甲州道中ウォーク その5



平成16年2月3日(火)   蔦木(富士見)から金沢(茅野)まで
平成16年2月4日(水)   金沢(茅野)から下諏訪まで





金沢、上諏訪、そしてゴールの下諏訪までの3宿を残して年が明け平成16年となった。寒さも本番となり日脚も短く、街道歩きには適さない時期ではある。しかし歩きたい気持ちは止むことを知らず、同じ歩くならめったに見ることが出来ない諏訪湖の『御神渡り』を見たいと言う色気が出て、そのチャンスを待った。1月31日の夕刊に『御神渡り神事』が行われたと写真入で報じられ、それっとばかりに計画を具体化、ホテルの手配をして「甲州道中ウォークその5」の始まりとなった





初日 2月3日(火)


今回は名古屋、塩尻経由で目的地のJR中央東線富士見駅まで向かう。新幹線と在来線の特急を乗り継ぐと安くなるので、その手で行く事にした。
7時23分のバスで豊橋駅へ、8時5分の新幹線「こだま497号」で名古屋へ、9時00分の中央線特急「ワイドビューしなの5号」で塩尻へ、塩尻からは11時00分の普通列車高尾行きに乗り12時02分富士見駅に到着。お〜寒い、寒い。道路には除雪した雪の山があちこちに残る。先週に積もった雪が昨日の雨で相当融けてしまったとの事。駅前の食堂で昼食をとり、街道歩きのスタイルに整えて、前回の続きの地点へと向かう。今回は歩数計の記録を忘れない事。






蔦木から金沢へ


JR富士見の駅舎」
富士見は諏訪から上ってきた旅人がここで初めて富士の姿を見たことから付いた地名で、この駅が中央線での最高地点。駅前から一旦下って国道20号線を横断し、再び上って前回の最終地点とちの木の風除林へと向かう。途中の上りのカーブには雪が残っていて歩くに難渋する。この先今日の行程はどうなるのかと一寸心配になってくる。

JR富士見の駅舎

「とちの木風除林」
強風で作物が実らないためとちの木の村が高島藩に願い出て作ったのがこの風除林で、寛政年間(1789〜1800)に植えられたもの。樹齢およそ200年のアカマツが街道の左右に49本残っている。今回はここをスタートとして下諏訪に向かう。歩数計をリセットする。

とちの木の風除林

「塚平の一里塚」
街道の右手にこんもりとした塚が見える。これが塚平の一里塚で片側の塚だけが残っている。

塚平の一里塚

「道祖神と一里塚碑」
塚の前には『重修一里塚』の碑と白い御幣が下がった注連縄が巻かれた道祖神がある。重修とは何ぞや? これまでは調べて来なかった。

道祖神と一里塚碑

「標高950m」
塚の側には標高950mを示す富士見町が立てた標高標柱が立っている。左の山にはパノラマスキー場のゲレンデが見える。

標高950m

「雪道を行く」
丁字路に突き当たるので左に迂回し、三菱マテリアルの用地の横を行く。雪が残っていて足元を気にしながら進む。

雪道を行く

「雪の八ヶ岳」
右手には雪を被った八ヶ岳が見える。寒々とした景色。

雪の八ヶ岳

「原の茶屋」
間も無く『ここは富士見町原の茶屋』の標識があり、原の茶屋の集落に入る。
とちの木村と御射山神戸みさやまごうど)村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、明和9年(1772)頃に茶屋が出来、その後高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませた。今も築地の名残が残っていると言う。

原の茶屋

「富士見公園の芭蕉句碑」
右手の少し高い所に富士見公園がある。中には多くの歌碑や句碑が有るのだが、雪のため奥までは見ず手前の芭蕉の句碑だけを見る。

        眼にかゝるときや殊再五月不二     はせを


富士見公園の芭蕉句碑


「明治天皇駐驛之所碑」
公園の先、右手に黒い大きな石碑があり、前には標高961mの標識も立っている。

明治天皇駐驛之所碑

「原の茶屋の集落」
集落の出口辺りに古い家が2軒向かい合って建っている。ここのお宅はきっと茶屋を始めた人たちの末裔に違いないと勝手に想像を廻らす。想像したり考えたりしながら歩くのも街道歩きの楽しみの一つである。

