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所在地 三重県鈴鹿市 最寄駅 JR関西本線加佐登駅 東海道第45宿 本陣1、 脇本陣1、 旅籠15、 問屋場1 総人口855、 家数211 亀山へ 2里 |
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庄野の家並 石薬師の一里塚から関西本線を渡り、国道1号線を鈴鹿川右岸に沿って遡るように進む。この辺りが廣重の「庄野 白雨」に描かれた所。 国道から右に折れ、次の交差点右がJR加佐登駅、左へ曲がると庄野宿。 石薬師から25丁、御油・赤坂間に次いで宿間距離が短い。 |
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鈴鹿市指定建造物旧小林家住宅 庄野宿には昔の面影がかなり残っている。 |
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庄野宿本陣跡 宿の中程右手、鈴鹿市役所庄野支所の前に庄野宿本陣跡の石碑。 その左に距津市元標九里拾九町の石柱。 向かいには高札場跡。 |
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霧除け庇のある民家 格子造りに二重の庇、下の庇の下に幅1尺程の板のスカートが付いている。 |
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川俣神社 宿の外れ、右手にある。 中冨田、西冨田にも同じ川俣神社が有る。 この先で国道に突き当たり、合流し、すぐ左に分かれ民家の中、農村地帯を行く。 |
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女人堤防の碑 汲川原町の左手の大きな碑。足下に「従是東神戸領」の領界石が有る。 ここは安楽川と鈴鹿川の合流点。度々の水害に困った村人が堤防構築を藩に願い出ても許されず、たまりかねた村の女達が、女なら捕らえられても罪が軽いだろうと、夜間にこっそりと役人の目を盗んで堤防を築いた。しかし女達は捕らえられ処刑される寸前に家老の嘆願で助かり、むしろ功をねぎらって金一封が贈られた。と言うウーマンパワーのお話。 |
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中冨田の川俣神社 「従是西亀山領」の領界石が有る。 西冨田にある3つ目の川俣神社を過ぎ、安楽川の和泉橋を渡る。 井田川町で関西本線を渡り、井田川駅を左に見て今度は国道1号線を渡る。 再び国道を横切ると右手に大きな髭題目碑と民俗資料法悦の供養塔の木柱。 この辺り昔の刑場跡とか。 |
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和田の一里塚 この先国道1号線と合流するところを右に折れ、長い坂を上った左手に一里塚。 平成5年に復元されたとかで、綺麗に整備された所に有る。 |
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能褒野神社の鳥居 この先左手には亀山ローソクの本社工場。 右手に能褒野神社の鳥居。 鳥居からおよそ3.5キロ先、安楽川の向こうに能褒野神社。日本武尊が東征の帰途ここで没したと伝えられている。神社のそばに王塚と呼ばれる能褒野陵(白鳥陵)がある。 220メートル四方の巨大前方後円墳、寄ってみたかったが寄り道にはちょっと遠い。 |
今回の行程は亀山城址で終わる。春を一気に通り越して初夏の陽気で真っ赤に日焼けした。 これからは帽子が必要。 今日の歩数 37,330歩 |