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飯田街道独歩記

いいだかいどうひとりあるき



飯田街道ウォーク その2

平成18年5月22日(月)<その2>
 



三峰峠から保見まで

「豊田市に入る」
峠を過ぎると右手に入る道があり、これが三好カントリー倶楽部への入口で、この交差点に市境の標識が立っている。ここから先、豊田市に入る。

豊田市へ入る


「きしめんの工場」
右手はず〜っとフェンスが続き、緑で被われている。きっとゴルフ場なのだろう。左手に工場があって、サイロのようなものに何処かで見たような字が書かれている。その何処かを、考えてみたら名古屋の新幹線のホーム。その字は「宮きしめん」。そう、名古屋名物きしめんの工場だったのだ。
工場を過ぎると右カーブになる。そこに田籾町の信号があり、左から県道215号田籾名古屋線が合流する。

きしめんの工場


「田籾の鶏石」
しばらく進むと街道の左手に柵が有り中に大きな石や石碑、解説などがある。これが田籾の鶏石だ。
道路から見て左奥に大きな石、その手前にやはり石に乗ったお不動さんとお地蔵さん。正面に「鶏石」の石碑、その右に歌碑、その後に解説板がある。

田籾の鶏石


「解説」
先ず解説を読む。鶏石の由来とあって『室町時代の末頃に足助次郎重範の家臣で加納歳武知(かのうさいむじ)と言う武士が、この田籾の地に百姓となり移り住んだ。この歳武知がある朝いつものように耕作にはげんでいると、そばの林の中から鶏の鳴き声が聞こえてくる。不思議に思って林の中にはいると、牛二頭ほどの大石からこの鳴き声がするのである。この話を伝え聞いた村人はこの岩の鶏の鳴き声を聞こうと思い、そうっと早起きをするようになった。そしてこの早起きの習慣とともに田籾村は栄えたという。今でもこんな歌が残っている。「ここは田籾か鶏石かとりもおらぬに時つける』・豊田市教育委員会」

「鶏石碑と歌碑」
大きく鶏石とあって、その下に先ほどの「ここは田籾か鶏石か・・・」の歌が刻まれている。
また、歌碑には

     世にひびく鶏石の早稲晩稲みのる田籾の誇りなりけり  親弘歌 輝満かく
と刻まれている。親弘は長谷部親弘で足助の出身の人、碑の裏に略歴が記されている。

鶏石碑と歌碑


「常夜灯」
しばらく行くと信号になり、その左手奥に常夜灯がある。これも建立年を読むことが出来なかった。その先には消防小屋があって、火の見櫓が立っている。

常夜灯


「田籾川沿いを行く」
地図で見ると左の田籾川沿いが如何にも旧道らしい感じがするので、そこを歩いて見た。ところが、なあ〜んだ、只の川沿いの道。歩いていたら足元にニョロニョロと蛇、びっくりした所へ、今度は川から大きなアオサギが飛び出した。これで二度びっくり。

田籾川沿いを行く


「大井橋交差点」
川沿いの道が街道と合流して間も無く右に大きくカーブ。頭上に大きな案内標識が出た。この先T字路で左へ行くと国道155号線春日井・瀬戸方面、右へ行くと国道155号線足助・豊田市街。手前を右に曲がると県道54号で三好・知立方面となる。
ここが大井橋で、四方向の道が二つの橋でややこしく交差する。実に分かりにくい所、以前に何度か車で通って頭が混乱した事を思い出した。

大井橋交差点


「道標」
右の橋を渡った所に道標が立っている。細長く先の尖った石で、上に浅く馬頭観音、中央に大きく深く「右せと、左なごや」その下に「道」と彫られている。

道標


「行者様・馬頭観音・地蔵堂」
国道を渡った所、T字路の突き当たり相当するところに石仏がある。左から小さな祠に入った行者様。中央が台座に乗った大きな馬頭観音、この左右にも一対の石仏。右には瓦屋根のお堂に入ったお地蔵さまが祀られている。馬頭観音の右には何本かの色あせた幟「奉納馬頭観世音大菩薩」が風に揺れていた。

行者様・馬頭観音・地蔵堂


「古い家」
街道は大井橋を渡って国道155号線と合流する。合流して直ぐ右に何軒かちょっと古そうな家があり、街道らしい雰囲気になる。でも狭い道に交通量が多く、歩くのがヒヤヒヤである。

古い家


「保見町塚原交差点」
大井橋からの初めての信号が保見町塚原。ここで国道は直進し、街道は左へと分かれる。Y字の角の和菓子屋さんがあって、「水まんじゅう」の青い幟が立っていた。「あ〜夏が近いんだ〜」と季節を感じる。