原の茶屋の集落

「屋根にスズメオドリのある家」
左の家の建築はたいそう古そうで、屋根には珍しいスズメオドリ(※屋根の棟飾りの一種で諏訪地方や松本平の切妻造りの民家に多く見られる。呼称について、諏訪地方では「雀踊り」がほぼ一般的で松本平では「雀踊り」「雀威し」「烏威し」の呼び方がある。:溝口歌子・小林昌人共著「民家巡礼」西日本編より)がある。ここのものはスズメオドリの中でも一寸凝ったタイプ、中に格子が組み込まれている。

屋根にスズメオドリのある家


「多くの石碑や石仏」
集落を出て坂を下る途中の左手に多くの石碑や石神、石仏が集められている。

多くの石碑や石仏

「国道に出る」
急坂をヘアーピンのように曲がりながら下ると国道に出る。国道沿いにも古い町並みが残っている。次の信号が御射山神戸で右に行くとJRすずらんの里駅。道路脇には雪があり、足元を気にしていると、上からドサッと雪の塊が落ちてくる。転ばないようカメラを濡らさないよう用心、用心。

国道に出る


「神戸八幡」
左、街道から少し奥まって常夜灯と石の鳥居がある。これが神戸八幡。

神戸八幡

「国道から分かれる」
右のエネオスのガソリンスタンドの前で国道から左に分かれ、少し曲がりくねりながら坂を上る。行く先には大きな欅の大木が見える。

国道から分かれる


「たくさん並んだ馬頭観音」
坂の途中、右手に馬頭観音がたくさん集められている。30体くらいは有っただろうか。路面には雪解けの水が上から流れてくる。

たくさん並んだ馬頭観音

「御射山神戸の一里塚」
坂を上りきったところの両側に一里塚がある。左の塚には樹齢300年の見事な欅の大木があり、右の塚には明治になって植えられた欅がある。

御射山神戸の一里塚

「一里塚碑と欅の大木」
左の塚の側には一里塚の石碑と917mの標高標識がある。樹齢300年の欅は近くで見るとその太さに圧倒されそう。坂を上る途中で見えていた大きな欅はこの一里塚のものだったのだ。


一里塚碑と欅の大木


「欠けた石仏」
この辺りは高台になっていて、はるか右下には国道と、川とJR中央本線が走っている。街道の右手に欠けた石仏がある。胡坐を組んで合掌しているスタイル、何仏だろうか?

欠けた石仏

「双体道祖神と庚申塔など」
途中から道が広くなって左に社宅やグランドやテニスコート、そして大きな寮のような建物が続く。セイコーエプソンの施設、金沢精和荘とある。右手先にはJR青柳の駅がある。それらを過ぎて下り坂になった所の左手に庚申塔と双体道祖神、その他に2基の石塔がある。

双体道祖神と庚申塔

「屋根に千木のような飾りある家」
坂を下って右からの国道と合流する。そこは上町公会所前のバス停。国道沿いには屋根に千木のような飾り(※スズメオドリの一種、切妻屋根の端の破風板・セキ板を棟より高くXの字形に突き出したもの:溝口歌子・小林昌人共著「民家巡礼」西日本編より)のある家がある。

屋根に千木のような飾りのある家

「特徴のある土蔵」
蔵の屋根の片方が長くその下が土間、作業場のようになっている。これは「諏訪のタテグルミ」(※蔵と住居を一つの屋根で覆った建て方:溝口歌子・小林昌人共著「民家巡礼」西日本編より)の一種なのだろうか? 次々と変わった民家の建て方や、飾りやデザインが見られ興味が湧いてくる。

特徴のある土蔵







金沢



金沢 【かなざわ】


所在地 長野県茅野市金沢
最寄駅 JR中央本線青柳駅
日本橋から 194.0q   上諏訪へ 13.3km


中山道から江戸へ下る旅人の第一の宿。
この宿には本陣と二軒の問屋が置かれ主は名字帯刀を許され世襲であった。慶安年間の初めまでは現在地の北方権現原にあって青柳宿と称していたが、度重なる水害と前年の火災で焼失したのを機に、慶安4年(1651)現在地に移転し金沢町と改称した。(金沢宿本陣跡解説より)


