甲州道中ウォーク その3



平成15年9月18日(木)   下初狩から駒飼まで
平成15年9月19日(金)   駒飼から甲府まで


9月15日に阪神タイガーズが18年ぶりに優勝し、甲子園での星野監督の胴上げがあり、関西は、いや日本中がお祭り騒ぎ。道頓堀に飛び込んだ人の数が何と5,300人とか。誰がどうして数えたのだろうか? 警察? それともお役所? いやセンサーを付けたのかな? 世の中暇な人も居るものだ。

何だか盆と正月が一緒に来たような騒ぎ、これで世の中少しは明るくなりそう。株価も11,000円近くまで来て経済も元気が出てきたみたい。そんな気分の中で「甲州道中ウォークその3」の旅に出る事になった。






初日9月18日(木)


今回は何も予定の入ってない日を選び、お天気はその時の運という事にして、バスやホテルの予約を入れた。その結果9月17日(水)夜の出発。いつもの様に、家内に二川駅まで送ってもらって23時01分岡崎行きの電車に乗り「甲州道中ウォークその3」の旅が始まった。

今回も夜行バス「伊良湖ライナー」を利用する。9月18日(木)5時35分ほぼ予定どおり東京八重洲口バスターミナルに到着。空が明るくなって日の出を迎える時刻。お天気は良さそう。バスターミナルの中のお店で朝食をとり、6時12分のJR中央本線特快で高尾へ。高尾で7時24分発小淵沢行きに乗り換え、車内は山行きの格好をした中高年ばかり、大菩薩嶺へ行くらしい。暇で元気な中高年が如何に多いかが良く分かる。8時21分初狩着。






下初狩


甲州道中第二十九宿 下初狩 【しもはつかり】


所在地 山梨県大月市初狩町
最寄駅 JR中央本線「初狩駅」
日本橋から 101.7q   中初狩へ0.9q


本陣2、脇本陣2、旅籠が12軒あった。駅前に山本周五郎の生誕の碑がある。


JR初狩駅」
この駅で降りたのはたった二人。初狩駅で街道歩きのスタイルに整え、8時30分に出発する。

JR下初狩駅

「山本周五郎生誕の地」
駅前交差点のコンビニの前で歩数計をリセット。街道を少し戻った右手、道路より少し下がったところに有るのが山本周五郎生誕の地。大きな立派な家である。

山本周五郎生誕の地

「山本周五郎生誕の地碑」
生誕の地を記した碑が道路沿いに立っている。周五郎(1903〜67)は封建時代の武士の苦哀や庶民の哀歓を描くのを得意とした作家で「樅の木は残った」「赤ひげ診療譚」などの代表作がある。

山本周五郎生誕の地碑


「下初狩宿の町並み」
街道沿いには何軒かの古い家が残っている。

下初狩宿の町並み

「二十三夜碑」
宿の右手に大きな石碑、二十三夜と刻まれている。これは月を信仰の対象とした「月待ち」の一種で、月待ちの本尊は十二天の月の天子勢至菩薩、その縁日が二十三日とか。

二十三夜碑

「下初狩の民家」
所々に残る民家は切妻平入りでどれも大きな建物である。

下初狩の民家

「宮川橋」
宿の出口が宮川の宮川橋。

宮川橋


「宮川橋の一目富士」
この橋から南の眺めが「宮川橋の一目富士」と呼ばれるところで、谷間にある先の尖った山の上に富士山の頂上付近が見える。雪を被っていたらもっとはっきり見えるのに。でもこの時期に見られたのはラッキー!

