大宮


    中山道第四宿 大宮宿


      所在地 埼玉県さいたま市(旧大宮市)宮町
      最寄駅 JR東北本線大宮駅
      本陣1、脇本陣9、旅籠25、総人口1,508、家数319
      上尾へ 2里(7.8q)


「氷川神社入口」
市街地再開発による新しい地区を過ぎると、右に武蔵野国一宮の大きな石碑と赤い一の鳥居が見える。ここが氷川神社の参道で、欅や楠に覆われた参道が2q続く。江戸の初期には中山道はこの参道を通っていた。この神社は孝昭天皇3年(前473?)の創建、出雲の国簸川の杵築大社(出雲大社)を招いたもので祭神は素盞雄尊、奇稲田媛命、大己貴尊。延喜式名神大社に列せられる伝統と社格を誇っている。

氷川神社入口

「安藤橋跡の碑」
吉敷町交差点の右手に小さな碑。かつてここには川が流れていた。

「橋本家の門」
左手に立派な門がある。これは加賀前田家江戸屋敷から譲り受けたと言う橋本家の門。

                 橋本家の門

「高島屋・本陣北沢家跡」
古い家とビルが混在する大宮宿の中心部。高島屋の建っているところが中央通交差点で、左へ行くと大宮駅。その高島屋の辺りが北沢家本陣の跡。(本陣は時期により1軒ないし2軒有った)

高島屋・脇本陣北沢家跡

「すずらん通角・脇本陣内倉家跡」
宿の左、すずらん通の角あたりが脇本陣内倉家跡。現役時代に単身赴任でしばらく大宮に住んでいたことがあり、当時はまさか街道歩きでこの地を歩きに来るとは想像だにしていなかった。

                 すずらん通り角・脇本陣内倉家跡

「住吉通角・本陣山崎家」
同じく左、住吉通の角あたりが本陣山崎家跡。標識、案内板など全く無い。今年は宿駅400年、自治体によっては宿場、街道の整備をして町おこしをしている所も有るのに、大宮は全くの無関心。

「宿中心・高砂2丁目」
大宮は脇本陣が9軒も有った、五街道でも唯一の宿場、さぞこのあたりは賑わったであろうと想像をめぐらす。

「土手町の椎の木」
街道の左手、JA共済連ビル先に大きな椎の木が2本繁っている。かつては土手町の椎の木と呼ばれ、街道筋では有名な木であった。

「氷川神社西入口」
街道の右手、裏参道入り口に官幣大社氷川神社の石碑。

                 氷川神社西入口




大宮から上尾へ


「東武・JRをくぐる」
東武野田線とJR宇都宮線のガードをくぐる。歩行者は幅の狭い急な階段を行く。身体の不自由な人はどうすれば良いのかと考え込んでしまう。

東武とJRをくぐる

「大山道道標」
大宮警察署を左に、大宮郵便局を右に見て進むと、次の信号左先のファミレスの駐車場に大山道の道標と解説板がある。安政7年(1860)の建立で『大山 御嶽山 よの 引又 かわ越道』とある。

「東北・上越新幹線をくぐる」
東北・上越新幹線のガードをくぐり、国道17号線を渡る。

「天神橋の跡」
宮原に入ってしばらく行くと天神橋バス停、脇に天神橋と刻まれた石が置かれている。昔はここに川が有った。

                 天神橋の跡

「加茂神社」
右手の森が加茂神社。京都の上加茂神社の分霊を祭っている。加茂宮と呼ばれる立場が有った所。

                 賀茂神社

「馬頭観音と地蔵」
大宮バイパスをくぐり間も無く左に馬頭観音ともう1基の石塔、お地蔵さん?。

「南方神社」
右に宮原小、宮原中を見て進むとその先に赤い鳥居の南方神社、地元ではお諏訪さまと呼ばれている。

                 南方神社

「珍しい藁葺き屋根」
街道の右手、ブロック塀の向こうに藁葺き屋根、久し振りに見る。

「不動堂」
街道の左手、何様がおわすのか、前には魂霊神の黒い石碑。ガイドでは不動堂。

「庚申塔と歩道の中山道道標」
上尾市との境界左、川越道の道標を兼ねた庚申塔。歩道には中山道の道標が立っている。





      上尾


    中山道第五宿 上尾宿


      所在地 埼玉県上尾市仲町

      最寄駅 JR高崎線上尾駅
      本陣1、脇本陣3、旅籠41、総人口793、家数182
      桶川へ 34町(3.7q)


