中山道ウォーク その12



平成14年12月14日(土)     間の宿新加納から赤坂まで






太田からは日帰り可能の範囲に入ってきたので行動がし易くなった。また休日を選べばJRの青空フリーパスが使え割安になる。こんな事からここ暫くは日帰りでのプランにする。
太田から間の宿新加納までを歩いたのが11月4日、それからは里山ボランティアの行事が続いたりして1ヶ月が瞬く間に過ぎ12月も半ばになってしまった。





12月14日(土)


今朝はとっても寒く風が強い。家内にJR二川駅まで送ってもらって出発する。二川発7時35分に乗車、豊橋で乗換え、7時50分発特別快速で岐阜へ、岐阜に8時57分着。快晴、ホームから見える伊吹山、関ヶ原方面の山、御嶽山はみんな雪で真っ白に輝いている。暮れも半ばになっている事を実感する。ここから高山本線に乗換え9時17分発、1駅目の長森に9時23分到着。寒い無人駅に降り立つ。駅からは田圃の中の道を真っ直ぐ南へ、名鉄各務原線の踏切を渡って中山道へ。見覚えのある街角から加納へ向けて出発する。





鵜沼から加納


「手力雄神社の鳥居」
蔵前6丁目で左から来た道と合流する。左からの道に石の鳥居と石柱がある。手力雄神社のもの。

手力雄神社の鳥居

「切通陣屋跡」
合流して右へ、切通地区に入る。右手に中山道の石柱と切り通しの由来を書いた説明板がある。それによると切通は境川北岸に位置し、岩戸南方一帯の滞留水を境川に落としていた事からその名が付いた。享和3年(1803)から幕末までここに陣屋が置かれた。

切通陣屋跡

「格子造りの家」
細畑地区に入ると格子造りの家が目に付くようになる。

「細畑一里塚跡」
細畑5丁目で国道156号線を横切り程無く道の両側に一里塚。周囲を玉石で囲われた塚の上に枝を払われた榎が一本ずつ立っている。いかにも寒そう。

細畑一里塚跡

「伊勢道追分の地蔵と道標」
一里塚の先で道が二又に分かれる。右が中山道、左が伊勢道でここがその追分。二又の所に地蔵堂と道標があり、道標には『伊勢名古屋ちかみち 笠松凡一里』とある。

伊勢道追分の地蔵と道標





     加納


    中山道第五十三宿 加納宿


     所在地 岐阜県岐阜市
     最寄駅 JR東海道本線岐阜駅
     本陣1、脇本陣1、旅籠35、総人口2,728、家数805
     河渡へ 1里半(5.9q)


「名鉄の踏切を渡る」
名鉄名古屋本線の踏切を渡る。左に茶所の駅があり、駅の構内に『加納宿』の碑が立っている。

「安良町の道標」
街道はこの辺りから城下町特有の曲折を繰り返す。先ずこの先右手にある団子屋さんの角で右折し、荒田川中部放水路に架かる加納大橋を渡り薬局の前で左折する。その角に小さな道標がある。『右谷汲道・左西京』とあり、明治18年(1885)の建立。

安良町の道標

「東番所跡」
道標で左折して暫く行くと広い県道14号線と交差する。県道を横切るとすぐ右手、柳の木の下に『中山道加納宿東番所跡』の石柱が立っている。

東番所跡

「善徳寺」
石柱の所で左折すると正面に善徳寺がある。お寺の前で右折し再び県道と交差する。これを横断する。

「専福寺」
県道を越えたら左手に泉福寺がある。この辺りはお寺の多い所である。この辺りには問屋場が有った。

専福寺

「道標」
突き当たりは薬局でこの前にも道標が立っている。ここで左折し清水川のひろい橋を渡る。

「加納宿高札場跡」
橋を渡った左手に『加納宿高札場跡』の解説板が立っている。

「加納城大手門跡」
そのまま進むと再び県道に出会う。左手歩道橋の階段脇に『加納城大手門跡』の石柱が立っている。ここが変形の十字路になっていて、ここを右折する。ここまでは本当にくねくねと曲がって、ガイドブック無しでは街道をたどることが出来ない。

「中山道加納宿当分本陣跡」
大手門跡が最後の曲りで後は当分道なりに直進する。やがて左手に『左甚五郎ゆかりの旅籠』と書かれた旧旅籠二文字屋があり、その先右手に『当分本陣跡』の標識が立っている。側面には『明治天皇小休所跡』と刻まれている。当分とは文久3年(1863)から当分の間と言う意味で補助的に置かれた本陣である。