宮川橋の一目富士





中初狩


甲州道中第三十宿 中初狩 【なかはつかり】


所在地 山梨県大月市初狩町
最寄駅 JR中央本線「初狩駅」
日本橋から 102.6q   白野へ3.9q


本陣1、脇本陣1、旅籠が25軒あった。天和2年の江戸大火を逃れ、芭蕉が訪れている。


「芭蕉句碑」
初狩小学校入口の中初狩歩道橋の右階段脇に、先の尖った大きな句碑と横に小さな芭蕉と刻まれた石碑がある。
        山賤の頤とつる葎哉   芭蕉

芭蕉句碑


「中初狩の町並み」
二階に手摺欄干の付いた大きな民家がある。宿場の名残が残っている。

中初狩の町並み

「本陣跡」
宿の右手に本陣の跡。大きな二階建ての屋敷で、左にある門の前に碑が立っている。

本陣跡


「本陣跡の明治天皇御小休遺跡碑」
明治天皇御小休遺跡の碑が立っていることで本陣跡と推測出来る。

本陣跡の明治天皇御小休遺跡碑





中初狩から白野へ


「常夜灯と石碑群」
宿の出口辺りか、街道の左手石垣の上に常夜灯や石碑・石仏が集められている。

常夜灯と石碑群

「笹子川沿いに中央本線をくぐる」
街道は人家を離れ笹子川沿いに行く。やがて中央本線の下をくぐり白野へと向かう。

笹子川沿いに中央本線をくぐる





白野


甲州道中第三十一宿 白野 【しらの】


所在地 山梨県大月市笹子町
最寄駅 JR中央本線「大月駅」からバス
日本橋から 106.5q   黒野田へ4.0q


本陣1、脇本陣1、旅籠が4軒あった。昔は峠の名物力餅、今は名物笹子餅。


「白野下宿バス停」
中央本線をくぐって間も無く国道から右に分かれると白野の宿。白野下宿のバス停がある。

白野下宿バス停

「屋号を書いた家」
左手の家の二階、ガラス窓に家紋と「みくにや」の大きな文字が書いてある。宿場時代の屋号と思われる。

屋号を書いた家


「宿の中心部」
道に出ていた中年の女性に宿の名残がないか尋ねたら、このおじいさんなら知っているに違いないと紹介されたのが、麦藁帽にゴム長、杖を突いた老人。この宿は明治42〜43年に大鹿川の氾濫で大水害に遭い、宿の全ての物が流されてしまったとか。中宿の公民館の辺りに一里塚が有ったという。

宿の中心部





白野から黒野田へ


「伝説立石坂の立石」
上宿で国道に合流して宿を出る。次の原入口バス停のところから再び右に別れ中央本線の下をくぐる。そのガードの下に伝説の標柱と矢印がある。

伝説立石坂の立石

「伝説の地」
街道は線路の向こう側を行くのだが、矢印に従って線路のこちら側、石井工業所の前を通って奥に行くと右の崖の上に赤く塗られた小祠と「奉納四国西国関東秩父百八十八番供養塔」とその他の石碑などがある。これが伝説の地らしいが詳しい事は分からない。

伝説の地
「萬霊塔」
街道に戻って線路に沿うように進むと右手石垣の上に萬霊塔。街道を行く旅人や牛馬や全ての霊を供養したもので、昔は旅をすることが命がけであったことが良く分かる。

萬霊塔

「街道沿いの民家」
切妻平入りの大きな屋敷、白壁がとっても美しい。

街道沿いの民家

「親鸞上人念仏塚」
笹子町原公民館を過ぎると左手に白いベンチが置いてあり、その後ろに幾つかの碑が立っていて、標柱と解説板がある。

親鸞上人念仏塚


「念仏塚の由来」
この前に葦ヶ池があって、親鸞聖人がここの地頭宅に立ち寄った時のこと、ここの娘が修行僧に心を寄せたが叶わず池に身を投げたと聞き、念仏供養し小石に名号を書いて池に投げたところ、娘の霊は成仏し観世音大士となり白虎の先導で空を飛び伊豆の手石浜へ行ったとある。

