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飯田街道独歩記

いいだかいどうひとりあるき



飯田街道ウォーク その4

平成18年6月20日(土) <その1>



 梅雨に入って家に閉じこもってばかり。ウジウジしていた所へ晴れ間が出た。我が街道歩きには計画性が無い。必要なのは好天だけ、「明日は行ける」となれば早速実行。<その4>足助から先を歩く事にした。何処まで行けるか?伊勢神峠が目標であるが、登れるのか、越せるのか、それは歩いて見てのお楽しみ。

 何時ものように家内に駅まで送ってもらって街道歩きに出発。名鉄電車で東岡崎へ。9時10分発の名鉄バスに乗り換えて足助田町まで。10時16分着。爽やかなお天気だ。


足助から萩野まで

「軒に幕板のある家」
名鉄バスを足助田町で降りる。山側を見るとお釜稲荷の赤い鳥居が見える。そこが今回のスタート地点。鳥居の根方で歩数計をリセットし、街道歩きスタイルを整えて新田町の町並みを東に向かって歩き出す。すぐ右手にはオリンピック、アイススケート・ショートトラックで有名な寺尾選手の実家の電気屋さんがある。そこから数軒先に間口が狭いツシ二階の町屋がある。ここの軒下には幕板が下がっている。

軒に幕板のある家


「旅館山城屋」
左手には旅館山城屋がある。足助町の西の入口には旅籠の玉屋があり、東の入口にはこの山城屋がある。ここは旅館の横で食堂を開いており、主人の職人気質のお料理が気に入って、お雛様を見に来た時には必ずここでお昼を食べることにしている。今朝は未だ閉店中。

旅館山城屋


「観音寺」
山が迫ってきた所の左手に台灯篭と『円通山観音寺』の石柱が立ち、その間を細い階段で登るようになっている。この上にお寺があり紅葉の名所である。右手の石垣の前にガラスの入った掲示板があり、その中に観音寺の由来が墨書され張り出されている。『この寺は足助の鬼門を守る為に建てられ宝永年間の富士山の大噴火まで天台宗の寺院であったが、飯盛山の香積寺十五代住職の時曹洞宗となり、今日に至る。本尊様は等身大の十一面観音坐像で、それを守る四天王2体が文化財になっている。ここをお参りして家出した人が見付かると白木綿一反を持ってお礼参りしたと言われる。田町区活性化委員会』真横に目を移したら石垣に大きな青大将が居てビックリした。

観音寺


「牛馬道具屋」
右手に二階建ての古い家があり、二階の壁に掛かった看板には『牛馬具ロープ類各種』とある。家の前の解説板には『牛馬道具の松美屋、足助が中馬の要所であったことを裏ずける牛馬道具の店です。』とあった。

牛馬道具屋


「石仏たち」
この店の向かい側は崖でモルタルが吹きつけられている。その凹凸になった所に小さな祠や行者様の像が祀られている。解説には『庶民の生活がいきづく石仏、弁才天、役行者、馬頭観音がまつられています。町内にはこのような石仏が多くありますが、ここには常に香華が手向けられ、今になお生活の中に信仰が生きているといえましょう。』

石仏たち


「今朝平橋」
右手に橋があって川向こうを走っていた国道153号線がこの橋を渡ってくる。街道は一旦国道に合流するため左(北)に曲る。

今朝平橋


「馬頭観音」
国道に合流したところの左手、コンクリートの崖の前に馬頭観音がある。

馬頭観音


「国道から別れ旧道を行く」
国道に合流して直ぐに、再び国道から右に分かれ、下へと下り支流の小さな橋を渡って足助川沿いを行く。この道沿いも古い町並みが残っている。

国道から分かれ旧道を行く


「宝珠院」
やがて左手に立派なお寺がある。大きな石柱には『浄土宗西山深草派光明山宝珠院』とある。およそ30段の石段を上ったところに立派な山門があり、その向こうに本堂が見える。石柱の側面に寺の由緒が長文で書かれている。『往昔は真弓山円城寺と号し天台宗であった。創建は天延年中(973〜975)・・・後醍醐天皇の皇孫行良親王の御所があった。・・・』