「古い家」
再び県道58号名古屋豊田線を行く。右の郵便局を過ぎると所々に古い家がある。

「伊保塚」
右手には郵便局、豊田市の支所、JAなどがあり、左を見る愛環鉄道がトンネルから出て街道に近付いてくる。やがて左に伊保小学校があり、その先で左を見ると小道の奥に「伊保塚」の案内板が目に入った。そこへ行ってみると、街道に平行して小さな用水があり、その脇に塚がある。真新しい石に「伊保塚」と彫られ、注連縄が張られ、その前には小さな水溜りがある。しかし、そこには何の説明も無い。帰ってから調べてみたら「豊田の昔話」「いぼ塚」というのがある。「旅の僧とイボに悩む村娘さよの話」で、霊験ある僧が去った庵跡が塚となり、その後お参りに来た村人が塚の土を少しずつ持ち帰ったため、そこには小さな水溜りが出来たそうな。

伊保塚


「飯田街道の解説」
この用水沿いに保見駅の方へと向かうと飯田街道の解説板が立っている。『飯田街道、ここは名古屋と信濃を結ぶ昔からの街道です。「塩の道」「中馬街道」「飯田街道」等の名で呼ばれています。用水のへりを通っていた街道はこの付近で昔の道筋が消えています。少し南にある現在の「飯田街道」(県道・国道153号線)も、昔の道筋に沿って開かれました。平成7年度、伊保小校区コミュニティ会議』とあった。

飯田街道


「保見駅」
用水を先に進むと保見駅前へと出た。駅は左手の高架の上で、駅舎はベージュに赤のストライプに塗られている。

保見駅





保見から四郷まで

「麦畑」
保見駅前からは再び県道に戻る。次の信号の左手先には麦畑が広がる。今は麦秋で黄色い穂が風にそよいでいる。その遥か向こうには愛環鉄道の高架が続いていて、長閑な景色だ。

「長善寺」
街道から左奥にお寺が見える。浄土宗青松山長善寺で、ここの前にも、先ほどの飯田街道解説版が立っている。

長善寺


「飯田街道の解説」
『飯田街道、ここは名古屋と信濃を結ぶ昔からの街道です。「塩の道」「中馬街道」「飯田街道」等の名で呼ばれています。街道沿いには多くの寺院や神社が散在しています。寺の数の多さからも、集落の繁栄ぶりが偲ばれます。近くには「馬宿」の建物の一部も残っています。平成7年度、伊保小コミュニティ会議』

「旧道」
旧道はお寺の横からしばらく県道と平行して進み、一旦県道へ戻り、再び左へと分かれる。

旧道


「火の見櫓」
県道から分かれて直ぐ左手に日蓮宗海願寺があり、その先には火の見櫓が見える。それらしい道だ。やっと本当の街道歩きとなった。

火の見櫓


「宋岳寺」
左手にお寺と神社とが並んでいる。手前のお寺の門に「庚振山」の額が掛かっているが何処を見てもお寺の寺号が無い。近くを通った青年に尋ねてみたら、「ここ知り合いだから聞いてあげる」と入っていって入り口に吊ってある板を、木槌でカンカンと叩いた。中から白い着物の尼さんが出てきて「宋岳寺」であると教えてくれた。しかし、宗旨を聞くのを忘れた!

宋岳寺


「貝津神社」
お寺の右隣に、街道沿いとしては結構大きな境内を持つ神社ある。低い石垣あって中央に石の鳥居、その両側は玉垣で右に「村社貝津神社」の社標が立っている。奥正面に社殿、右に未だ新しい社務所・集会所のような建物がある。

貝津神社


「貝津神社社記」
社記によると『社伝には、天照大御神と建速須佐之男命との、誓約の際になした、五男三女神が祀られている。(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命から多岐都毘売命までを列記) 社挌旧村社十二級、由緒、(要約)社伝に寄れば崇徳天皇の御代、平安時代後期の天治元年(1124)八王子から勧請された。八王子様と親しまれ殿貝津の氏神として崇拝された』とある。

「旧道」
旧道は更に西へと伸び、古い家が所々にあり、それらしい雰囲気を醸し出している。

旧道


「常夜灯」
貝津駅近く、街道の左手に常夜灯がある。これには昭和28年の年号が刻まれている。

常夜灯


「六部供養碑」
左手に古い家があり、続いて碑が立っていた。細長く背が高い。前には花が一対供えられている。碑面を良く見たら「六部供養碑」と読めた。六部とは厨子を背負って行脚する行者の事で、多分この地で亡くなった六部を供養するために地元の人が建てたものと思われる。同じような六部地蔵を中山道の垂井と関が原の間で見た覚えがある。如何にも街道らしい話である。

六部供養塔


「報恩禅寺」
旧道が右にカーブして県道に出る手前にお寺がある。道路の脇に多くの石仏や無縁墓石が集められている。大きな石柱には「臨済宗東福寺派報恩禅寺」とあり本堂の脇に「南無大慈観世音菩薩」の青い幟が立っている。

