ホームへ   目次へ  戻る  次へ  掲示板へ



飯田街道独歩記

いいだかいどうひとりあるき



飯田街道ウォーク その3 

平成18年6月7日(水) <その1>



今週には梅雨入りで、明日がその前、最後の晴天になりそうとの天気予報が出たので、これ絶好のチャンスとばかり飯田街道<その3>を歩く事にした。前回は地下鉄鶴舞線の赤池から歩き始めて日進、米野木、三本木、三峰峠を越え、田籾、保見、四郷まで来た。今日はその続きを一気に足助まで行く予定。先回の終わりに四郷の集落を一寸覗いたところ、県道から入ること僅か200mばかりに台座が道標になった観音様、門構え黒板塀の家、清酒「菊石」の蔵元、秋葉山常夜灯があり、この道中大いに期待が持てる。最後が足助、ここも「中馬のおひなさん」で何度も訪ねているが、街道歩きの目で見ると何か新しい発見が有るかもと、大いに楽しみである。

何時ものように家内に駅まで送ってもらって街道歩きに出発。JR東海道本線の特別快速で岡崎へ。9時14分発の愛環鉄道に乗り換えて四郷まで。9時50分四郷着。田圃の中の駅で見晴らしが良く、爽やかなお天気だ。



四郷から御船まで

「台座が道標になっている観音像」
駅から目の前の消防署へ向かい、そこで左折し県道58号名古屋豊田線に出る。ここまでには田植えをしたばかりの田圃や、黄色く実って刈り取り寸前の麦畑がある。県道に出て左折し100mばかり名古屋方向へ戻ると道路の向かい側、北へ入る道の左手に下古屋集会場というのがあり、遊具と広場がある。その角に手が6本ある観音様の石像が立っている。先回気が付かなかったが台座が道標になっている。極一部しか読むことが出来ないが多分「左善光寺道、右鳳来寺道」と刻まれている。この近くに道標が有るとして探して分からなかったが、これがその道標だったのだ。

台座の道標


「門構えの古い家」
街道に入ってすぐ左手に、門構えの立派な屋敷がある。塀には瓦が乗って上は白壁、下は黒い腰板、母屋は大きな二階建て、奥に蔵もある。街道時代から続いている家なのだろうか。

「浦野酒造」
左手に清酒「菊石」蔵元の浦野酒造がある。古い大きな木の扉のある建物があり、通路を挟んで蔵風の事務所、その先に門があって屋敷となっている。通路の奥には工場や酒蔵がある。

浦野酒造


「妻にある鏝絵」
事務所の建物は切妻妻入りの蔵風で、妻の白い漆喰壁に3ヶ所小屋根がある。中央の小屋根の下には窓が、左右の小屋根の下には鏝絵の鶴と亀が描かれている。

鏝絵


「秋葉山常夜灯」
蔵元の前で右に曲がり東へと向かう。すぐの所、左手に文政10年(1828)建立の秋葉山常夜灯がある。

秋葉山常夜灯


「地蔵堂」
国道419号線を渡ると、その先左手に墓地があり、続いて瓦葺の小屋がある。その中に沢山のお地蔵さまが祀られている。新しい物には昭和38年とある。

地蔵堂


「道標」
次の四郷町山畑交差点の左手前に道標が立っている。その後には『G−B、旧飯田街道の道標、井郷地区コミュニティ会議』の看板が立っている。字が読めない「左おかざきみち」か?

四郷町山畑の道標


「古い建て方の家」
この交差点で左に曲り北へと向かう。左手に新築だが格子のはまった古い建て方の家がある。

「火の見櫓と常夜灯」
その先左に火の見櫓が有って、その下に秋葉山常夜灯がある。常夜灯には寛政(1789〜1800)の文字が読める。

火の見櫓と常夜灯


「お地蔵様」
この道から右に曲がって東へ向かうのだが、地図にあるような立派な道が無い。少し行って、これはおかしいと戻ってみたら、家と家の間に路地のようなのがある。この路地を入って行ったら、道幅が少しずつ広くなってやがて普通の道路になった。これは難しい、誰もが迷ってしまうに違いない。しばらく進むと右に子供広場有ってその奥に天道区民会館がある。その街道の左手にお地蔵さまが立っている。周りには綺麗な花が植えられている。