「金沢の町並み」
宿の両側の所々に古い町屋が残っている。国道脇の溝の上が歩道になっており溝蓋を気にしながらの街道歩きである。

金沢の町並み

「泉長寺」
宿に入ってすぐ左に泉長寺がある。ここの門前の銀杏の下に上町にあった「おてつき石」があるという。殿様の往来のときに、宿役人がこの石に手をついて宿役人である趣を言上したとか。今日は残念ながら参道が工事中で重機がいっぱいで見に行くのは止めにした。

泉長寺

「宿の中の家」
切妻平入りで間口の広い二階家、低い二階は一部が出格子になっている。屋根に煙出しなのか塔のようなものが聳えている。何をしていた家なのか? 問屋だったのかな?

宿の中の家


「宿の中心部」
金沢の信号交差点、ここで宿の道は緩やかではあるがくの字に右に曲がる。この左先の角が本陣の有った所。

宿の中心部

「明治天皇金澤行在所跡碑」
本陣跡には火の見櫓が立ち、その前に「明治天皇金澤行在所跡碑」と「諏訪町金沢村道路元標」と「金沢宿本陣跡」の解説板が有る。

明治天皇金沢行在所跡碑


「金沢宿本陣跡解説」
解説によると本陣の敷地は約4反歩あって敷地内には高島藩や松本藩の米倉などがあった。小松家が青柳宿当時から代々本陣問屋を勤めていたが、四代目で闕所断絶となりその後明治初年まで白川家が本陣問屋を勤めた。

金沢宿本陣跡解説

「連子格子と彫刻のある家」
本陣のすぐ先に、今は荒れているが茶屋だったという江戸後期の建物がある。二階が持ち出しになっていて各部に彫刻が施されていて、かつての繁栄が容易に想像できる。

連子格子と彫刻のある家


「背の低い町屋」
宿の右手には何軒かの軒の低い家が並び街道らしい雰囲気を残している

背の低い町屋

「松坂屋の看板」
理容ナカノの看板の先に、二階の袖に古い木彫りの看板が架かった家がある。看板は風雨に曝され判読しにくくなっているが、良く見ると松坂家とあり、その上にHOTELの文字、この意外な横文字にびっくりする。

松坂屋の看板

「松坂屋」
松坂屋は旅籠だった建物で、二階の手摺欄干と格子が非常に手の込んだ造りになっている。また入口の大戸も当時を偲ばせてくれる。入口正面には看板掛の小屋根の名残がある。当時の姿に復元できれば素晴らしいだろうな〜と思う。

松坂屋


「宿の町並み」
背の低い二階家が軒を並べている。車は激しく行き交うが人影はめったに見ない。

宿の町並み

「元馬宿だった家」
下町の右手にある横棟造りの大きな家は、昔は「馬宿」だったと言われている。

元馬宿だった家


「馬つなぎ石」
丸い穴の開いた馬繋ぎ石が今も道端に残っている。

馬つなぎ石

「格子が美しい」
この馬宿だった家、街道に沿って間口が広く、二階の格子が大変美しい。

格子が美しい

「二階の格子が時代を感じさせる」
いくつか朽ちかけた家が目に付く。古い家を維持管理するのは大変だろうが、このままでは勿体無い気がする。何とかならないものだろうか?

二階の格子が時代を感じさせる

「沢山並んだ石仏」
宿の道は下町で右に緩やかにカーブして、宮川の橋に到る。橋の手前右側には水神や道祖神など多くの石仏が集められている。

沢山並んだ石仏

「はりつけ場」
この石仏達の前を通って川沿いを戻るように進むと、右手、石の台座の上に木の祠と、その右に2基の石塔、左に御影石の立派な解説の碑がある。ここは「はりつけ場」と言い、この宿の本陣を勤めた小松家四代目三郎左衛門が町民の見守る中ではりつけに処せられた所。これがその供養塔と解説である。
解説によると、三郎左衛門は隣村の茅野村との山論で、家族を顧みる暇も無く寝食を忘れ町民の先にたって働いたが、延宝6年(1678)高島藩は伝馬を怠ったとのかどではりつけにし、小松家は闕所断絶となったと言う。哀れな話である。