中山道加納宿当分本陣跡

「加納宿」
広いバス道の桜通りを横断するのだが、ここには信号が無いので安全第一、左の交差点まで行って信号で渡る。戻ったところに『加納宿』と書かれた木製の標柱が歩道に立っている。

「中山道加納宿本陣跡」
この辺りからが宿の中心部に入る。右手住宅の白いコンクリート塀の前に『中山道加納宿本陣跡』の標石があり、もう一つの面には『皇女和宮御仮泊所跡』とある。ここが本陣を務めた松波家の跡。門扉の方へ少し入った所に自然石に彫られた皇女和宮の歌碑がある。
       遠ざかる都としれば旅衣一夜の宿も立うかりけり

中山道加納宿本陣跡

「加納宿の中心部」
本陣跡から宿場を眺める。今は静かな住宅の多い街並となって当時を偲ばせる物は何も無い。

加納宿の中心部

「中山道加納宿脇本陣跡」
その先右手、門構えの住宅の前に『脇本陣跡』の標石がある。森家が屋敷を構えていた所。

中山道加納宿脇本陣跡

「加納天満宮」
右に入る道に『加納天満宮』の大きな標石があり、その奥に鳥居があり社と森が見える。

「西番所跡」
岐阜駅へと続く加納栄町通りを横切り住宅地となった道を進むと左手に『中山道加納宿西番所跡』の標石があり、ここで宿が終わる。

西番所跡





加納から河渡へ


「天満神社前の道標」
西番所跡のある新本町からから西へと進む。県道を越え松原町、更にJRの高架の下をくぐり本荘町。県道92号を斜めに横断する。この手前に昔は名物『あん餅』を売っていた多羅野の立場があった。ここで昼になった。幸い食堂が有ったので昼食をとる。腹を満たして出発する。県道を横断した所に天満神社があり、その前に道標。『→本荘村ヲ経テ加納ニ至ル、←市橋村ヲ経テ墨俣ニ至ル』

「岐阜街道の追分」
更に県道を横切り小さな論田川を渡ると右からの道と合流する。右の道が岐阜道でここが追分。この辺りを鏡島と言い、右手の奥に鏡島の弘法さんと呼ばれる乙津寺がある。所々に街道らしい家が残っている。

岐阜街道の追分

「長良川の河渡橋」
やがて長良川の土手に着く。昔はここから渡しで向いの河度へ渡ったが、今は県道92号線の河度橋で渡る。渡しの有った場所は今の橋より上流200mあたりとか。

長良川の河渡橋





     河渡


    中山道第五十四宿 河渡宿


     所在地 岐阜県岐阜市
     最寄駅 JR東海道本線穂積駅
     本陣1、脇本陣0、旅籠24、総人口272、家数64
     美江寺へ 1里7町(4.7q)


「馬頭観音」
河度橋を渡り取り付け道路を下って左折し、暫く行くと右手角に馬頭観世音を祀った観音堂がある。愛染堂とも呼ばれる。

「中山道河渡宿」
この観音堂、最近整備された様子で中に『中山道河度宿』と彫られた真新しい常夜灯や『中山道開宿四〇〇年記念』の石柱が立っている。ここを右折すると宿の道になる。

中山道河渡宿

「河渡宿の家並」
この宿は戦災や長良川の河川改修などで古いものは全く無くなり、規模も小さくなってしまったとか。でも通りの様子は街道らしさが感じさせられる。

「中山道河渡宿碑」
宿の道に入ってすぐ右手に『中山道河渡宿』の大きな石柱が立ち、その前に黒い石に彫られた宿の説明がある。奥には小さな祠が二つ祀られている。

中山道河渡宿碑

「一里塚跡」
宿碑の側面には『一里塚跡』となっている。宿に関連したものはここに集められたと言う。

「中山道河渡宿標識」
古いものが全て失われた宿の出口天王川に架かる慶応橋の脇に宿場の標識がある。

中山道河渡宿標識





河渡から美江寺へ


「馬場の地蔵」
宿を出ると生津地区に入り西への一直線の道になる。ここは生津畷の跡で、ただ黙々と歩くだけ。県道を渡り、次の道に突き当たるのでそこを右折する。やがて左にカーブする所の右手に馬場の地蔵堂がある。

