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伊賀街道独歩記
いがかいどうひとりあるき
伊賀街道ウォーク その3
平成19年5月24日(日) <その1>
先回で長野峠を越えたので、後は伊賀上野を目指して歩くだけ。服部川に沿って下って行くので全体としては楽な道中となるはずだ。ただ中之瀬から荒木までの旧道がどんな道か難易度が分からずちょっと不安が残る。
これからは雨の季節がやって来て、週末を待っても必ずしも好天になるとは限らない。そこで天気の安定している今のうちに決行しようと昨日の夕食時に決めた。
家内に駅まで送って貰って朝一番の電車で名古屋へ。名古屋からは名鉄バスセンター発の三重交通高速バスで伊賀上野、上野産業会館前まで。そこからは更に三重交通バスの汁付行きに乗る。前回の終着点である川北まで乗車、降りたら今回もウグイスの囀りが歓迎してくれた。
平松宿から平田宿へ
「国道163号線を行く」
川に沿った小さな集落の川北を10時30分に出発する。天気は快晴で、川辺の藪から絶え間なくウグイスの囀りが聞こえる。紫外線除けに帽子を被り、サングラスを掛ける。川向こうには『さくら公園』の看板が見える。こんどはヒバリも鳴きだした。賑やかなことである。
「木の館豊寿園」
左手に服部川を見ながら、真っ直ぐな国道をひたすら歩く。大型トラックやダンプが多く、歩道の無い所では右側通行厳守、向かってくる運転手の顔を睨むように見て、自分に気付いてくれているか確かめながら歩く。これ街道歩きの鉄則である。
右手に『木の館』と言うのがある。看板によると『自然の森、花と10,000坪の山庭園、近畿東海地区を代表する花木の里、大木の博物館、ほんまもんの木造建築美』などとある。どのような施設なのだろうか。ここから川は右に大きくカーブし、国道もそれに沿って進むが、街道はそれから外れ弓の弦のように短絡する。
「出後橋」
川北を出て次の橋が出後橋(いずごばし)。国道から左に折れ、出後橋で服部川を渡る。
「さんまい」
川を渡ったすぐ右手に四角く生垣で囲われたところがある。中を覗くと木の墓標が沢山立っている。これはこの辺りで『さんまい』と呼ばれ、墓石の無い墓地である。五月晴れの昼間とは言え、墓標がどれも、少しずついろんな方向に傾いているのが、何となく不気味だ。
「常夜灯」
やがて左手に素朴な形をした常夜灯がある。その棹部分には明治二十四年と刻まれている様に見える。その向かいに『出後ふるさと常夜灯公園』があり、一休みして行ける様になっている。ここで暑くなってきたのでベストを脱ぐ。
「万像寺」
集落の家並みの左奥にお寺がある。『森羅山万像寺』の表札が掛かり、『新四国第十四番観音霊場』の石柱が立っている。山門の左には古い墓石がピラミッドのように積まれ、それが二つもある。その中には元禄年号の刻まれたものも見られた。
「街道筋の家」
この先にも出後の集落が続く。中には蔵があり周りを瓦葺きの塀で巡らした立派な屋敷もある。
「水田と麦畑」
集落を出ると農地となる。左には田植えが済んだばかりの水田が広がり、右手には色付いた麦畑が広がる。麦畑からヒバリが舞い上がり、足元では田へ水を送る用水の音が聞こえる。初夏らしい景色と音だ。
「下河原橋」
畑の中で右に曲がると、やがて旧道の痕跡が消えるので、左の県道6号上野大山田線に出て下河原橋を渡って国道に至る。この辺りは昔の大山田村の中心地で橋の手前には教育センターやB&G海洋センター、橋を渡った国道の向こうには大山田支所(旧村役場)、福祉センター、消防署、大山田中学校などが集まっている。
平田宿
「エノキの大木」
この辺りならお昼を食べるところが有るだろうと思って何も用意せずに来たら、見渡す所食堂らしきものは何も無い。仕方なく、ちょっと惨めな気持ちになって、国道の信号交差点から西へ向かう。すぐ先にエノキの大木が見え、そこから街道は斜め右に分かれ平田宿へと向かう。この大木は昔から旅人の目印になっていたのに違いない。
「祠」
エノキの大木の下に小さな祠があり、前に『庚申尊、奉燈、平田宿』と彫られた線香立が有る。手元の資料には水神社とあるのだが・・・、これは庚申堂か?
食堂が見当たらずガッカリしていた所で、中電の検針のオバサンを見つけ、聞いてみたら親切に教えてくれた。国道のすぐ先に有るとのこと。早速、そこで昼食をとることにした。
「植木神社」
腹ごしらえが出来て、もう安心、午後の部を歩き始める。
エノキの大木から国道を斜め右に分かれるとすぐ右手に森が有り、そこが『植木神社』。ここの祭礼が三重県の指定無形民俗文化財の祇園祭で、入り口にそれを示す石柱と解説の碑がある。7月に神輿や山車、花太鼓などが出て賑やかに執り行われるとか。
境内に芭蕉の句碑がある。
枯芝や やゝかげろふの 一二寸 芭蕉
「だんじり小屋」
神社の隣の背の高い建物が東町のだんじり小屋で、祇園祭の山車が入れられている。街道はここで左に曲がり、宿の中心部へと真っ直ぐに進む。
「宿の街並み」
宿の家々は切妻平入りのツシ二階の格子造りで、二階の壁は黒の漆喰壁である。
「つばやのせえろく餅」
左にある中町のだんじり小屋の先が「つばや」。この「つばや」は祇園祭の時に奉納する「せえろく餅」を作る老舗の和菓子屋で、今では平田宿の名物菓子として毎朝作るようになったと言う。お土産にその「せえろく餅」を買う。お店の若主人がいろいろな話を聞かせてくれた。「昔は旅籠をしていてその頃の宿帳が残っている」とか「すぐ先の家の破風や飾瓦が珍しいので見て行きなさい」など。
「宿の家並み」
「つばや」の並びに切妻妻入りの二階建ての家がある。二階は雨戸が閉まっているが、この建て方は先の平松宿にあった旅籠「いたや」と同じ造りである。きっと旅籠だったに違いない。妻入りと平入りとが混在しているところが面白い。
「特徴のある破風飾と飾瓦」
この家の二階の妻の大きな破風には大きな木彫りの鶴が羽を広げている。小屋根の上の飾瓦は波の模様で、鯉に人が跨っているのも見える。
「札の辻」
宿の真ん中で鍵形に道が曲る。ここが札の辻で瓦屋根の乗った小さな祠がある。ここには津嶋神社が祀られている。
「旅館梅屋」
左に今も旅館をしている『梅屋』がある。昔は染物屋、それから料理屋、料理旅館へと変わってきた。庭の灯籠に江戸中期の銘が有り、庭に有った梅の木から梅屋になったとか。
『まちかど博物館』や『まちかど観光案内所』の小さな看板が掛かっており、家の前には『伊賀街道』の木製標識も立っている。
「西町のだんじり小屋」
虫籠窓のある酒屋さんや、格子造りの家があって、その先右手に西町のだんじり小屋がある。この建物はまだ新しいが、ここの瓦にも飾が施されている。
「八王子社」
だんじり小屋の先に石の鳥居のある八王子社跡がある。お宮は現在植木神社に合祀されており、今は祇園祭のお旅所になっている。
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