の難所箱根の峠を越え、東海道も残るは西の難所鈴鹿の峠と近江5宿となった。 8月の炎天下どこまで耐えられるか一抹の不安はあるが、1泊2日の予定で出発。 関西本線関駅下車、関宿の真中から坂下宿、鈴鹿峠へと向かう。 |
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筆捨山 関宿の西の追分から国道に出ると、間も無く右手に転び石。 国道から右に折れ鈴鹿川を渡ると一之瀬地区、ここに常夜灯。 国道を横切ると正面に西願寺、ここにも常夜灯。 国道に出て鈴鹿川沿いに上って行くと左に大きくカーブ、筆捨茶屋の立場。 廣重「坂之下 筆捨嶺」に描かれた景勝地。 |
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一里塚跡 筆捨山は廣重の絵では奇岩怪石が大きく描かれているが、今は木々が覆い所々に岩が見える程度。 国道を登って行くと左手の土手の上に一里塚跡の碑が立っている。 すぐに国道と別れ右へ、のどかな山道になる。 左右木陰を求めながら歩くうちに鈴鹿馬子唄会館。 |
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大竹屋本陣跡 河原谷橋を渡ると坂下宿。 昔は峠をひかえ上り下りの旅人でたいそう賑わった宿で、大きな旅籠が並び本陣、脇本陣の規模も有数であったと言われる。 街道の左手に松屋本陣の跡、左手茶畑の中に大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡の石碑が立つ。 |
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小竹屋脇本陣跡 街道の右、畑の中に石碑。 鈴鹿馬子唄に 坂の下では大竹小竹 宿がとりたや小竹屋で とあり、坂下宿の本陣大竹屋に泊まるのは無理だが、せめて脇本陣の小竹屋に泊まってみたいものと唄われ、当時の繁栄が偲ばれる。 |
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片山神社 身代地蔵、大道場・岩屋十一面観世音菩薩碑を過ぎ、国道から分かれ左に入ると元坂下。この辺りが昔の坂下宿。慶安3年(1650)9月2日の大洪水で壊滅し、10町ばかり東へ移された。 神社参道の杉木立を通り突当たりが鈴鹿大権現とも呼ばれる片山神社。 神社の左手より鈴鹿川が流れ落ち、右の急坂を上るのが東海道。 |
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苔むした石畳 峠への道は阪路八町二十七曲りと言われる厳しい上り坂。 坂の左手に芭蕉句碑 ほっしんの 初めにこゆる 鈴鹿山 芭蕉 同じく左手に馬の水のみ場。街道を上り下りする人馬の為に水溜が置かれていた。 |
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田村神社舊蹟碑 峠の最高部、昔ここに田村神社があった。 田村明神とも言い坂上田村麻呂を祀ったものだが、今は坂下の片山神社に合祀されている。 謡曲「田村」では坂上田村麻呂が清水観音の加護により鈴鹿峠の鬼を平らげる。 |
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鏡岩からの眺め 峠から少し脇にそれると、三重県指定天然記念物鈴鹿山の鏡岩がある。 肌面2メートル四方の硅岩で俗称「鬼の姿見」と言われ、昔は岩肌が鏡のように輝き、峠を上がってくる旅人の姿がこれに映るのを見ていて、盗賊が襲ったと言う伝説がある。 垂直に切り立った岩のはるか下を。国道が幾重にも重なって峠へと上ってくるのが見える。 |
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万人講石灯籠 やがて広い平地に出る。峠の茶屋が有った所。ここに巨大な万人講常夜灯がある。 四国金毘羅参りの常夜灯で、江戸中期に道中安全を祈願して建てられたと言う。 ここから少し下がると国道に合流する。そこは滋賀県土山町。 振り返ると国道の先はトンネルで、その上に万人講石灯籠が聳えていた。 |
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山中一里塚公園 峠を越え近江側に入ると、なだらかな下りとなり国道を歩く。エンジンブレーキをかけながら大型トラックが猛スピードで追い越して行く。単調な下り。 左手に十楽寺、右手に鈴鹿馬子唄の碑、東海道鈴鹿山中の碑と石灯籠、地蔵堂。 空高く聳える第二名神のコンクリート橋をくぐると、間も無く山中一里塚公園。 鈴鹿馬子唄の碑と馬と馬方を模した石像がある。 |