はりつけ場


「タテグルミの蔵」
このはりつけ場の目の前にある蔵が大きな屋根で蔵を包み込んだようになっている。

タテグルミの蔵





金沢から上諏訪へ


「権現の森」
宿の道に戻り、宮川の橋を渡った次の信号が矢ノ口で、信号の先右角に小さなサワラの森がある。これが権現の森。
解説によると、この森と石祠は文化2年(1805)この宿から幕府へ提出した文書に宿持鎮守として記されており、石祠は承応3年(1654)の建立で、祭神は金山彦命とある。金山彦は鉱山の神、この近くの武田信玄が開発した金鶏金山と関係が有るのではと言われている。

権現の森


「権現の森の石祠」
中央の祠が金山彦を祀った石祠、この他にも20数基の石造物が並んでいる。

権現の森の石祠

「竜の文字と文様のある蔵」
矢ノ口信号を右に入った所にタテグルミの家があり、その蔵の部分には丸の中に龍の文字、庇の下には山形に黒い板があり、白く竜のような文様が二つ向かい合って彫られている。

龍の文字と文様のある蔵

「屋根にスズメオドリのある家」
街道は信号を左に進む。その左手に本棟造り様の家があり屋根の棟飾りに五角形のスズメオドリが付いている。

屋根にスズメオドリのある家


「寒天干しの風景」
この先で国道から左に分かれ、並行するように農道を行く。慶安年間(1648〜1652)の初めまではこの辺りに宿が有って青柳宿と言っていた。度重なる水害と前年の火災で焼失したのを機に慶安4年(1651)に現在の金沢宿に移転し宿の名前も変わった。でも今は全く何も無い。
左手から先に寒天の干し場が広がる。今はその作業の最盛期で、寒天が見事に並べて干されている。

寒天干しの風景


「かんてんのふる里」
左手の奥、宮川沿いに大きな看板があり、かんてんのふる里と大書され長野県寒天組合とある。この辺りは寒天の産地となるほど冬の冷え込みが厳しい所なのだ。この看板を見て国道に戻り左手のコンビニで暖かいドリンクを購入し小休止とする。只今3時15分。

かんてんのふる里

「御柱の立つ石祠と常夜灯」
再び国道を行く。左手に常夜灯と石の祠があり、常夜灯には天保(1830〜1844)の文字があり、祠の四隅には小さな御柱が立っている。中山道を歩いた時にも見たが、この諏訪では道祖神にも御柱が立っていた。そう言えば今年はその御柱の年である。

御柱の立つ石祠と常夜灯

「タテグルミの家」
単調に国道をただひたすら歩く。やがて左手に民家が現れ、その中にタテグルミの家が2軒ある。はじめの家は土蔵が左にあり、右にトタン壁、アルミサッシの引き違い戸とシャッターがあり倉庫か作業場の様、これを一つの切妻屋根が覆っている。もう一方の家は土蔵の右の庇が長く張り出しそこに背の低い壁を設け作業場にしているようだ。

タテグルミの家

「屋根にススメオドリのある家」
金沢に入る手前に、前にも見た棟飾り、最も簡単なスズメオドリ。この様に諏訪地方でしか見られない建て方の民家が次々に見られると、街道歩きが益々楽しくなってきた。今まで真っ直ぐ先を見ていた視線が、今はキョロキョロ左右を見回している。

屋根にスズメオドリのある家

「木舟橋」
やがて宮川が左から近付いてきて、それを木舟橋で渡る。この橋には歩道のスペースが無い。車に撥ねられないよう、帽子を飛ばされないよう用心しながら渡る。何時も思うのだが、どうして歩道のスペースを確保してくれないのか! こんな所を歩く方が悪いのか!

