二日目 2月4日(水)
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![]() 「朝の街道」 再び街道に戻り上諏訪へと向かう。左から来た国道と合流し上原陸橋の交差点を過ぎると、次の信号が上原八幡。朝の光が眩しいくらいの良い天気。 ![]() 「上原八幡」 丁字路の左正面、火の見櫓と左右の大木に挟まれたように注連縄を張った鳥居がある。しかし、道路に沿って金網のフェンスが張り巡らされ、正面には扉があるが閉じられていて、鳥居をくぐってお参りすることが出来ない。これも一寸珍しい。 ![]()
![]() 「タテグルミの家」 古い街道筋に出て、再び諏訪らしい民家が見られるようになってきた。右手の家は典型的なタテグルミで屋根には五角形の星型のスズメオドリが付いている。 ![]()
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![]() 「頼岳寺」 右手石段の上、大きな石柱の奥に山門のあるのが少林山頼岳寺。 解説のよると、ここは曹洞宗のお寺で、江戸時代初期の寛永8年(1631)、高島藩初代藩主諏訪頼水が開基。諏訪頼水は上社に祀られている建御名方神の直系の諏訪氏である。 ![]() 「こちらはカラーの恵比寿様」 左手にあるお宅の蔵には、今度は鯛を釣っているカラーの恵比寿様がある。丸の中にデザインされ立体的で鏝絵のようである。見ていて楽しくなってくる。 ![]()
![]() 「タテグルミの家が並んで建つ」 右手小高い所にタテグルミの家が2軒並んで建っている。 ![]() 「火燈公園」 神戸の集落に入ると右手に火燈(ひとぼし)公園がある。解説によると、御柱年の盆の十五日の夕、この先の頼重院の裏山で、鳥居形に松明を並べ、鳥居火を灯して諏訪明神へ奉納した。その山を「火とぼし場」と言う。 ![]() 「頼重院」 右手参道の奥に真新しいお堂の曹洞宗神向山頼重院がある。 解説によると天文11年(1542)このすぐ先にある桑原城で諏訪頼重は武田信玄に敗れ甲府で自害した。墓は甲府の東光寺にあるが、この地に菩提寺として頼重院を建て宝篋印塔を納めてその霊を供養した。 ![]()
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![]() 「屋根にスズメオドリと烏威し、X字型スズメオドリのある家が並ぶ」 四賀小学校入口付近の左手にある3軒のお宅それぞれスズメオドリのデザインが違う。手前の家は中に格子が組み込まれたタイプ、中の家は星型五角形のタイプ、奥の家は単純なX字型。見比べが出来て面白い。 ![]()
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![]() 「石室の中の道祖神」 街道の右手、石を積んだ祠の中に双体道祖神がある。後に石碑が有ったが何の碑かは不明。 ![]() 「双体道祖神が並ぶ」 街道の右手、小川の脇のガードレールを背に双体道祖神が並んで立っている。右手にはJRが近付いてきた。 ![]() 「細武温泉共同浴場」 右手に細武温泉共同浴場、前に大きな温泉タンクがある。 ![]() 「公民館の前の道祖神」 右手の武津公民館の前に双体道祖神、その後に大きな石と解説の碑が立っていたが何の石だか、どんないわれが有るのかは分からなかった。この道祖神にも御柱が立っている。 ![]()
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![]() 「漆喰壁の家」 いよいよ上諏訪の中心部に近付いてきた。右手山側に諏訪清陵高校。国道の左手に黒い漆喰壁の二階家がある。呉服のお店のようだ。 ![]() 「真澄の蔵元」 元町交差点は四差路になっており、国道は直進、街道は斜め右に進む。交差点の左に真澄の蔵元の宮坂醸造がある。ここの建物にも格子のあるスズメオドリがある。ここは1662年の創業、諏訪大社の宝物の真澄の鏡からその名前を取っている。店内で利き酒が出来る。 ![]()
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![]() 「宿の町並み」 左右に格子造りの町屋が並び宿場の名残を感じる。 ![]() 「貞松院」 右手に浄土宗貞松院、今は本堂の工事中で足場とシートで包まれている。ここには家康の六男松平忠輝の墓がある。忠輝は越後55万石を領して高田の城主となるが、家康や秀忠との不仲から配流の身となり上諏訪の諏訪因幡守頼永に預けられた。 ![]() 「高国寺」 その隣に有るのが日蓮宗宣妙山高国寺。 ![]() 「本金酒造」 左手には塗籠壁となまこ壁の製本所、隣には『酒ぬのや本金正宗醸造場』と壁に大きく書かれた大きな建物。お店は国道沿いにある。ここは1756年の創業で家族経営だとか。この辺り上諏訪の酒どころ、酒蔵が集中している。 ![]()
![]() 「麗人酒造」 国道を右折し上諏訪駅の方向に進む。すぐ右手にあるのが麗人酒造、木造の建物の一部に三階が乗っている。ここは1789年の創業。 ![]() 「舞姫酒造」 隣が重厚な蔵作りの店と蔵が並んだ舞姫酒造。ここは明治28年に味噌・醤油の醸造元から分家して酒造を始めたという。 ![]()
