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飯田街道独歩記

いいだかいどうひとりあるき



飯田街道ウォーク その2

平成18年5月22日(月) <その1>



4月1日に飯田街道を歩き始めた。名古屋の都心、堀川の伝馬橋をスタートして、栄、吹上、杁中、八事を通り、植田、平針、赤池まで来て初回を終わった。このルート名古屋から豊田へ向かう幹線で周りは商業地、住宅地、そして文教地。今、日本で一番元気な名古屋と豊田を結ぶ道だけに、兎に角、車が多いのには閉口した。この街道筋は、今は名前だけで、殆んど昔の姿を残して居らず、ただ歩を重ね距離を稼ぐだけの街道歩きであった。
さて、今日はこの続きの赤池から日進、米野木、三本木、三峰峠を越え、田籾、保見、四郷までの予定、さてどんな景色や風物が待っていることやら、楽しみな<その2>である。

家内に駅まで送ってもらって、久し振りの街道歩き。JR東海道本線の電車で金山へ。地下鉄に乗り換えて鶴舞線の赤池まで。9時40分赤池着。地上に出て左手へ少し戻るような格好で飯田街道(県道58号名古屋豊田線)へ出る。



赤池から米野木へ

「赤池2北交差点」
地下鉄鶴舞線赤池の駅で下車、トイレを済ませ、地上へ出て、駅前広場のベンチで街道歩きのスタイルに整える。帽子を被り、顔・首筋・手首に日焼け止めクリームを塗り、サングラスをかける。胸のポケットにはICレコーダとボールペン。ズボンのバンドにデジカメケースを通し、歩数計を留める。靴紐はダブルの蝶結びにして解けないように。ナップザックを背負い、手には地図。これが何時ものスタイル。
駅前の道を斜め左に戻るように進むと、先回の終着点とした赤池の三叉路に出る。交差点には見覚えのある大きな日本料理屋さんがある。ここで9時45分、歩数計をリセットした。ここから再び街道歩きが始まる。飯田街道の県道58号豊田名古屋線を西へと進む。歩き始めて直ぐの交差点が、国道の飯田街道、153号線でこれと直角に交わる。赤池に道標が有るとの事で、そこら辺りを探したが見当たらなかった。

赤池北2交差点


「浅田の古い建物」
交差点を過ぎ、狭く交通量の多い道を進む。この道何故かダンプカーが多い。歩道の無い道は「用心用心」で、なるべく右側を、対向車の運転手の顔を見ながら歩くようにする。浅田のバス停の右側に蔵や納屋が三棟並んでいる。黒い腰板にいろいろな広告が張られ、中にはレトロで、マニアが欲しがる琺瑯のものもある。

浅田の古い建物


「マスプロ電工」
右手にマスプロ電光の工場がある。さすがはアンテナ屋さんだけあって入口に大きなパラボラアンテナがどかんと座っている。

マスプロ電工の工場と美術館の看板


「マスプロ美術館」
工場に続いてマスプロ美術館の建物がある。稼ぐだけではなく、このような文化事業もやっているのはエライと思う。入口の看板には「有田、古九谷手、柿右衛門、鍋島古窯群、美濃、瀬戸、猿投古窯群、文明開化、江戸期浮世絵」とあり、覗いてみたいが時間が惜しいので通過する。

「聖人塚」
名も無い川の橋を渡ると、左手に木の繁みが見える。近寄るとそれは塚で、大きなマウンドになりその上に何本かの木が生えている。その前に日進市教育委員会が作った解説がある。それには『「ショウネヅカ」と呼ばれるこの塚の由来は不詳ですが、昔ある僧が、鈴を持ち「音がしなくなったら入定(死去)したと思ってくれ」と言い残し生きながら土中に入ったと言い伝えがあります。また、「長州府誌」宝暦2年(1752)に、「野方村の西に在り、俗伝に、比丘あり、ここに入定す。然るにその人如何なるを知らず。」(原漢文)と記述されていることから少なくとも江戸中期以前から言い伝えられていると考えられます。同様な伝承があるものに赤池五丁目の「お塚様」があり、ここでは、子供を守ってくれるとか、できものを治してくれるなどとも言い伝えられています。なお、現存するこの他の塚に、藤島町相山の「念仏塚」があります。』とあった。