「愛宕神社」
上尾陸橋への道との交差点、その先左に欅の森と石の鳥居の愛宕神社。ここから上尾の宿に入る。

                愛宕神社

「上尾宿中心・仲町」
仲町・宮本町あたりが宿の中心でここに本陣1、脇本陣3、旅籠41軒も軒を連ねていた。今はマンション、デパートやビルが建ち並び宿場のイメージは全く無い。

「氷川鍬神社」
宿の左手に木立が有って、宿場の名残を残すのはここだけ。この神社上尾宿の総鎮守で、御神体が小さな鍬2挺で鍬大神宮と言われたいたのが明治になって浦和の氷川女体神社を合祀したので名前が変わった。

氷川鍬神社


「本陣跡のパチンコ店」
神社の向かい宿の右手、パチンコ屋さんあたりが林本陣の跡で、両脇に細井脇本陣と問屋場があった。

本陣跡のパチンコ店


「二賢堂跡」
氷川鍬神社境内に上尾郷二賢堂跡。二賢とは朱子と菅原道真のことで、2人の賢人を祀ると言う意味。天明8年(1788)創建、安政7年(1860)まで続いたとある。





上尾から桶川へ


「庚申塔」
宿を出て右、タバコ屋さんの前に庚申塔。

                 庚申塔

「彩の国平成の道標と上尾宿説明板」
庚申塔を過ぎて間も無く交差点に道標と説明板。道標には彩の国平成の道標・埼玉県大宮土木事務所とあり、説明板の瓦屋根に鍾馗さんが乗っている。昔火災を恐れた上尾宿の町屋では火事除けのために屋根に鍾馗様を乗せたと言う。

彩の国平成の道標と上尾宿説明板






      桶川


    中山道第六宿 桶川宿


      所在地 埼玉県桶川市寿
      最寄駅 JR高崎線桶川駅
      本陣1、脇本陣2、旅籠36、総人口1,444、家数347
      鴻巣へ 1里30町(7.2q)


「南の木戸跡」
桶川宿に入り、右手橘町バス停前に南の木戸跡の石碑が建っている。ここからが桶川の宿。

                 南の木戸跡


「桶川宿中心を望む」
桶川宿の中心部を前方に眺める。マンションと商店、民家の混在した景色。

「旅籠の名残・武村旅館」
宿の左手、唯一残った旅籠『紙屋半次郎』の武村旅館大正時代に改築されたが、間取りは江戸末期のままとか。国の登録有形文化財。

旅籠の名残・武村旅館


「古い店構えのお店」
宿の左手、鮮魚のお店。今ではスーパー等でポリのトレーにラップで包まれた魚の切り身しか見掛けなくなっただけに、この様なスタイルのお店を見ると、むしょうに懐かしさが込み上げてくる。

                 古い店構えのお店

「二階が連子格子の家」
宿の左手、木工会社の事務所。

「土蔵造りの家」
宿の右手、二階が連子格子の家と向かい同士。この様な建物が残っていると、如何にも宿場らしく、歩いているのが楽しくなってくる。  桶川は五・十市が立ち麦の取引が盛んであった。また『武州紅花』や『武州藍』の産地でそれらで財をなした問屋や仲買があったと言う。

土蔵造りの家


「府川本陣跡」
本町バス停前の右手、黒い木戸門の奥に明治天皇桶川行在所の石碑が建っている、ここが府川本陣跡。府川家が代々世襲して屋敷の規模は千坪余と言われたが、今は上段の間を含む僅かの部屋が残るのみ。埼玉県内に残る唯一の本陣遺構で、埼玉県指定文化財になっている。

府川本陣跡


「一里塚跡」
北1丁目右手、製麺工場の駐車場に小さな祠。かつてはここに一里塚が有った。塚は無くなったが塚の上にあった祠は残った。

「中山道桶川宿碑」
次の市役所入口交差点の右手前に真新しい桶川宿の碑。

「北の木戸跡」
交差点の向かい側、宿の左手に北の木戸跡碑。

北の木戸跡






桶川から鴻巣へ


「中山道北本宿碑」
桶川を出てからは何の変哲も無い道をただ黙々と歩く。雲行きが悪くなってきた。傘を差したり畳んだり。北本市の本宿交差点左に中山道北本宿の碑と、歴史が書かれた解説板がある。江戸初期の鴻巣宿はここに置かれていた。宿が移ってからは本宿と呼ばれ間の宿として賑わった。ここを過ぎてやっとファミレスを見付け昼飯にありつく。午後1時30分。