念仏塚の由来

「稲村神社」
右手石垣の上に稲村神社がある。

稲村神社

「神社の由来」
祭神は国常立尊、素盞雄尊、日本武尊、稲田姫尊の四神。南北朝時代の嘉暦2年(1327)の造営、宝暦11年(1761)大鹿川の氾濫で荒廃し安永6年(1777)に再建遷宮したとある。

神社の由来

「合体道祖神」
神社の境内に多くの碑や祠があり、その中に合体道祖神というのがある。

合体道祖神


「道祖神の解説」
我々が良く知っている信濃の道祖神は男女両神が寄り添っている姿の双体道祖神であるが、ここのは男根、女陰の自然石と丸石を合わせたもので、甲州でも希なもの。

道祖神の解説

「三叉の杉」
同じ境内に根元から3本に分かれた大杉がある。
時計が10時を指し、歩き始めて1時間半が経ったのでここで小休止。浄水の水道で口をゆすぎ、手や顔を洗う。シャツを脱いで風を通すととっても爽やか。ミンミン蝉の声が聞こえる。

三又の杉

「葦ヶ池の碑」
再び街道歩き。道は鉄道で遮断されるので手前で左折し線路をくぐる。国道に出るまでの左手に、黄色く実った稲田を背にして『葦池』碑と『沼湖葦ヶ池』の標柱と解説板がある。

葦ヶ池の碑

「葦ヶ池の由来」
この池は古くから葦ヶ池という。昔、行基菩薩がこの池を阿弥陀海、峠を篠子峠、池の北の道を阿弥陀海道と命名。阿弥陀仏を作って阿弥陀堂に安置し信心流布につとめた。以後阿弥陀堂は修行僧の修行の場となった。

葦ヶ池の由来

「笹子川笹子川橋」
しばらく国道を行き、やがて二又に別れ国道は左に、笹子川の笹子橋を渡る。右へ行くと笹子小学校。この辺り阿弥陀海と書いて「あみだかいどう」と読ませる宿場の有ったところ。本陣1、脇本陣1、旅籠が4で、先の白野と阿弥陀海、次の黒野田との三つで1郷、問屋業務を日にちを分けて分担していた。元上初狩の地であった。阿弥陀海を含めて甲州道中45次と言う場合もある。

笹子川の笹子橋

「造り酒屋」
橋を渡ると左手に大きな太鼓が目に入る。その奥には酒遊館、体験工房やお店などがある。その先は蔵見学の出来る銘酒笹一の醸造元。

造り酒屋


「日本一の大太鼓」
この太鼓は世界平和太鼓という自称日本一の大きさを誇る大太鼓。

日本一の大太鼓

「酒蔵」
酒蔵を左に見ながら国道を行く。ここから左手およそ1キロ先にはトンネルの中ではあるがリニアモーターカーの実験線が走っている。

酒蔵





黒野田


甲州道中第三十二宿 黒野田 【くろのだ】


所在地 山梨県大月市笹子町
最寄駅 JR中央本線「大月駅」からバス
日本橋から 110.5q   駒飼へ8.7q


本陣1、脇本陣1、旅籠が14軒あった。淡路島から伝わった追分の人形芝居が有名。


「笠懸地蔵」
中央本線の線路をくぐり左手の笹子駅を過ぎると笹子町黒野町、黒野田の宿である。左手に分厚い笠状のものを頭の乗せかがんでいる石像がある。これが笠懸地蔵。

笠懸地蔵

「地蔵の由来」
由来によると安政2年(1858)の創建、甲州街道黒埜宿笠懸地蔵、天明や天保の大飢饉で領民を襲う苦渋から救いを求め地蔵に祀ったとある。

地蔵の由来

「本陣跡」
宿の左手に切妻平入りの大きな屋敷、表札に天野とあるのが本陣の跡。この辺りは天野姓が多い。

本陣跡


「本陣跡の門」
建物の右手に門がある。

本陣跡の門

「常夜灯」
左手に小ぶりな秋葉山の常夜灯、嘉永7年(1854)の建立。

常夜灯

「黒野田橋」
笹子川の黒野田橋、国道と旧道とにそれぞれ橋が架かっており、渡った所で合流する。

黒野田橋

「普明禅院」
国道が左に緩くカーブする右手に白壁、鐘楼の見える普明院。寺の背後を中央自動車道、国道の左下から寺をくぐるようにしてJR中央本線が笹子トンネルに入る。

