関 在地   三重県鈴鹿郡関町
最寄駅   JR関西本線関駅

東海道第47宿

本陣2、 脇本陣2、 旅籠42、 問屋場1
総人口1,942、 家数632

坂下へ   1里半6丁




関の小万のもたれ松
関の小万のもたれ松

大岡寺畷から関西本線を渡り国道1号線に入り少し行くと、右斜めに分かれる。
その分岐点に
関の小万のもたれ松関宿重要伝統的建造物群保存地区の標識

関の小万、これも仇討の話。元禄年中、久留米藩士小野元就に殺された牧野左衛門の妻は、仇を尋ねて身重の身体で関まで来たが、旅籠山田屋で女子を産んで亡くなった。山田家の主人は、この子を小万と名付けて養育、亀山藩の加賀完斎の許に剣術修行に通わせたが、小万18歳の時仇を発見、本懐をとげた。この松は仇討修行のため亀山へ通う途中、戯れかかる若者を避けるために隠れた松との伝説がある。
東の追分
東の追分
小万のもたれ松からすぐに東の追分。これは伊勢別街道との分岐。
大きな木の鳥居、
伊勢神宮の一の鳥居があり、常夜灯道標がある。

ここには
一里塚もあり、関宿東の入口である土居も有ったところ。

関の家並
関宿の家並
昔の家並が良く保存されている。

霧除け庇に揚げ店、格子造りに塗籠壁、虫籠窓などその一つ一つが郷愁を感じさせてくれる。

代表的な家には、その家の歴史や建築に付いての説明が掲げられている。
関まちなみ資料館
関まちなみ資料館
宿の中ほど左手。

江戸時代に建てられた建物はそのままに、宿場町での人々の暮らしを再現。
関宿に関する歴史資料が展示されている。

町並み文化センターでは食堂と地元のお土産を扱っている。
伊藤本陣跡
伊藤本陣跡
宿の左手、伊藤本陣跡。石碑と入口に解説板が懸かっている。
その向かいに
川北本陣跡の石碑。。
桶重の看板
桶重の看板
今も現役の桶屋さん。その看板が実に良い。
関宿旅籠玉屋歴史資料館
関宿旅籠玉屋歴史資料館
宿の右手、当時栄えた旅籠玉屋が昔の姿そのままに再現され、公開されている。
「関に泊まるなら鶴屋か玉屋、またも泊まるなら会津屋か」と唄われた。
銘菓関の戸の深川屋
銘菓関の戸の深川屋
江戸初期寛永年間の創業、13代350年続いた街道の銘菓「関の戸」のお店。漉餡を牛肥で包んで和三盆でまぶした小さなお菓子。

唐破風庵看板、虫籠窓、連子格子、大戸、すり上げ戸、三和土、畳敷きのお店。
店内には帳場格子に囲まれた帳場、机の上には大福帳と算盤、その他の商売道具が並んでいる。
何もかもが歴史を感じさせる、関宿を代表する建物であり、お店である。
地蔵院
地蔵院
宿の右手に
福蔵寺ここには小万の墓が有る。

その先左手に地蔵院、九関山宝蔵寺、天平13年(741)行基菩薩の開創。
「関の地蔵に振り袖着せて奈良の大仏婿に取ろ」と唄われた日本最古の地蔵。

地蔵と一休禅師とふんどしの伝説があり、そのふんどしが寺宝とか。
西の追分
西の追分
やや上り坂になって家がまばらになると、そこは宿の外れ、西の追分。
刑場跡でもあり髭題目碑に「ひだりはいがやまとみち」と刻まれている。

伊賀、大和への大和道の分岐で、東海道は国道1号線と合流する。

この先は坂下宿、鈴鹿峠への上りになる。




この先は交通の便が極端に悪くなるので、日を改めての計画とする。
帰りの関から亀山方面への電車は何と一時間に一本、おもいっきり待たされた。
関は同じ町並み保存地区とはいえ、高山や馬籠・妻籠のように観光地化されておらず、
今日の日曜日でも観光バス1台、他は家族連れが数グループ程度。
町そのものが昔のままに暮らしており、生きている。外から見物に行くには気が引けるようだ。
田圃には水が入って代掻きの最中。鶯と雲雀の声が何時までも耳に残っている。


今日の歩数 14,678歩




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