中山道北本宿碑






      鴻巣


    中山道第七宿 鴻巣宿


      所在地 埼玉県鴻巣市本町
      最寄駅 JR高崎線鴻巣駅
      本陣1、脇本陣1、旅籠56、総人口2,274 家数566
      熊谷へ 4里6町40間(16.5q)


「人形の街鴻巣」
北本から再び黙々と歩いて人形1丁目で雛人形の町鴻巣に入る。天正年間(1573〜1644)に京都の伏見人形の人形師がここに住みついたのが始まり。雨はほとんど降らなかったが、遠雷が聞こえる様になってきた。雲の流れ具合によってはやばくなる。用心、用心。

                 人形の街鴻巣

「旧旅籠中村邸」
宿の中心本町に入って6丁目右手に旧旅籠中村邸。明治になって改築したと言われるが、宿場の面影を良く残している。

旧旅籠中村邸


「鴻巣宿中心部・本町」
宿の中心は商店街、何処にでも見られる町並みである。

「本陣跡・タカノ薬局」
宿の左手、KONIKAの看板が架かったタカノ薬局が本陣跡。薬局の手前の路地を左に入った所に本陣が有った事を記した番屋跡碑がある。

本陣跡・タカノ薬局


「脇本陣跡」
宿の左手、本陣の少し先が脇本陣跡、きっとこの辺りと思われるが確証は無い。

「土蔵造りの家」
鴻巣駅入口を左に過ごし、少し行った先左手に土蔵造りの商家等数軒の建物群がある。この辺りは問屋場が有った所。

                 土蔵造りの家など

「鴻神社」
雷電2丁目の右手、如何にも北関東に有りそうな地名。明治6年に氷川、熊野、竹ノ森雷電の三社を雷電社の有ったここに合祀、鴻三社と言ったが後に鴻神社となった。

鴻神社






鴻巣から熊谷へ


「高崎線踏切」
宿を出て加美交差点で旧道は左に分かれ、JR高崎線の踏切を渡って進む。

「箕田観音堂」
踏切を渡って間も無く左に松山道。街道はそのまま直進する。ここからが散在する人家の中の道をただひたすらに歩く。長い、長い道のり。雲が切れ真っ青な空、雷も何処かへ行って暑い暑い。やがて右手に観音堂、本尊は源頼光の四天王の一人渡辺綱の守り本尊だったとか。

                 箕田の観音堂

「箕田八幡神社」
宮前交差点、その先左に箕田小学校、その先右に八幡神社、入口に箕田碑。宝暦9年(1759)建立、源経基の徳と箕田源氏の活躍が記されている。

箕田八幡神社


「武蔵水路」
武蔵水路の中宿橋を渡った所で今回の行程を終わる。





橋を渡って右折、次の橋を逆に渡ってお寺の裏から踏み切りへ、踏切を渡ると住宅団地赤見台、左に進むと間も無く北鴻巣駅。17時07分上野行きに乗車。今日のお天気、桶川を過ぎ北本に近くなった頃から雨がポツポツ、カメラをザックに仕舞い傘をさして歩く。しかし濡れるほどの雨にはならず、傘を差したり畳んだり、鴻巣に入り14時50分頃、人形町で雷鳴を聞く。ひどくならねば良いがと願っていたら幸い雲が切れ始め、空の色は真っ青、カンカン照りになる。 出発前の予報では、寒気を伴った低気圧の接近で大雨雷注意報が出されていたので、覚悟はしていたがこの程度で済んで大助かり。

東京では久々に八重洲地下のニュートーキョーで生ビールを飲む。夜行の「ムーンライトながら」の時間まで東京温泉のサウナに入って疲れをほぐす。東京23時43分発、豊橋4時23分着、豊橋5時43分発興津行きの始発で二川へ、二川から始発のJRバス。6時過ぎに帰宅する。

     54,686歩
     浦和〜鴻巣   23.7q


ページ公開 平成14年11月28日
ページ改良 平成22年10月28日
写真追加 平成22年11月9日




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