お地蔵様


「塀に囲まれたお地蔵様」
同じく左側にお地蔵さんがある。寛政7年(1895)2月の文字が読める。ここは住宅のブロック塀が凹状になってその部分に祀られている。ここの家の住人の優しさが伝わってくるようだ。

塀に囲まれたお地蔵様


「庚申様」
道が少し広くなって信号交差点に出る。ここの信号は交差点の中央に吊り下げられた点滅信号。この先左角にブロック作りの四角い祠に石仏が祀られ、右外に庚申塔の碑が立っている。この石仏腰掛けている格好で行者様のように見えるのだが、これが庚申様かどうか良く判らない。

庚申様


「天道橋」
小さな川、水無瀬川を天道橋で渡る。渡った先右手は井郷中学校。

「ほっけ坂と豊田球場の照明塔」
川を渡ったら道は上り坂になる。これが「ほっけ坂」で、左前方に豊田球場の照明塔が見えてきた。これからしばらく左手に運動公園が続く。木々の緑がとっても鮮やかで、歩いていても気持ちが良い。

ほっけ坂と豊田球場の照明塔


「先の折れた浄巌寺の石標」
公園の角の信号を通り過ぎ、やがて右手に先が折れた石標を見付けた。『番札所浄嚴寺』と読めた。この近くにこのお寺があるのだろう。

先の折れた浄厳寺の石標





御船から枝下まで

「名鉄・三河御船廃駅跡」
この石標の所が広場になっていて、その先をよく見ると駅の跡だ。立ち入り出来ないようにロープが張られているが、跨いで中に入ってみたら、プラットホームがあり、線路があった。これ名鉄三河線三河御船の駅跡。平成16年3月末で猿投より先は廃線になったのだ。

名鉄・三河御船廃駅跡


「東海環状自動車道をくぐる」
駅跡から街道は下り坂となる。左へ、右へとカーブしながら下って行くと前方に綺麗な高架の道路が見えてきた。これ東海環状自動車道。これをくぐる。

東海環状自動車道をくぐる


「御船の常夜灯」
くぐった先で県道11号豊田明智線と斜めに交差する。そこの信号交差点渡った右手に秋葉山常夜灯がある。安政(1854〜1859)の年号があり、昭和54年(1979)9月嵩上げと彫られている。

御船の常夜灯


「御船川の旧道御船橋」
常夜灯のところから旧道は斜め右に分かれる。その先に御船川がありこれを御船橋で渡る。頭上高く送電線が走っている。

御船川の旧道御船橋


「御船町奥山畑で国道と分かれる」
上りの道を行く。この間2度ばかり県道と着いたり離れたりする。御船町奥山畑信号交差点の手前左は「サ〜ラタウン御船」と言う住宅地の開発が行われている。上の案内標識に直進は県道11号明智方面、左折が猿投グリーンロード藤岡、飯野と出ている。この信号を過ぎて再び県道と分かれる。

「県道11号枝下坂上の古い建て方の家」
県道と合流して道は下り坂になる。道が大きく左にカーブするその右手に古い建て方の家がある。そのすぐ左に猿投足助バスの枝下坂上(しだれさかうえ)と言うバス停があって車が2〜3台停まれるようになっている。ここの自販機で飲み物を買って喉を潤す。左は山、右は視界が開け気持ちが良い。

県道11号枝下坂上の古い建て方の家


「猿投グリーンロードの案内標識」
更に坂を下ると案内標識が出た。左右に走るのが猿投グリーンロード。左は名古屋、右は足助方面、直進は県道11号で明智となっている。



枝下から石野まで

「猿投グリーンロードをくぐる」
左右に走る猿投グリーンロードをくぐる。この道は歩行者も通行OKで、左に上の道路へ上る階段が付けられている。

猿投グリーンロードをくぐる


「両枝橋の常夜灯」
道路をくぐってしばらく進むと左手、猿投足助バス枝下平岩(しだれひらいわ)バス停のところに秋葉山常夜灯がある。これも建立年号が読めない。

両枝橋に常夜灯


「両枝橋の線路跡」
この常夜灯の所、県道の反対側を右へ入る道が有り、その先に両枝橋が見える。県道のすぐ右に廃線跡がある。線路は道路に沿って走っていたようだ。道路脇に看板が有って『踏切廃止のお知らせ、平成16年4月1日よりこの踏み切りは廃止になりました』とある。