宝珠院


「元茅葺の家」
街道の左手には昔は茅葺屋根だった家がある。トタン葺きに変わってはいるが、昔の姿が想像出来る。

元茅葺の家


「お堂の前の石仏」
その先にお堂があり、その前に『三界萬霊』などの石塔が3体と常夜灯の崩れたものがある。

お堂の前の石仏


「天伯神社」
やがて右から来た県道33号瀬戸設楽線と合流する。右手に橋を見て先へ行くと左石垣の高いところに天伯神社がある。

天伯神社


「不動さん」
神社の先左手にお不動さんがある。

不動さん


「百年草」
街道の右手に大きな施設が見えてきた。これは福祉センターの『百年草』で喫茶、食事、宿泊、入浴の看板の下に『足助ハムZiZi工房』『ベーカリー・バーバラ』がある。ジジ・ババが元気に働いているところ。ここの湯の源泉は南北朝時代から大切に守られてきた中之御所鉱泉とか。

百年草


「名号石」
百年草を過ぎた左手に名号石と言う石塔が立っている。解説によると『名号石、江戸時代随一の念仏行者といわれる、徳本上人の記された名号を彫ったものです。名号は仏様の名前で、この名号石は文政9年(1836)に建てられました。』

名号石


「三界万霊塔など」
右手に足助消防署を過ごし、しばらく行くと、左手にお堂があってその左横には多くの石仏が集められている。その中で一番背の高いのが『三界萬霊』と書かれたもの。

三界万霊塔など


「久遠寺」
街道はお堂のあるところで、県道から右に分かれる。分かれて直ぐの左手に『久遠寺』の石柱が立っている。その先千桑橋を渡った右手にお寺がある。『真宗大谷派佛巌山久遠寺』である。

久遠寺


「足助川沿いを行く」
左に足助川を見ながら街道を行く。北貝戸の集落を抜け、川のせせらぎの音、小鳥のさえずりなどを聞きながら歩くのは実に気持が良い。

足助川沿いを行く




萩野から玉野まで

「足助川の萩野橋を渡る」
左に工場があって、その先の自販機で初めてスポーツドリンクを買う。足助川を萩野橋で渡る。

足助川の萩野橋を渡る


「中宮寺」
橋を渡った直ぐ右に『徳王山中宮寺』がある。そのお堂の脇には石仏や石塔が十数体並んでいる。

中宮寺


「道標」
先に分かれた県道とここで交差する。その交差点の右先に道標が立っている。詳しくは判らないが『左、※※こんひら、ほうらいし※※』と読める。

道標


「八幡神社」
この道標の上に神社がある。『村社八幡神社』

八幡神社


「萩野小学校」
交差点に左先には豊田市立萩野小学校がある。運動場を背景にして立派な『開設100周年記念』の石碑がある。

萩野小学校


「龍岡橋を渡る」
萩野交差点から先は県道366号小渡明川足助線を行く。道はやや細くなり車は来ない。コンビニもガソリンスタンドも自販機も無い。先に買ったスポーツドリンクを大事に大事にして飲む。小さな沢を龍岡橋で渡るとその先に火の見櫓がある。

龍岡橋を渡る


「石仏群」
火の見櫓の先右手に石仏や石塔が8体並んでいる。石仏にはそれぞれ赤い前掛けが着せられている。

石仏群


「薬師堂のおばあさん」
右手にお堂があってそこに年配のご婦人が二人腰をかけていた。お堂の掃除に来たのか、お水を供えに来たのか。話し掛けてこの仏様のことを尋ねたら『ここにはお薬師様が祀られている。ここのお薬師様は十二神将を従えているので、よそのより格の高いお薬師様』だという。ご婦人の後のお薬師様も一緒に写真に撮ろうと思ったのだが・・・。

薬師堂のおばあさん


「竹製屋根の子安地蔵」
二タ宮地区に入ってしばらく行くと、右手に全て竹製の屋根などに入ったお地蔵さまがある。全てを竹で作るなんて、なかなか気が利いている。前に『子安地蔵』と彫られた竹筒が立て掛けられていた。

竹製屋根の子安地蔵


「石仏群」
右に地区の集会所があり、それを過ぎると街道は上りとなり、歩くのがだんだんときつくなってくる。やがて左手の岩の崖に20体近くの石仏が祀られている。何故、此処にこんなに?と考えながら拝んだ。

石仏群


「津嶋神社」
その先左手の山陰に常夜灯が3基並んでいる。良く見ると右上に社標があり『津嶋神社』とあった。さらに上の方を見ると小屋のような粗末な屋根の一部が見える。祠の上の覆い屋根か。

津嶋神社


「馬頭観音」
同じく左手に馬頭観音、崖にモルタルを吹き付けた所に祀られている。人里から離れている為かお花や水が供えられていないので、ちょっと寂しそう。弘化3年(1846)と刻まれている。

馬頭観音


「クネクネ道」
街道は山深く分け入ったような感じになり、クネクネと左右に曲りながら上って行く。


クネクネ道





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