「糸貫川と地蔵堂」
その先糸貫川を渡ると左手に延命地蔵尊がある。

糸貫川と地蔵堂

「街道沿いの旧家」
本田地区に入るとここは旧立場で古い屋敷が残っている。黒板塀を見ると何だかホッとする。

「本田の代官所跡」
右手、本田バス停の所には『代官所跡』の解説板がある。

本田の代官所跡

「本田の高札場跡」
道幅が少し変わる所(鉤の手)に『高札場跡』白い真新しい解説板が立っている。

本田の高札場跡





     美江寺


    中山道第五十五宿 美江寺宿


     所在地 岐阜県本巣郡巣南町
     最寄駅 樽見鉄道美江寺駅
     本陣1、脇本陣0、旅籠11、総人口582、家数136
     赤坂へ 2里8町(8.7q)


「樽見鉄道を渡る」
五六川を渡り区画整理された田の中の道を進むとやがて樽見鉄道の踏切を渡る。右が美江寺の駅でここから宿に入る。

樽見鉄道を渡る

「旧家の酒屋さん」
美江寺の宿に入ってすぐ左、連子格子の立派な造りの酒屋さん。これ1軒で宿のイメージが大きく膨らむ。

旧家の酒屋さん

「美江神社」
間も無く信号のある丁字路、右手に美江神社。ガイドブックによっては秋葉神社となっている。この奥に観音堂があり美江廃寺跡。

美江神社

「庄屋屋敷」
宿はここを左に曲がる。曲がった所右手が庄屋屋敷跡。門を構えた立派な屋敷が残っている。

庄屋屋敷

「格子造り袖壁の家」
その向い辺りに袖壁のある家、旅籠の跡だろうか。こんな家が有ると嬉しくなってくる。

格子造り袖壁の家

「美江寺宿本陣跡碑」
左手生垣のある家の前に標石が立っていて『巣南町指定史跡美江寺宿本陣跡』とある。代々山本家が勤めてきた。

美江寺宿本陣跡碑

「開蒙学校跡碑」
本陣の向いに標石が有り『巣南町指定史跡開蒙学校跡』とあるが、詳細は判らない。

「美江寺宿の街並」
宿を振り返って望むと、右手に本陣跡、左手に半鐘の下がった火の見櫓、正面に神社の石の鳥居が見える。懐かしい日本に風景である。

美江寺宿の街並

「黒板塀の旧家」
左手に黒板塀の旧家、ちょっと変わった門構え、どのような家なのだろうか。

黒板塀の旧家

「道標」
街道は黒板塀の旧家の先で右に曲がる。曲がり角の向こうに道標が立っていて『右大垣赤坂ニ至ル・左大垣墨俣ニ至ル』とある。ここで宿は終わる。

道標





美江寺から赤坂へ


「千手観音堂」
宿を出て間も無く右手に美江寺千手観音堂。左右に灯篭があり後は見晴がよい。犀川の新月橋を渡り、県道156号線にでる。役場や中学校があり、再開発された所のようだ。

「揖斐川鷺田橋」
県道から右にそれ田の中を斜めに揖斐川土手に向かって進む。土手から鷺田橋に出て揖斐川を渡る。この橋の歩道は左手下流側にしか無いので要注意。

揖斐川の鷺田橋

「良縁寺」
橋を渡り切ると歩道橋が付いていてそれで左下に降りる事が出来る。堤防下の歩道を行き右手に曲がる。この辺り呂久と言い昔の呂久村、揖斐川を呂久川とも呼んだ。角の寺が良縁寺。

「白鳥神社」
隣に白鳥神社、狭い範囲にお寺や神社が集まっている。

「長屋門の家」
右手に白壁の長屋門のある家があり、その前に『明治天皇御小休所』の石柱が立っている。由緒のある家なのだろう。

長屋門の家

「小簾公園」
左手に公園がある。これが皇女和宮記念の公園で昭和4年に開園した。

「小簾紅園(和宮遺跡)の解説」
揖斐川を御座舟で渡られた折、玉簾の中から綺麗な紅葉を見て歌を詠まれた。
       落ちて行く身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ
この故事から公園の名前が付いた。

小簾紅園の解説

「揖斐川呂久渡船場跡」
公園の一方の入口に『呂久の渡し呂久渡船場跡』の解説板が有り、『揖斐川呂久渡船場跡』の碑と『和宮御*路』の碑がある。

揖斐川呂久渡船場跡

「中山道神戸町標識」
中山道、日本歴史街道、神戸町の標識が立っている。平野井川に架かる呂久橋を渡り大垣市に入る。

「揖斐川氾濫防止堤防上の道標」
土手に突き当たるので右折して土手の上へと行く。上の道に出る手前左手に道標がある。『右すのまた宿道、左木曽路』

揖斐川氾濫防止堤上の道標

「中山道三回り半碑」
道はカーブし高圧線下で左手に下がり二又道を左折する。そこに『中山道三回り半』の碑が立っている。この辺り赤花町、道がくねくねと曲がる。

「聖観音道標」
三ツ屋町に入り十字路の右角に小さな祠とその前に『道標聖観世音菩薩』の標石がある。祠の中の聖観世音菩薩は古いもので、像の両側に『右ぜんこうじ道、左谷汲山、ごうど、いび近道』と彫ってあって道標の役割もした。

