四日市 所在地   三重県四日市市
最寄駅   JR関西本線四日市駅

東海道第43宿

本陣2、 脇本陣1、 旅籠98、 問屋場1
総人口7,114、 家数1,811

石薬師へ   2里半9丁




三滝橋
三滝橋
三滝川(三重橋)に架かる三滝橋。廣重の「四日市 三重川」の描かれた場所。
この橋の手前から四日市の宿に入る。
なが餅の笹井屋
なが餅の笹井屋
橋を渡ってすぐ左手。創業天文19年(1550)の老舗。

藤堂高虎が足軽時代に「武運ながき餅は幸先よし」として気に入り、津藩主となった後も参勤交代の折に立ち寄ったという言い伝えがある。
すぐ江戸道の道標
すぐ江戸道の道標
宿の中心地中部町にある道標。文化7年(1810)建立、すぐは真っ直ぐの意味。
側面には指さしした手の形のレリーフが彫ってありとてもユーモラス。

この辺りに本陣、脇本陣、問屋場、高札場があったが、今は何も残っていない。

国道1号線を渡ると突き当たりが
諏訪神社、四日市の産土神。
アーケードの商店街
アーケードの商店街
諏訪神社で左に折れると、そこは「スワ栄アーケード」の商店街。

日本橋から四日市まで色々な東海道を歩いてきたが、屋根のついた東海道はここが初めて。

アーケードを抜け、右手に近鉄四日市駅を見ながら中央通りを渡る。
街道の民家
街道の民家
中央通を渡り四日市の宿を出ると、静かな東海道に戻り、交通量も少なく安心して歩けるようになる。

近鉄名古屋線を渡り近鉄内部線に沿って歩く。
日永の一里塚跡
日永の一里塚跡
赤堀を過ぎ鹿化橋を渡ると右手に
大宮神明社。天白橋を渡ってしばらく行くと右手に日永神社

日永神社から程無く右手に日永一里塚跡。塚や榎は無く跡を示す石碑のみ。
日永の追分
日永の追分
江戸から来た東海道がここで京と伊勢とに別れる分岐点。上りの立場があり、茶店で旅人が一息ついた所。

今は国道1号線と国道23号線の分岐で車の往来が激しい。
交差点の中洲に伊勢神宮の二の鳥居や大きな道標、手水鉢、常夜灯などが集められている。
采女橋跡
采女橋
日永の追分からナローゲージの近鉄内部線を渡り旧道に入る。しばらく歩いて右側に
大蓮寺小許曾神社

そのまま進むと内部川に出る。この場所に昔は木の橋が架かっていて采女橋と言った。「日本武尊御悩みの時三重の群家より采女出て御介抱し奉る」とありここから采女村となり、今は采女町。
杖衝坂
杖突坂
東征の最後に伊吹山の荒ぶる神に向かっていた日本武尊、雨の中巨大な猪にまどわされて疲労し、この坂にたどり着いた時には杖をついて歩くのがやっとだった。

このため坂には「杖衝き」の名が付いた。
坂の途中に
史跡杖衝き坂の碑芭蕉句碑がある。

    
 歩行ならば 杖衝坂を 落馬かな     芭蕉
貞享4年(1687)伊賀に帰る途中、芭蕉がこの坂で落馬したときに詠んだと言われる季語の無い句。
菜の花と民家
菜の花と民家
坂を上りきったところ一面に菜の花畑、思わずきれいー!と叫んでしまった。
まさに日本の春である。




1月17日は桑名から四日市、日永の追分まで。
同じ東海道でも、この辺りまで来ると伊勢地方に多い妻入りの民家が目に付くようになり、風土の違いを感じる。
(日永の追分からは三ヵ月後の4月11日、桜は盛りを過ぎ、菜の花が眩しいくらいに咲いて、雲雀が盛んに囀っていた。)

今日の歩数 39,921歩




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