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本坂越(姫街道)独歩記

ほんざかごえ(ひめかいどう)ひとりあるき


本坂越(姫街道)ウォーク その5 

平成17年3月8日(火) <その2>



本坂峠から嵩山宿まで

「弘法水」
しばらくの休憩の後、峠を発って嵩山宿への下りにかかる。この道は街道と言うより山道である。足元を気にしながら下って行く。間も無く左手に岩があり下に小さな洞がある。『弘法水』の標石と解説板があり、それには『昔、弘法大師がこの地を訪れた際、喉を潤したと言い伝えられる』とあった。しかし今は冬場であるせいか水は無い。

弘法水


「ヒノキの森を行く」
ヒノキの林の中をどんどん下って行く。冷たくてあまり日が射さない。上りの明るくて温かだったのと比べると随分と雰囲気が違う。

ヒノキの森を行く


「嵩山の七曲り」
右に、左にと曲がりながら下ってゆくと、沢筋のてっぺんに『嵩山の七曲り』、『姫街道』、『水場』の標識がある。水場とあるが湿っている程度で飲めるような水は無い。名前の通り七曲り、下る方だから良いものの、ここを上って来るのは大変だ。まして昔のお姫様の道中はどのようにして上って来たのだろうか。

嵩山の七曲り


「茶屋跡」
更に下ると茶屋跡の標識がある。なるほどこの辺りで休憩を取りたい所だ。

茶屋跡


「座禅岩」
下る道の真ん中に上が平らな岩がどっかりと座っている。そばに『座禅岩』の標石と木の看板がある。その謂れなどは書かれていない。特に由緒は無く、上が平らだから誰かがそのように名付けたのではなかろうか。

座禅岩


「腰掛岩」
続いて左手に岩があって『腰掛岩』の標石と木の看板が有る。これだけなら只の岩、座禅岩と対になっての腰掛岩であろう。この二つの岩を過ぎると山道から変わって比較的歩き易い平らな道になる。快調に下り、沢を渡るところにある『茶旧川橋』の標石を見逃してしまった。

腰掛岩


「階段で下り旧道を横切る」
石で積まれた階段を下ると旧道を横切る。旧道を横切った先には、またまたゴミの山が待っていた。旧道からぶん投げてゆくのだろうか、情けなくなってくる。旧道からしばらくは階段で下りる。

階段で下り旧道を横切る


「嵩山の一里塚」
階段が無くなって、再び歩き易い平らな道になる。やがて左手に黒い偽木に白い文字で書かれた『嵩山一里塚』の標柱があり、その後に塚らしきマウンドがある。標柱には『江戸ヨリ七十三里』と『御油ヨリ四里』とも書かれている。

嵩山の一里塚


「石畳道を行く」
道は再び石畳となりヒノキの林の中を下る。

石畳道を行く


「集落に出る」
左手に高い石積みの砂防堰堤を過ぎ左右に民家が見えてきた。これが嵩山の集落である。

集落に出る


「昔茅葺だった家」
右手には赤いトタン屋根の家がある。今はトタンで葺かれているが昔は茅葺だったと思われる。


「姫街道道標」
左手の石垣の脇に背の高い石柱が立っている。本坂峠を下って来た者は道標の裏(本坂峠に向いた面)を見ることになる。通り過ぎて振り返ると石柱の正面上半分に大きく3文字『姫街道』とあり、下半分に『西嵩山宿、東本坂峠』の文字が2行で刻まれている。

姫街道の道標


「香川景樹の歌と解説」
この道標の街道に向かった面には歌が刻まれている。
     杉のむらだち下にみて幾重のぼりぬすせの大ざか  景樹
道標の裏(本坂峠に向かった面)には長々と景樹の解説が記されている。
『香川景樹、江戸期歌人、天保14(1843)年76歳で没す。号は桂園、長門介または肥後守、本歌は高弟の菅沼斐雄をつれて文政元(1818)年東下りをした際の斐雄の随行紀行「袖くらべ」にあり、舟嫌いの景樹は荒井の渡しを避け2月29日吉田宿より嵩山街道を通り姫街道嵩山宿・名勝「とんがめ」を過ぎて本坂峠の難所であり三遠国境の景勝地「嵩山七曲り」付近にて本歌を詠んだ』

香川影樹の歌と解説




嵩山宿

「街道の面影の残る家」
姫街道の標識を過ぎると嵩山の宿に入る。左手に大きな二階建ての町屋がある。そんなに古くはなさそうだが宿場の雰囲気が感じられる。

街道の面影が残る家


「狭石川の重王橋」
右手からの流れの鋏石川に架かる重王橋を渡る。この先、宿の道は左から右へと緩くカーブし道の両側に建つ民家とあわせて宿場らしい景色を作り出している。左手には宿場時代には観音堂や十王堂があったのだが、今はその痕跡も無い。

鋏石川の重王橋


「古い感じの家」
左手には嵩山川に架かる本陣橋。それを過ぎて右手、道に面した石積みにマキの生垣があり、奥に門構えの家がある。結構古い感じの門で、脇本陣跡のようだが記されたものが無いのではっきりとは言えない。

古い感じの家


「本陣跡」
その隣、マキの生垣の前に「姫街道案内図」があり、それによるとこの後の家が元夏目本陣だった所。建物は新しい物に建て変わっているが、黒い塀の一部が残っており、昔の名残かと思われる。