「中山道七周り半碑」
田園地帯に入り直線だった道がやや左にカーブする。その左手ブロック塀の前に『七回り半』の標石が立っている。この先またくねくねと曲がってゆく。先ず右折して、左折し、県道を越えアパート先で右折、県道に出てパチンコ屋で左折、県道を進み丁字路で右折、道なりに左折する。

中山道七周り半碑

「中山道標識」
道の所々に『この道は旧中山道です』の標識が立っているので大いに助かる。

「加納薬師如来道標」
最後の曲がりの所に祠があって前に『加納薬師如来是より北八丁』と刻んだ標石が立っている。

「白山神社」
近鉄養老線の踏切を渡る。右に有るのが東赤坂駅。菅野橋を渡って菅野地区に入る。県道から左にそれ間も無く左手に白山神社。

白山神社

「池尻の一里塚跡」
その先左手に一里塚跡。池尻の一里塚であるが痕跡は何も残っていない、ただ標石が立っているだけ。

池尻の一里塚跡





     赤坂


    中山道第五十六宿 赤坂宿


     所在地 岐阜県大垣市
     最寄駅 JR東海道本線美濃赤坂駅
     本陣1、脇本陣0、旅籠17、総人口1,129、家数292
     垂井へ 1里12町(5.2q)


「国道417号との追分」
池尻の一里塚を過ぎ赤坂新町で左から来た国道417号線と合流する。合流した所に交通安全と刻まれた常夜灯がある。

国道417号との追分

「赤坂湊跡と常夜灯」
旧杭瀬川に架かる杭瀬川大橋を渡ると右手に常夜灯、右下に赤坂湊跡がある。この湊、昔は杭瀬川が揖斐川の本流であって桑名方面との舟運で栄えたが享禄3年(1530)の大洪水で流れが変わり、その後は色々な手を打って流れを確保したが大正の半ばでその役目を終わった。

「浅間神社と赤坂港会館」
赤坂湊跡の隣に白亜の洋館の赤坂港会館があり港の資料館として使われている。その隣の鳥居が浅間神社で祭神は木花開耶姫命で谷川や湧水の守護神と言われている。

浅間神社と赤坂港会館

「旧旅籠」
左手には古い建物が何軒か並んでいる。これらは昔の旅籠跡。宿場の雰囲気が漂ってくる。

旧旅籠

「赤坂宿本陣跡碑」
西濃鉄道の貨物線の踏切を渡ると左手に公園があり左に『赤坂宿』の木製標識と右手に『中山道赤坂宿本陣跡』の標石と碑がある。ここに門構え、建坪239坪の本陣があって、文久元年(1861)10月25日に皇女和宮が泊っている。

「本陣跡公園」
公園の奥には地元出身の勤皇の志士、所郁太郎の銅像がある。

本陣跡公園

「旧家矢橋家」
十字路の左先にある豪邸が本陣を務めていた矢橋家の屋敷。矢橋家横の道を左に行くとJR美濃赤坂駅。

旧家矢橋家

「赤坂宿碑と谷汲道道標」
十字路の右手前には『赤坂宿』の碑と『左たにぐみ道』の常夜灯型の道標がある。これは天和2年(1682)の建立で、側に小さな天保4年(1833)の道標もある。

赤坂宿碑と谷汲道道標





東海道本線の枝線美濃赤坂駅から帰る事として駅に行ったら、列車は1時間に1本で、後30分待ち。もう一度街に戻り時間を潰して16時47分の大垣行きに乗車、大垣までは僅か2駅6分の距離。大垣で17時18分特別快速新城行きに乗車する。ここが始発でゆっくりと座って行け、疲れた体を休める事が出来た。18時36分豊橋着。豊橋駅前を18時50分発の豊橋鉄道バスで帰宅する。

帰ったらテレビでロケットH2A・4号機打ち上げに成功、環境観測技術衛星等4個の衛星を軌道に載せたと報じ
ていた。


     42,461歩
     加納〜赤坂 19.3q


ページ公開 平成15年3月7日
 ページ改良 平成22年11月6日
   写真追加 平成22年12月22日


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