普明禅院


「一里塚碑」
寺の門柱の右手に「江戸日本橋ヨリ二十五里」の石柱が立つ。この辺りに一里塚があった。

一里塚碑





黒野田から駒飼へ(笹子峠越え)


「笹子峠へと向かう」
お寺を過ぎると真っ直ぐな上りの道、左手にはコスモスが咲き、稲穂が黄金色に実っている。右手の中央自動車道も笹子トンネルに入ってゆく。先には道の駅、甲斐大和の標識が見える。

笹子峠へと向かう

「公民館前の常夜灯」
左手追分の公民館の前に常夜灯、ここのは安政3年(1856)の建立。

公民館前の常夜灯

「追分」
ここで国道は右に分かれ新笹子トンネルへと向かうが、旧道の甲州街道は左手の県道笹子日影線へと進む。分岐の手前右手にコンビニがある。笹子峠越えのおよそ3時間半、全くお店が無いと言うことで、ここでお昼の弁当と飲み物を仕入れる。

追分


「植林された林の中を行く」
追分で左手にとり旧道を進む。鉄工所のような会社を過ぎると人家が絶える。以後は全て山の中である。植林されたスギやヒノキの綺麗な林の中、舗装された道を行く。めったに車は通らない。

植林された林の中を行く

「笹子峠自然遊歩道に入る」
途中左手に笹子峠自然遊歩道の案内板があり、ここから山の中へと入る。案内には『この自然遊歩道は旧甲州街道で、左手の谷川のせせらぎを聞きながら登ると、三軒茶屋跡、明治天皇御野立跡があり、約800mで矢立の杉に至る』とある。

笹子峠自然歩道に入る


「山道を行く」
森林浴を楽しみながらの上り道、人っ子一人通らない、小鳥や蝉の鳴き声が聞こえるだけ。

山道を行く

「明治天皇御野立所跡碑」
ほどなく石垣で囲まれた広場に出た。ベンチが作られ、右奥に石碑がある。明治天皇がこの峠越えで休憩されたところ。丁度12時になったので、コンビニで買った弁当とお茶でお昼にする。シャツを脱いで近くの枝に掛けて干し、風を通すが、「待ってました」とばかりに蚊が襲ってきて、じっと座って居られない。これには参った、参ったである。三軒茶屋跡には気が付かなかった。同様にこの後の庚申塚も見落としてしまったようだ。

明治天皇御野立所跡碑

「矢立のスギの解説」
少し上ると解説板が見えその向こうにスギの大木がある。これが矢立のスギ。『昔の武士が出陣にあたって矢をこのスギにうちたてて、武運を祈った』とある。

矢立のスギの解説

「矢立のスギ」
森の大将といった感じ。樹高26.5m、根廻り幹囲14.8m、樹齢は不明。

矢立のスギ


「スギと天然記念物碑」
県の天然記念物に指定されている。幹は地上21.5mで折れ樹幹中は空洞になっている。

スギと天然記念物碑

「広葉樹林を行く」
矢立てスギを過ぎると間も無く先の県道に合流する。この辺りは恩賜林、広葉樹に変わり保安林に指定されている。ブナ、コナラ、イタヤカエデ、フサザクラなどが道を覆う。

広葉樹林を行く

「笹子隧道黒野田側」
峠の道を上りきると笹子隧道になる。入口の左右に2本ずつ並んだ柱状の装飾が特徴的。

笹子隧道黒野田側


「笹子隧道について」
解説によるとこのトンネルは昭和13年(1938)に完成し、昭和33年(1958)新笹子トンネルが開通するまでの間、長野県や山梨県から東京への幹線道路として活躍した。しかし追分から日影までの笹子峠は幅員狭くつづら折りの難所に変わりはなかった。