![]() 「問屋場が有ったといわれる駐車場」 右手にある諏訪中央駐車場の辺りが問屋場のあったといわれる所。 ![]() 「上諏訪町道路元標」 問屋場が有ったことを示すものや解説板など何も無いが、駐車場のフェンス際に『上諏訪町道路元標』を見付けた。元標はたいてい町の中心にあるのでこれが証拠の一つと言える。 ![]()
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![]() 「虫湯跡碑」 この交差点の右向こう銀行の角に『史跡虫湯跡』の碑が立っている。この湯は藩主や藩士が利用したと言う。右に折れた道が横町で桝形になっており諏訪簡易裁判所のところで左に折れる。 ![]() 「吉田のマツ」 かりんちゃんバスの片羽のバス停、右手デパートの駐車場の一角、ブロックの崖の上に見事な松がある。これが諏訪市天然記念物の「吉田のマツ」。 はるか高い所に解説板があり、それによるとクロマツで、樹齢は270〜300年、高島藩士吉田式部彦衛門が元禄3年(1690)から享保8年(1723)藩主忠虎の大阪城守備に随行したとき持ち帰ったもの。吉田家庭園に有ったものを昭和のはじめに甲州街道沿いに移植した。 ![]()
![]() 「一里塚跡」 左手の家と家との間に少し奥まって『一里塚跡』の碑がある。そばには『甲州道中五十二里塚』の解説板がある。これをうっかり見過ごして、だいぶ先でおかしいと気付き引き返してきた。 ![]()
![]() 「児玉石神社」 この辺りからは山裾のやや高台になったところを湖に沿って歩く形になり、JRは左下を走っている。右手、街道から少し奥まった所に『児玉石神社』の碑と、常夜灯、石の鳥居があってスギの木立がある。 ![]() 「先の宮神社」 しばらく行って街道沿い右手に石垣のあるのが『先の宮神社』。見逃してしまいそうだがこの神社の入口の溝に蓋が無い。これには謂れが有って、昔、景色の良いこの地に住んでいた祭神の高光姫命が、諏訪明神からこの地が欲しいといわれたのを拒否したため、境内から出られないようにと神社の前の川に橋を架けることを禁じられたと言う。 ![]()
![]() 「全面結氷した諏訪湖が見える」 この辺りに来てやっと諏訪湖が見え出した。湖は全面結氷しているようだ。待望の御神渡りは見られるかな? ![]() 「なまこ壁の蔵と屋根に烏威しのある家」 高木の集落になって左手になまこ壁の蔵と屋根に烏威しのある家並んでいる。ここの飾りはスズメオドリと言うよりは、松本平で烏威しと呼んでいるタイプである。絵になる風景としばらく見とれている。 ![]()
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![]() 「格子戸が美しい」 格子造りが実に素晴らしい。維持管理は大変だろうが、お宝である。何時までも残して欲しいと願わずには居られない。 ![]() 「双体道祖神」 街道の左手民家の駐車場に大きな双体道祖神、仲良く前で手を組んでいる。 ![]() 「石投げ場」 右から山が迫ってきて、街道を湖へ押し出す格好になったところが『石投げ場』と呼ばれる所で、山、街道、JR、国道、湖岸通りが狭い所に集まっている。目の下には諏訪湖博物館。名前の通りここから石を投げたら湖に届きそう。見晴らしが良く『明治天皇***』と『***石投場』の碑が立っている。ここから見た諏訪湖に御神渡りが走っている。感激。 ![]()
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![]() 「諏訪大社下社秋宮」 目の前がぱっと開け、左には駐車場、右には大きな『諏訪大社』の石柱と奥に鳥居があり神域が広がる。中山道歩きを含め何度か来たところ。とうとう下諏訪に来たのだ。 ![]() 「大きな注連縄の神楽殿」 先ずはお参りが先と鳥居をくぐる。左にカーブしながら緩やかな坂を上ると真正面に大きな注連縄が掛かった神楽殿がある。その両横から御柱が見える。今年は申年で御柱祭の年(寅と申の年、6年に一度の開催)。町のいたる所で観光ポスターを見掛けた。 ![]()
![]() 「新鶴本店の先が中山道・江戸方面」 参拝を済ませ元の街道に戻るとそこは門前町、信州蕎麦や瓦煎餅のお店が並ぶ。その先右手に塩羊羹で有名な新鶴本店。茅野産の寒天を使った素朴な塩味が絶品、明治6年の創業、この建物は幕末の志士画人天竜道人の屋敷だったとか。完歩記念のお土産に5本購入してザックに詰める。この丁字路が中山道と甲州道中の合流点で先が江戸方面、左が京方面である。 ![]() 「中山道との合流点綿の湯」 中山道との合流点、丁字路の右手に駐車場がありその奥の壁には木曽路名所図会の下諏訪宿の情景が陶板レリーフで描かれている。壁の前には幾つかの碑などがある。ここが問屋場や下諏訪三湯の一つ綿の湯が有った所。左から『甲州道中中山道合流之地』碑、『綿の湯』碑、『湯玉』のモニュメント、『綿の湯』の解説板、『中山道下諏訪宿問屋場跡』碑で、問屋場跡碑には甲州道中終点右江戸へ五十三里十一丁とあり、今回のウォークのまさに終点の印であり、歩いて来た距離が書かれている。同じ碑に左江戸より五十五里七丁、正面京都へ七十七里三丁とあり、中山道経由の江戸までと京都までの距離が書かれている。この何れをも歩いたことになる。 ![]()
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ページ改良 平成23年4月30日 写真追加 平成23年7月29日 |