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美濃路七次独歩記


みのじななつぎひとりあるき




美濃路ウォーク その2
6月17日(木)
  <その2>



稲葉


美濃路第3宿 稲葉 【いなば】


所在地 愛知県稲沢市稲葉
最寄り駅 名鉄名古屋本線国府宮駅
萩原へ 1里18町(5.9km)


稲葉宿は慶長5年(1600)頃に成立、元和2年(1615)には宿場として整備された。宿場業務は稲葉村と小沢村とで分担され、享保年間(1716〜1736)には市も認可、朝鮮通信使通行には御茶屋も建てられて繁栄したと言う。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠8軒、問屋場3ヶ所(小沢、東町、西町)、家屋336軒、人口1572人。


「稲葉宿の町並み」
宿の中に入ると両側に格子造りの家や、二階の低い家など宿場の面影を残す民家が目に付くようになる。

稲葉宿の町並み


「問屋場跡」
この辺りが小沢で、東の問屋場跡。清須宿よりは規模は小さいが、問屋場が3ヵ所もあった。東問屋場(小沢町)を原家、中問屋場(東町)を伊東家、西問屋場(西町)は原・伊東家が交代で勤めていた。

「小沢三丁目」
宿場の道幅が狭いため一方通行が行われている。この小沢三丁目の酒屋さんのある信号は西(左)行の一方通行。その先の宿場のメイン通路が東行の一方通行となっている。

小沢三丁目


「稲葉宿本陣跡の碑」
宿場の道は次の通りに突き当たる。その正面は愛知県尾張農林水産事務所一宮出張所で、そこの生垣の間に大きな『稲葉宿本陣跡の碑』が立っている。

稲葉宿本陣跡の碑


「宿の民家」
T字路で左に曲がると左手が脇本陣跡、その向かいに高札場跡、その先宿の道が少し右に折れる手前、右手に東町の中問屋場跡がある。その間左右にそれらしい町屋がある。中でも右手山田文三邸や、その先左手の山田祐一郎邸は豪邸である。

宿の民家


「山田祐一郎邸」
今の稲葉宿の中心部とも言うべき壮大な建物で切妻平入り二階建て、一階は格子造りで二階は白い塗籠めで、虫籠窓がある。街道を覗くための小さな出格子窓もある。

山田祐一郎邸


「宿の商家」
その先左手、低い二階家には袖壁があり出格子で、壁は黒い漆喰で塗られている。隣の造り酒屋は背の高い二階家で、レトロな看板が面白く、その先には蔵も見え、変化に富みながらも町並みとよく調和している。

宿の商家、レトロな看板


「問屋場跡」
宿の中ほどの右手にある格子造りの家が東町の中問屋場跡。軒下に大きな問屋場跡の石碑が有る。

問屋場跡碑


「宝光寺」
問屋場の先に有るのが紅葉山宝光寺。

宝光寺


「津島道道標」
その向かいに円柱に文字が彫られた津島道道標、
          右つしま道 三里
ここから南へ津島道が分岐していた。

津島道道標


「赤い郵便ポストと民家」
更に宿は続き、左右に古い町屋が残り、目を楽しませてくれる。二階建てで一階が格子造り、二階は塗籠で虫籠窓の、スケールの大きな家が何軒かある。その中で西町の赤い郵便ポストのある家は被写体としては最高である。また、屋根の棟瓦の上に大きな鐘馗様が乗っている家を見かけた。魔除けか災難除けか。

赤い郵便ポストと民家






稲葉から萩へ

「ノウゼンカズラ」
宿の西の外れが三宅川、はえ橋を渡って宿を出る。稲葉口の交差点で右に曲がる。右手には幼稚園、可愛いバスが停まっている。その先Y字路を左に進む。家の庭先から街道へノウゼンカズラが伸びオレンジ色の綺麗な花を咲かせている。

「西尾張中央道石橋交差点」
生垣のある町並みを過ぎると広い道の西尾張中央道に出る。ここで美濃路は消滅する。暫らくその中央道を北へと進み、石橋交差点で左へ曲がる。稲沢中島水道企業団地に突き当たるので右に折れる。ここからが再び美濃路となる。小さな小川(用水か)を越えると一宮市に入る。