笹子隧道について

「トンネルの中」
トンネルを通らずに更に峠を上るルートが有る筈だが、良く分からなかったので止むを得ずトンネルを行くこととする。峠は標高1,096m天神宮が祀られているとか。トンネルの中は全く明かりが無い。出口近くまで来た時、向こうから乗用車が入ってきた。手を振って歩いている事を知らせる。物凄い音で耳がおかしくなりそう。めったに来ない車がこんな時に来るなんて・・・。

トンネルの中

「笹子隧道駒飼側」
こちらは駒飼側の入口、全く飾り気がない。東京から来る人に良いところを見せる為か?

笹子隧道駒飼側

「ショートカットコース」
下りにかかると、左ガードレールの切れ目に甲州街道峠道の標識。つづら折れの県道をショートカットするルートだ。

ショートカットコース


「獣道状の道を行く」
短絡出来るのは有難いが、急坂の獣道のよう。滑らないように制動を掛けながらゆっくりと下りる。碓氷峠や和田峠の下り坂を思い出す。

獣道状の道を行く

「甲州の山」
県道に戻って舗装の道を下る。この辺りからの眺め、山が深い事が良く分かる。

甲州の山

「唐松林」
シラカバがあったりカラマツの林があったり、上りとはちょっと様子が違うようだ。

唐松林

「笹子峠の解説板」
左手に笹子峠の解説板がある。それによると昭和61年に地区の住民と文化協会の手で清水橋から峠までの旧道を整備し通行可能としたとある。上の峠側にこの解説と道標を立てておいてくれたら旧道を下ってくるのに・・・と悔やまれる。

笹子峠の解説板

「桃の木茶屋跡」
右手に真新しい『甲州道中桃の木茶屋跡』の白い標柱ある。下りの道にはアケビや色々などんぐりや落ち葉が落ちていて、それらを観察しながら歩くのも楽しいものだ。

桃の木茶屋跡

「駒飼宿が一望出来る」
どんどん下ってきて最後の急カーブのところから左手に駒飼宿を望むことが出来る。ア〜これで甲州道中最大の難所、笹子峠を越えたのだ! 感動が胸に迫る。達成感と満足感(どこででも感じているようだが)を持って駒飼の宿へと入る。

駒飼宿が一望できる






駒飼


甲州道中第三十三宿 駒飼 【こまかい】


所在地 山梨県東山梨郡大和村日影
最寄駅 JR中央本線「甲斐大和駅」
日本橋から 119.2q   鶴瀬へ2.0q


本陣1、脇本陣2、旅籠が6軒あった。甲州道中膝栗毛の弥次喜多はここで団子を食べた。


「津島大明神」
峠を下りきったところ、右手に津島大明神の標柱。何処の有るのかと見たら何と小さな祠なのだ。京都人は立派な神社や仏閣を知り過ぎているので、どんなお社が有るのかと探してしまった。郷土を鎮めるために素盞鳴尊を祀っているとある。

津島大明神

「芭蕉句碑」
笹子沢川のてんぐ橋を渡って宿に入る。宿の中央右手、丸い石に刻まれた芭蕉の句碑がある。まだ新しいようだ。
        秣負ふ人を栞の夏野かな   芭蕉