両枝橋の線路跡


「両枝橋」
この道の先が矢作川に架かる両枝橋。結構高いところに架かっている。

両枝橋


「枝下の渡しを望む」
両枝橋から下流方向を眺める。前方に猿投グリーンロードの枝下大橋が見える。この二つの橋の中間くらいに、昔は渡し場があった。ここが枝下の渡し跡。

枝下の渡しを望む


「土蔵のある家」
橋を渡ったら川沿いの道路を右折する。この道、県道355号線島崎豊田線。左手に赤土壁の土蔵がある。

「火の見櫓と猿投グリーンロード」
前方に猿投グリーンロードが見えてきたら、街道は左に折れる。その右手すぐ先に火の見櫓が有る。そこの消防小屋には「豊田市消防団第18分団第1部」と大きく書かれている。

火の見櫓と猿投グリーンロード


「八柱神社」
県道から別れ、脇道のような細い道に入る。これで正しいのか一寸不安になってくる。左から道が合流し、その左手に高い石垣の上に1対の常夜灯、その間を石段で上ると石の鳥居が有って、右には背の高い社標に「村社八柱神社」とある。

八柱神社


「性善寺」
神社を過ぎてすぐ左、小高いところにお寺がある。枝下山性善寺。手前に鐘撞き堂があり、鐘の下には小さな石仏が祀られている。左に本堂、奥には庫裏と言うか住宅がある。

性善寺


「馬頭観音」
お寺を出た道は東西に走る道に突き当たり、そこで左折し東へと向かう。左が崖になっていてその上はお寺の墓地のようだ。その崖の所に馬頭観音がある。後に手作り手書きの解説が立っている。(一部傷んでいて読めないところがあり、そこは□印にした)
『馬頭観音(交通安全観音)、約四百五十年前(室町時代)足□□瀬戸へと結ぶ街道が開かれました。時代が進むにつれて約三百年前(江戸時代)になり物を運ぶために馬と共に馬□も頻繁に通るようになり榮えてゆきましたが当時今の石野町より力石に向ふ麓が大変な難所のため転落等による馬の犠牲が多く□戸時代の安政年間になり土地の人々□より犠牲になった馬の霊を慰め□ため馬頭観音が祀られるようになりました。今の交通安全観音が当時の歴史を物語っております。安部香□』

馬頭観音


「東海自然歩道を横切る」
馬頭観音から先は上りになっていて、かなりきつい。しかしホトトギスが「テッペンカケタカ」と近くで鳴き、その声を楽しみながら上って行ったのでいつの間にか峠に着いた。ここが力石峠。メモ代わりに持ってきたICレコーダーにもホトトギスの鳴き声はちゃんと入っていた。上り切ったところで道路を横断する。この道路は東海自然歩道で標識には『←勘八牧場、2.6q、100分、三河広瀬駅、1.0q、15分→』とあった。しかし三河広瀬駅は廃線となって今は無い。

東海自然歩道を横切る


「力石峠の地蔵堂」
東海自然歩道を渡った先左角に地蔵堂がある。堂内にはお地蔵様と「南無阿弥陀仏」の石塔が祀られ、千羽鶴と大きなくくり猿(猿ぼぼ)が供えられ、「豊田市力石町」の住居表示とどう言う訳か丸い時計が架かっている。

力石峠の地蔵堂


「石野への下り」
地蔵堂を過ぎると今度は下り、左右にカーブを描きながら快適に下る。遠くに石野の集落と大きなお寺の屋根も見える。

石野への下り


「石野の旧道」
下った所で国道153号線を斜めに交差する。長閑なところだ。

「力石川のホタル育成の看板」
左に力石川が流れていて、そこではホタルを育成している。川縁に看板が立っていて『力石川、ホタル育成のためカワニナ保護中、採取お断り、力石区長』とあった。

「白山神社」
旧道が国道に合流するところの左手に白山神社ある。鳥居の向こうに1対の灯籠が有りその向こうは崖で何も無い。どうなっているのかと上を見上げたら、遥か高いところに建物の影が見える。あれが社殿か?

白山神社




ホームへ   目次へ  戻る  次へ  掲示板へ