報恩禅寺


「古い家」
県道に合流して、しばらく県道を行く。その間に街道の右手に数軒の古い家がある。

「白山神社」
伊保町東の信号交差点、手前左奥に白山神社がある。鳥居は立派な石の鳥居だが、奥の社殿は小さな祠のようで、一寸バランスが取れていない。鳥居の所から見ただけで、奥まで行ってないので他に社殿が有るのかと疑問が残る。横に有った看板を見たら『白山神社、祭神:白縫姫之命、創祀:仁寿元年(851)十月、由緒:当社は一般には安産の神として知られ、尊信されてきました。町内では別名(大鳥居神社)「大鳥居さん」の名で知られ婦人の方々の信仰を集めた神です。これは古より村人たちが大鳥居の神に妊婦と子供の安全を祈願して来た風俗に由来することと考えられます。例祭:四月第二日曜、昭和五十三年、氏子総代一同』とあり、鳥居が大きいのが正解だった。

白山神社


「篭川橋」
信号交差点の先で篭川の篭橋を渡る。正面には愛環鉄道が県道を横切って行くのが見える。川面にはカワウが一羽泳いでいる。

篭川橋


「愛環鉄道をくぐる」
愛環鉄道をくぐる。この上をJRの車両が通って行った。愛・地球博を契機にJRが乗り入れ、名古屋から多治見経由で岡崎まで直通運転されているのだ。

愛環鉄道をくぐる


「道満さんの祠」
愛環鉄道をくぐって間も無く左手に草の刈られた細道が有り、その先に「道満さんの祠」の案内板が目に入った。看板には『B道満さんの祠、鍵矢印、30m』とあり、それに従って入っていったら木の鳥居が有り、左脇に常夜灯、奥にはコンクリートブロックで囲われた中に墓石のようなものがあった。
道満さんとは何か帰ってから調べたが、ホームページで「下古屋自治区だより第48号」『12月14日秋葉常夜灯前での「秋葉山まつり」に続いて道満塚で供養が行われた』との事が出てきただけで、それ以外は判らない。

道満さんの祠


「旧飯田街道と酒蔵」
この草を刈った細道を先へと行くと酒蔵の前に出た。その角に看板が立っている。それには『G−A、旧飯田街道(旧中馬道)、井郷地区コミュニティ会議』。酒蔵に沿って右に進むと道に出て、蔵元の前に出た。この酒蔵に沿った細い道が昔の街道だったのだろうか?

旧飯田街道と酒蔵


「蔵元」
お店には『豊田の地酒「菊石」、醸造元浦野合資会社』の看板が掛かり、入口には「菊石」と染め抜かれた茶色の暖簾、横には薦被りが3樽置かれている。絵になる景色だ。

蔵元


「常夜灯」
この蔵元から直ぐ先に秋葉山の常夜灯がある。これが先ほどのホームページで紹介されていた常夜灯。今回はここまでとして、続きは次回のお楽しみとする。これから先は街道の情緒が残ってそうで、大いに期待が持てる。

常夜灯


「古い家」
逆戻りして、先の県道へと向かう。途中に門構えに黒板塀の屋敷がある。今日ここまでには、このような屋敷は見かけなかっただけに、最後の四郷地区は強く記憶に残りそうだ。

古い家


「馬頭観音」
県道に出る右手前角に石仏が立っている。千手観音のように見える。前にはお花が供えてある。今日の街道歩きはここまで。午後3時丁度である。歩数計をリセットしてメモする。

馬頭観音


「四郷駅」
県道を横断して、消防署の前を通り、四郷の駅へと向かう。その時、岡崎方面の電車が走って行った。駅は無人で誰もいない。電車も行った所で、次までたっぷり時間が有る。自販機で飲み物を買って喉を潤し、顔を洗ってさっぱりして、高架の駅のホームで、爽やかな風に打たれながら、しばらく付近の景色を見て楽しんだ。

四郷駅





今回の街道歩きは、後半になってそれらしい所が出てきて、結果としてよい思い出で終わる事が出来た。保見から貝津、四郷は予想していたよりいろいろな物が有って、楽しく歩く事が出来た。一時雨が降りそうな気配になったが、降る事は無く、最後には日も出てきた。

帰りは四郷から15時36分の愛環鉄道を利用して岡崎へ、岡崎からはJR東海道線16時12分の浜松行き新快速に乗車、16時39分二川に到着した。

今日のニュースは朝刊のスポーツ面で「新大関白鵬が決戦制し初優勝」。



     今日歩いた記録
     29,312歩(飯田街道正味25,229歩)
     17.57q (飯田街道正味15.13q)
     1,260kcal(飯田街道正味1,097kcal)

     今日までの累計
     60,183歩(飯田街道正味51,579歩)
     36.03q (飯田街道正味30.94q)
     2,578kcal(飯田街道正味2,228kcal)

ページ公開 平成18年6月3日
ページ改良 平成23年5月1日


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