芭蕉句碑

「脇本陣跡」
句碑の向かい辺り、広場の赤い消火栓の横に『史跡甲州道中脇本陣跡』の白い標柱が立っている。

脇本陣跡

「宿の中心部」
山に抱かれた峠の麓の小さな宿場町。ここで「お〜い!」と叫んだら宿場中の家全てに聞こえそう。でも叫んで見る勇気は無い。

宿の中心部

「本陣跡」
脇本陣の先、同じ左側の空き地に『史跡甲州道中駒飼本陣跡』の白い標柱。

本陣跡


「明治天皇御小休所跡碑」
本陣跡の左奥に『御小休所跡』の碑が立っている。

明治天皇御小休所跡碑

「甲州駒飼宿周辺案内図」
本陣跡に大きな宿の案内図がある。笹子峠からこの先の国道20号線までが描かれている。これを見ると峠からこの宿までの甲州街道が描かれている。通れるものなら道標を立てておいて欲しかった。せっかくの街道歩き、県道を下ってきた事がここに来て悔やまれる。

甲州駒飼宿周辺案内図


「宿の様子」
案内図の中の宿の家は全て屋号で書かれており、昔の宿の様子が想像出来る。このような配慮は街道歩きを趣味とする我々にとっては本当に嬉しい。きっと今もお互いに屋号で呼び合っているに違いない。

宿の様子

「萬霊塔と養眞寺」
右手に萬霊塔があり、そこを上がって行くと国宝山養眞寺というお寺がある。

萬霊塔と養眞寺

「甲州街道駒飼宿標柱と民家」
宿の右手万屋さんの前の道を左に下る。道はうんと細くなり急な下りで国道20号線大和橋西詰交差点へと向かう。

甲州街道駒飼宿標柱と民家





駒飼から鶴瀬へ


「旧甲州街道標柱」
下り坂の右手に『旧甲州街道』の標柱、旧道をたどるルートが間違っていないか確認できて有難い。

旧甲州街道標柱

「中央自動車道をくぐる」
中央自動車道の上下線の鉄橋をくぐる。

中央自動車道をくぐる

「首無地蔵」
左手に石の地蔵と石碑、石塔が幾つか立っている。これが首無地蔵。

首無地蔵

「地蔵の由来」
六部と言われる廻国巡礼僧が強盗に襲われ、胴体だけが残っていたのを村人が埋葬したが、宝永5年(1708)3月に石塔を立てて供養した。

地蔵の由来

「日影地区の碑」
坂を下りきって国道に出る手前で広い道に合流する。このあたりが日影地区と言うところで少し戻ったところに地区の碑と案内図がある。

日影地区の碑

「甲州街道周辺案内図」
『甲州街道周辺案内図』と『甲州街道駒飼宿』の図が大きく掲げられている。これは親切。

甲州街道周辺案内図

「旧甲州街道標柱」
下ってきた道を振り返ると電柱の脇に『旧甲州街道』の白い標柱。ここから上るのだよと言わんばかりに立っている。

旧甲州街道標柱


「大和橋西詰」
国道と合流するところが『大和橋西詰』の交差点。行程の区切りとJRの最寄り駅との関係から、今日はここまでとし、歩数計をリセットする。国道を右折して、戻る方向に甲斐大和駅へと向かう。大和橋を渡り、国道から左山手へ入ると村立大和小学校、諏訪神社があってその先に甲斐大和駅がある。


大和橋西詰





今夜の泊りは山梨市にあるホテルをインターネットで予約しておいたので、甲斐大和駅から山梨市駅へと向かう。15時38分発中央本線の下り、四つ目が山梨市駅、15時54分着。地元の人には申し訳ないことだが、今回の旅を計画するまで、山梨県と言えば甲府市だけが頭にあって、まさか山梨県に山梨市やJR山梨市駅が有るとは全く知らなかった。

16時15分ホテルにチェックイン、大浴場の一番風呂で今日一日の汗と疲れを流してさっぱりとする。夜はこのホテル食堂自慢のちゃんこ鍋、熱い鍋と熱燗で体力をつける。


        一日目
     38,909歩(甲州道中正味32,587歩)  ※歩数、距離共に歩数計による
     下初狩〜駒飼   23.33q(甲州道中正味19.55q)


ページ公開 2003年12月10日
ページ改良 2011年4月30日
 写真追加 2011年5月29日




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