聖人塚


「野方三ツ池公園」
塚の向かい、街道の右手には公園があって、土手に上る階段が付けられている。その向こうは池のようだが、街道からは水面を見る事が出来ない。二枚の写真のある看板が立っており、それには「野方三ツ池公園」とある。

野方三ツ池公園


「屋根の古い家」
公園の左先に、昔は茅葺屋根だったと思われる大きな農家がある。

「祠と常夜灯とお堂」
その先左、野方のバス停の所に津島神社の小さな祠と、昭和8年(1933)建立の秋葉山の常夜灯、その先にお堂が並んでいる。

祠と常夜灯とお堂


「お堂の中の石仏」
お堂の中には4体の石仏が祀られており、上に吊られている提灯によると、右から不動明王、毘沙門天、観世音菩薩、弘法大師のようだ。何でもないような小さなお堂なのに中は丁寧に管理されている。

お堂の中の石仏


「日進市市街地」
小さな流れを橋で渡ると左手に日進郵便局、国旗と郵便マークの旗が翻っている。その先は日進市の市街地となる。

「鉄道忘れ物の店」
突然、右手に踏切警報機が現れた。こんな所に鉄道の廃線跡が有ったかと不思議に思ったら、右手のお店の看板に「鉄道忘れ物の店、国鉄・私鉄・その他諸官庁払い下げ品」とあった。お店に張り紙があり「4月22日をもって店じまいしました」とあった。

鉄道忘れ物の店


「農協のサイロ」
左手に農協の園芸店があり、その奥には大きなサイロが何基か聳えている。

農協のサイロ


「市スポーツセンター」
農協の向かい側、街道の右手に、少し奥まって屋根がドーム状になった大きな建物がある。日進市のスポーツセンターとか。

市スポーツセンター


「市役所前、蟹甲町交差点」
次の交差点が蟹甲交差点。手前に日進市役所のバス停があり、道路の上に懸かっている道路案内標識には、直進が豊田、右が豊明、左が瀬戸になっている。

市役所前、蟹甲町交差点


「お地蔵さん」
次の浅間下交差点で県道57号瀬戸大府東海線を横切る。その先右手の用水脇にお地蔵様がある。可愛い縮緬の前掛けをして、綺麗な花が供えられている。拝んでいると、この前掛けを縫って着せている人の姿が瞼に浮んできた。

お地蔵さん


「藤枝橋」
天白川の藤枝橋を渡る。天白川もこの辺りまで来ると川幅は狭い。

藤枝橋


「常夜灯」
藤枝橋を渡って、川沿いを左に少し入ると秋葉山の常夜灯が立っている。これには文化十年(1814)酉十月と刻まれている。街道沿いに有ったものが道路工事か何かで、ここに移されたものだろう。

常夜灯


「古い納屋」
その先右手に、白壁に黒い腰板の納屋のような建物がある。何でもないこんな建物でも見付けると嬉しくなるくらい、この辺りには古いものが残っていない。

「田植え」
右手ヤクルトの工場を過ぎると水田が現れ、田植えの済んだ田に夫婦らしき人が二人入って作業をしている。田植え機で植えた後の手直しをしているのだろうか。こんな風景を見たのは久し振りだ。

田植え





米野木から三峰峠まで

「米野木交差点」
左手に保育園、福祉会館、農協があって、間も無く交差点になる。県道233号岩作諸輪線を横切る。交差点先の左手に消防小屋があって、その前に火の見櫓があり、半鐘が懸かっている。

米野木交差点


「下五反田の三叉路」
下五反田の交差点で道は二つに分かれる。直進が豊田方面の飯田街道。右斜めに進むのが県道231号米野木莇生(あざぶ)線で東名三好インターや愛知大学方面へ行く。
この莇生が読めなかったので帰ってから漢和辞典や地図で調べた。「莇」はチョ、ジョ或いはショ、ゾと発音し、意味は草の名前のくこ(枸杞)の事。これでも読めないので地図を調べたら三好町に莇生という所が有り(あざぶ)とルビがふってあった。これは難読地名である。
黒い雲が現れて、今にも雨が降り出しそうな気配になってきた。今日の予報では雨は降らないことになっているのに〜。