西尾張中央道石橋交差点


「中島宮」
直進するとやがて広い道に出る。ここで左に折れ広い道を進むと間も無く右手に常夜灯と石の鳥居、その前に『中島宮』の背の高い石柱。お社はこの先萩原町中島にある。勝手な想像だが・・・倭姫命が天照大神を鎮座する所を探して神鏡を奉じて、笠縫邑から近江、美濃、伊勢の国へと廻られた。その中に尾張国中島宮が出てくる。これに何らかの関係があるのか?

中島宮


「火の見櫓」
右手に背の高い火の見櫓がある。何とも懐かしい風景。足元には一宮市消防団萩原分団と書かれた器具庫がある。

火の見櫓


「光堂川の高木橋」
後から来た軽乗用車が横に停まり、出てきた中年の婦人が「市役所の方ですか〜?」の一声。これにはびっくり、ここの市役所の人は地図を片手に、ナップザックを背負い、デジカメを首からぶら下げて歩いているのだろうか? 流れが全く止まった光堂(ひかるど)川の高木橋(旧光堂橋)を渡る。

「古い民家」
左手に古い農家のような建物、黒い大きな門扉が目立つ。

古い民家


「題目碑」
続いて右手にも立派な門の屋敷があり、その前に題目碑が立っている。側面に文化3年(1806)の文字。近くで畑の手入れをしていた年配の男性が鎌を片手に、親切に解説をしてくれるのだが・・・訛りがあって殆どが聞き取れない。要はこの題目碑は通行の邪魔になって移動した。これと同じようなものが他にもある。市川房枝さんは萩原宿近くの出身である。などなど。ご親切にありがとう。

題目碑


「高木の一里塚跡碑」
右手「****パン」の看板のお店の手前、空き地の奥に『一里塚址』の碑がある。宮から6里目。気を付けていないと見逃してしまいそう。

高木の一里塚跡碑


「高木神社」
左手に石の鳥居の高木神社。祭神は佐曽良姫で、この神様は開拓の時に現れる神様だとか。お祭は体育の日、子供の獅子が出て各家庭を回る。

高木神社


「ノコギリ屋根の毛織物工場」
左、右、左と曲がって国道155号線の串作の交差点に出る。その手前に木造洋館風の事務所とノコギリ屋根の毛織物工場がある。昔よく見たノコギリ屋根、最近は殆ど見かけなくなっていただけに、懐かしさが込み上げてきた。織機の音が聞こえる。さすがは尾西、毛織物の町、古い美濃路とは又一味違う風土を感じた。

歩道橋で国道を渡り、その先線路を渡って左に行くと名鉄尾西線萩原駅。今日の行程はここで終わることにする。

ノコギリ屋根の毛織物工場



駅へ寄らず、このまま直進すると萩原商店街で、その先が萩原の宿となるのだが、続きは次回のお楽しみとしてここから帰路に付く。15時50分の名鉄尾西線新一宮行きに乗車、新一宮で16時18分の名古屋本線の特急に乗り換え、新一宮のホームで少しの時間待ち、風が通って汗した体が爽やかになる。豊橋でJRに乗り換え、家内のお迎えを受けて無事に我家へ。

今回の美濃路は予想以上に良かった。中でも稲葉の宿は見所が多く、いろいろな町屋を楽しむ事が出来た。次は起で木曽川を渡り、長良川を渡って墨俣へ、揖斐川を渡って大垣へのコース。木曽三川の大河を渡るのだが、昔は命懸けだった。さて今はどんな旅になるのだろうか? 早速コースの予習を始めなきゃ。

今朝のニュース、参院選313人立候補準備、2大政党化進み少数激戦。


今日歩いた記録
     29,073歩(美濃路正味26,960歩)
     17.79q (美濃路正味16.17q)
     1,304kcal(美濃路正味1,191kcal)

今までの累計
     65,077歩(美濃路正味56,459歩)
     39.38q (美濃路正味33.86q)
     2,842kcal(美濃路正味2,451kcal)


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