本陣跡


「姫街道案内図」
案内図には嵩山付近の地図に史跡などの写真が添えられ、姫街道の説明の他、姫街道全体の地図や嵩山宿の本陣と旅籠の図もある。

姫街道案内図


「嵩山宿の本陣と旅籠の図」
天保年間の「本坂通宿村大慨帳」では、嵩山宿は東西5町50間、家数は130軒、本陣は1軒で脇本陣や旅籠屋は無かった。でも、幕末になり通行者が増えると、脇本陣や旅籠屋も置かれるようになる。この図では脇本陣は無く、旅籠が11軒記されているが、旅籠の中の有力なものが脇本陣の役目を勤めたのかも知れない。

嵩山宿の本陣と旅籠の図


「古い家」
右手に低い屋根と土壁の家がある。今は板戸で閉ざされ、住む人も無く荒れているが古い時代を思わせる雰囲気を持っている。

「古い塀」
右手に、宿の道に面して黒い塀がある。瓦が乗り、上半分は白壁で下半分が黒い腰板が張られている。他の建物が新しいので、これはわざわざ保存されているようだ。その気持ちは有り難い。宿の名残となるものは何時までも残しておいて欲しいものである。

古い塀


「煉瓦塀に囲まれた常夜灯」
その先に赤煉瓦の塀で囲まれた秋葉山の常夜灯がある。これは文政10年(1827)の建立とある。今まで多くの常夜灯を見てきたが、ここの様に赤煉瓦の塀で囲まれたものを見るのは初めてである。

煉瓦塀に囲まれた常夜灯




嵩山宿から和田辻へ

「正宗寺入口」
常夜灯を過ぎると、新本坂トンネルをくぐってきた国道362号線が左に来て、街道と合流する。この右手に正宗寺入口の看板が立っている。ここから北へ750mばかり行くと、臨済宗妙心寺派嵩山正宗寺がある。東三河屈指の古刹で、創立は鎌倉時代。永仁年間(1293年〜1299年)に宋から渡来した高僧・日顔禅師が中国の嵩山(すうざん)と地形が似ていることからこの地を嵩山(すせ)と名づけ正宗寺を創建したと言われている。ここで8月に行われる寺宝展を見に行ったことが有る。

正宗寺入口


「国道を西へ」
国道を西へと進む。途中観音堂跡、阿弥陀堂跡、高札場跡等が有ったと言われる所で左に折れ、再び国道に合流するのだが、そこが工事中で通行止めになっていたので、そのまま直進する。これ等のお堂の跡や高札場の跡は何の表示も無くこの辺りに有ったのかと想像するだけで、何とも物足りない。

国道を西へ


「長楽鉱山」
しばらくは何も見る所無く、広々とした景色の中を、西へ西へと進む。陽気は良いのだが猛烈な西風、まともな向かい風で前進するのに苦労する。はるか右手には長楽鉱山という採石場が見える。

長楽鉱山


「梅林」
続いて右手に梅林があって白梅が咲いていた。黙々と歩く中でほっと一息つける所ではある。

梅林


「常夜灯と道標」
左手に交番が有り、その先家並みの向こうに長楽寺の甍を見て進むと、次の左への分かれ道の所に文政3年(1820)建立の常夜灯と自然石の道標がある。ここを直進するのが本坂越の姫街道で御油宿へ道、左へ分かれるのが吉田宿への道。この道標には『左豊橋・右豊川』と刻まれている。写真は逆光でシルエットの様になってしまった。

常夜灯と道標


「長楽の一里塚跡」
常夜灯からすぐの所、同じく左手、竹薮の前に四角い石の一里塚跡碑がある。平成8年に建てられたばかりでまだ新しい。碑面には『右 京より五十三里 姫街道長楽一里塚 左 江戸より七十四里』と刻まれている。

長楽の一里塚跡


「間も無く和田辻」
右手に石巻中学校、左手に石巻郵便局、国道の上には案内表示があり、間も無く和田辻の交差点である。

間も無く和田辻交差点


「和田辻交差点」
和田辻交差点に到着した。三ヶ日から本坂峠を越えて嵩山へ下る、名実共に本坂越えの道中を4時間半かけて歩いてきた。しかしこの間、街道歩きの人とは誰一人出会わなかったのは一寸寂しい。今日はここまで、次回はここから御油宿の追分までと決め、行く手の景色を頭の中に焼き付けて歩数計をリセットする。

和田辻交差点




和田辻バス停から豊橋駅行のバスに乗って帰路に着く。今日は終日好天に恵まれ暖かであったが、嵩山から和田辻までの間猛烈な向かい風に遭い、体感温度も随分下がって、余計なエネルギーを消耗した。家内は花粉に悩まされ続けながらも良く耐えて歩き通した。一時と比べ強くなったものだ。バスの窓から入る温かな日差しと、走行する車体の振動とが心地良く、疲れた身体に睡魔が襲ってきた。

今日のニュース、朝刊では「ソニー復活へ荒療治、出井会長辞任、後任にハワード・ストリンガー氏」。夕刊では「ニッポン放送株TOB、フジ36.47%確保、ライブドア取得継続」。


     今日歩いた記録
      22,478歩(本坂越正味17,595歩)
      13.47q (本坂越正味10.55q)
      917kcal(本坂越正味719kcal)

     今までの累計
      128,065歩(本坂越正味98,200歩)
      77.14q (本坂越正味58.89q)
      5,389kcal(本坂越正味4,153kcal)

ページ公開 平成17年3月23日
ページ改良 平成23年4月30日

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