木舟橋


「木舟峠」
国道の上り坂をどんどん上って行ったら、その先が見えなくなった。それはそのはず、ここが頂上でこれから先は下り坂。ここが木舟峠で只今の気温の表示板がある。只今4℃。

木舟峠

「右手に霧ヶ峰」
今度は国道を快調に下る。右手遠方に夕日に輝く霧ヶ峰が見えてきた。

右手が霧ヶ峰

「板室橋」
右から左に流れる宮川を板室橋で渡る。橋の手前に国道20号線の距離表示があり東京から191q。

板室川

「常夜灯と多くの石碑」
板室橋を渡ったところ、右手に常夜灯と石碑や石仏がある。中には文化13年(1817)と読めるものがある。

常夜灯と多くの石碑

「屋根にX字型のススメオドリのある家」
最も簡単なスズメオドリ、破風板が延びて交差しているだけ。切り口が屋根と平行しているのが諏訪地方の特徴で、屋根と直角の切り口だと伊那地方の特徴だとか。こんな所にも風土が感じられてとっても面白い。

屋根にX字型のスズメオドリのある家

「タテグルミとなまこ壁の蔵」
左手にある家の蔵は新築なのか全面改装なのか、何れにしてもまだ新しい。でも造りは伝統的なタテグルミを踏襲している。白い漆喰壁と下のなまこ壁のコントラストが美しい。

タテグルミとなまこ壁の蔵

「土蔵造り風の家」
同じく左手にあるお米屋さん、二階建てで一見土蔵造り風、二階の一部が持ち出しになっていてその部分は格子と白い漆喰に二つの窓。一寸変わった建物である。

土蔵造り風の家


「明治天皇御小休所跡」
民家に見とれて歩いているうちに、中央自動車道をくぐり、茅野の市街地が近付いてきた。中央自動車道をくぐった新田中バス停近くの民家の庭先に、慶長道の一里塚跡碑があるとのことでしばらく探したが見付けることが出来なかった。この辺りから小さな切片の雪が舞い始めた。宮川交差点で国道は左の方へ街から離れるように迂回するが、街道はそのまま直進する。左手に木の柵で囲まれた『明治天皇御小休所跡』の碑がある。茅野は間の宿であった。

明治天皇御小休所跡


「三階建ての蔵」
街道沿いに味噌醸造元があり近くに三階建ての大きな古い蔵がある。きっと味噌蔵に違いない。

三階建ての蔵


「現代のタテグルミ」
右手の味噌のお店の隣に新築間もない家があり、蔵を取り込んだような造りになっている。もともと有った蔵を利用したのか、こだわってそれらしく見せた造りにしたのか? 諏訪の人の地元を愛する気持ちが伝わってくるような気がした。貧乏神神社の小旗が何本か立っている。通り過ぎたが左手におかめ神社もあった。

現代のタテグルミ

「モダンな漆喰壁の家」
二階が洋館風の漆喰壁の家、窓がとってもモダンである。

モダンな漆喰壁の家

「上川橋」
上川橋を渡って茅野の中心部に入る。この橋の手前の信号を左に行くと諏訪大社上社前宮がある。逆に右へ行きJR線路をくぐった先に上社の御柱の木落し坂がある。木落しが行われた後、この道を盛大な御柱の行列が行くのだ。

上川橋


「茅野の町並み」
上川橋を渡ると街道は緩やかに左にカーブして茅野駅前へと進む。この並びにも特徴の有る蔵が目に入る。
甲州街道から茅野駅に入る角の銀行のところを本日の行程の終わりとする。先ほどからの雪はまだちらついている。時計は16時45分、歩数計をリセットする。

茅野の町並み





今夜の泊りは上諏訪にホテルが取ってあるので、ここから電車に乗るのだが、しかし35分の待ち。17時45分にホテルにチェックイン。部屋に入ったらテーブルの上に鬼打ち豆が置いてあった。今日は節分なのだ。
ここは温泉の町、ホテルの内湯の大浴場で今日一日の汗を流してから街へ出る。駅前の全国ブランドの居酒屋に入り一人で旅情を楽しむ。いい加減に出来上がったところで、共同浴場の精進湯へ行く。閉店間際だったが番台のおばちゃんのOKを貰って無事入浴する。広い湯船を独り占め、無色透明熱くてチリチリする感じ、でもいいお湯だった。
今夜のニュースは、北朝鮮が6ヵ国協議を2月25日から北京で開催と発表。大魔神佐々木が横浜に入団。





          一日目

  28,164歩(甲州道中正味21,158歩)  ※歩数、距離共に歩数計による
    蔦木(富士見)金沢(茅野)   16.88q(甲州道中正味12.69q)


ページ公開 平成16年2月27日
ページ改良 平成23年4月30日
 写真追加 平成23年7月27日




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