下五反田の三叉路


「古い蔵」
少し先へ進むと、左手に古い蔵が建っている。一階の壁面は傷んでいるがどっしりとして風格がある。この後には凄くモダンな家が建っていた。

古い蔵


「馬頭観音」
目の前に東名高速があり、その手前、左の土手の上に祠がある。左右には「南無阿弥陀仏」と彫られた石柱が立っている。祠の中には石仏が祀られているが、多分馬頭観音ではないかと思われる。

馬頭観音


「東名をくぐる」
手前に信号があって、この先で東名のガードをくぐる。東名の右手は東郷のサービスエリア、左手は日進ジャンクション方面。

東名をくぐる


「愛知用水柿の木橋」
程無く愛知用水の柿ノ木橋を渡る。

愛知用水柿の木橋


「古い家」
柿ノ木橋を渡った先左手に古い大きな家がある。切妻平入り二階建て、殆んど道路に面しているみたいだが、手前には瓦の乗った黒板塀がある。街道には良く似合う家だ。

古い家


「行者様・庚申様・三十三観音」
中三本木の信号の左、コンビニの手前に無住のようなお寺がある。中に入ると右に小屋掛けの浄水、正面に本堂、左手には手前から観音堂と、小さな庚申堂、行者堂が並んでいる。建物はきちんとして荒れてはいないが、門柱に寺の名も無く、人の気配が全くない。

行者さま、庚申様、三十三観音


「三十三観音」
観音堂を覗いたら三十三体の観音様の石像が祀られ蝋燭や綺麗なお花が供えられていた。この辺りの地域の人が守っているのだろうか。

三十三観音


「神明社社標と常夜灯」
しばらく歩いたところ、左手に入る道の脇に、秋葉山の常夜灯と神明社の社標の背の高い石柱が立っている。ここの常夜灯の建立年は読む事が出来なかった。この側に、布で「守ろう水源の森」と書いた幕が張られ、ハンカチくらいの黄色の布に訴える言葉が書かれ、沢山吊られている。

神明社社標と常夜灯


「お寺」
次の信号の左にお寺がある。入った左手には鐘撞き堂が有るが、ここもお寺の名前が何処にも書かれていない。何故だろうか?

お寺


「古い屋根の家」
右手に中部大学第一高校への道が有りスクールバスが何台か停まっている。左手には古い屋根の家がある。

古い屋根の家


「三峰峠への上り」
学校への入口を過ぎると道路は次第に上り坂になってくる。
三本木上の信号の先、左にコンビニがあり、更にその先にレストランと食堂が並んでいる。丁度昼時となったので、ここで休憩を兼ねて昼食をとる事にした。

三峰峠への上り


「守ろう東部丘陵」
食事をして休憩を取った後、再び歩き出す。街道の右手、草地の先の山裾に「自然はみんなのもの・守ろう東部丘陵」の横断幕があり、先にも見たハンカチくらいの大きさの黄色い布に、いろんなメッセージが書かれ沢山連なって結ばれている。この辺りで何か開発の計画でも有るのだろうか?

「名古屋商科大学」
前方に、大きくてモダンな、まるで箱のようなコンクリートの建物が見えてきた。木々の繁みに対して全く異質な存在である。緩い右カーブを過ぎると信号があり、そこまで来たら判った。この信号は三ヶ峯。左が名古屋商科大学で、真っ直ぐにキャンパスへと続く道に先ほどの大きなモダンな建物が跨いで建っている。建物と言うより凱旋門のようで、数階建てのビルほどの大きさがある。街道の反対側は県立日進高校で、下校する生徒達の姿が見える。

名古屋商科大学


「峠のハリエンジュ」
この先両側は木の繁みに覆われる。右手はハリエンジュ(ニセアカシア)の木が並木のように連なって白い花を咲かせている。花がほろほろと路上にこぼれ、良い香りがしている。蜜蜂が喜んで飛んで来そうだ。

「三峰峠」
右手に三ヶ峯台の団地入口道路があり、これを過ぎると峠の頂上である。ここが三峰峠。峠と言葉で聞いたり、文字で書いたりすると、つい厳しい所を想像しがちであるが、ここは緩い上り坂から下り坂に変わるところで、上り坂でもそれほど体力を使う事は無かった。

三峰峠





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