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美濃路七次独歩記

みのじななつぎひとりあるき



美濃路ウォーク その4

8月12日(木)
  <その2>




大垣


美濃路第7宿 大垣 【大垣】

所在地 岐阜県大垣市
最寄り駅 JR東海道本線大垣駅
垂井へ  2里24町(10.5q)

美濃路7番目の宿場。戸田氏十万石の城下町。美濃路中最大で、家屋902軒、人口5,136人、本陣1軒、脇本陣1軒、問屋場一軒、旅籠11軒。水の豊かな宿場で、松尾芭蕉「奥の細道」結びの地としても有名。

「美濃路名古屋口御門跡」
伝馬町の次の信号からは交通量が少し減り、水門川を渡るところで道がわずかに曲折する。その左手公園の前の歩道に標石が立っている。ここが大垣城下への入り口で、名古屋口と言われて東惣門が建っていた。

美濃路名古屋口御門跡


「水門川」
川はここから西へ、そして大垣城を廻るように南へと流れを変え、船町から奥の細道結びの地、住吉灯台へと流れてゆく。この区間は川そのものを公園化し水に親しめるようになっている。

「稲荷神社」
『美濃路名古屋口御門跡』の道を挟んだ向かいには稲荷神社があって、信者が大勢でお参りをされていた。街道はここで左に折れて南へと向かう。水門川とは逆に大垣城の東から南を迂回するように進む。御城下を通る宿場の道はご多分に漏れず曲折するが、ここは岡崎の二十七曲がり程ではないが、名古屋口から京口までの間で10の曲がりがある。

「二番目の曲がり角」
一筋目突き当たりに赤い郵便ポストのあるところで右に曲がる。これが一番目の曲がり。本町商店街のアーチのある道になり、ここも一筋目で左に曲がる。これが二番目の曲がり。この南北に走る道が脇本陣のあった道。

「脇本陣跡の町並み」
宿場の道は綺麗に敷石が敷かれ整備されており、すぐにそれと分かる。

「美濃路大垣宿脇本陣跡」
右手に煎餅屋さんがあり、その前に郵便ポスト、その脇に『美濃路大垣宿脇本陣跡』の石柱が立っている。この辺りには旅籠や商家が並び賑わっていた所である。

美濃路大垣宿脇本陣跡


「田中屋煎餅総本家」
角の煎餅屋さん。昔ながらに一枚ずつ手焼きされている様子が街道から見える。

田中屋煎餅総本家


「蔵を利用したお店」
左手には蔵を生かしたお店がある。

「三番目の曲がり角の本町道標」
広い道、県道を信号で渡った先、一筋目の左向こう角に『左江戸道・右京道』と刻まれた道標がある。文政9年(1826)に建てられたものを昭和48年に復元再建したと言う。隣には『この通りは旧美濃路です』と書かれた標柱が立っている。ここで右に曲がる。これが三番目の曲がり。続いて一筋目で左に曲がる。これが四番目の曲がり。

本町道標


「五番目の曲がり角の問屋場跡」
南へ二筋行った右角に『美濃路大垣宿問屋場跡』の標石が立っている。周りにはノウゼンカズラの濃いオレンジ色の花が沢山咲いていた。ここが五番目の曲がり、ここで右に曲がる。

問屋場跡


「手作りの宿場案内」
この角の家、シャッターが下りていたので何屋さんか分からないが、この大垣の宿場や美濃路についての手作りの説明や地図、見取り図などが外壁一面に掲げられている。

「明治天皇行在所跡碑」
西へ進むと、この辺りが竹島町。右手に白い塀を背に『史跡・明治天皇行在所跡』の標石と解説板、松等の植え込みがある。ここが大垣宿本陣跡。明治11年(1878)天皇巡幸の折りこの本陣に宿泊された。

明治天皇行在所跡碑


「竹島会館の芭蕉句碑」
この奥が竹島会館でその前庭に芭蕉の伊吹塚がある。
     其のままよ月もたのまし伊吹山   桃青(芭蕉)

竹島会館の芭蕉句碑


「竹島会館と本陣跡の看板」
建物の玄関に『竹島会館』『美濃路・大垣宿・竹島本陣跡』の看板が架かっている。ここが大垣宿の本陣のあったところ。

竹島会館と本陣跡の看板


「垣羊羹の槌屋」
大垣駅前へのバス道、県道57号大垣停車場線を渡って南に左折、これが六番目の曲がり、バス通りの左手には、街路樹で妨げられて良く見えないのだが、大きく立派な町屋がある。一筋目を西へと右折する。これが七番目の曲がり。この道の先右手に垣羊羹の槌屋(つちや)がある。この店は宝暦5年(1755年)薩摩義士による宝暦治水工事が完成した翌年の創業というから相当古い。柿羊羹は四代目が天保9年(1838年)に創製。竹の容器が使われるようになったのは、五代目の明治29年(1896年)からと言う。屋根に上がった看板が古そうで凝った物なのだが、よく見ると『KAKIYOKAN』のローマ字が入っていた。お土産にと買ってゆく。

柿羊羹の槌屋


「飯沼慾斉邸跡」
槌屋を出て次の道の所から道幅が広くなる。左手の歩道上に『史跡飯沼慾斉邸跡』の標石がある。どう言う人物か帰ってから調べてみた。幕末期の植物学者。伊勢亀山の豪士の子、美濃国大垣の医者飯沼長顕に学び、後京に出て小野蘭山に師事本草学を修める。近代植物学に貢献、顕微鏡を本格的に使った最初の人、著書に「草木図説」がある。標石を過ぎて次の道を南へ左折、これが八番目の曲がり。用水を渡って次の道を西へと右折する。これが九番目の曲がり。右手にはトイレや観光ボランティアガイドセンターがある。

「十番目の曲がり角の船町道標」
水門川沿いの道に出る。この辺りから船町。右手川沿いに背丈を越える円柱状の道標がある。上には梵字が彫られ、その下に『右京みち・左江戸道』とある。文政年間(1818〜1830)の建立。この道を右へ行くと市役所。ここを左に曲がり水門川沿いに行く。これが最後、十番目の曲がりである。

船町道標


「奥の細道むすびの碑」
水門川の左岸に『住吉公園』の碑と『飛騨・美濃さくら三十三道の地・奥の細道むすびの地』の標石が立っている。

「奥の細道むすびの地記念館前の芭蕉句碑」
水門川を渡った右手に奥の細道むすびの地記念館(総合福祉会館)があり、その庭に芭蕉句碑がある。
     ふらすとも竹植る日はみのと笠   芭蕉

奥の細道むすびの地記念館の芭蕉句碑


「四季の広場」
記念館の北側には「四季の広場」がある。かつて大垣城の外堀だった水門川には、デザインが異なる橋が20以上架かり、錦鯉が泳ぐ。また、川沿いには季節の自然が楽しめる「四季の路」や、「四季の広場」などが整備されている。

四季の広場


奥の細道文学碑
元に戻って水門川の左岸を下る。川沿いにはいろいろな碑などがあり、それを見て楽しむ。細くて背の高い碑が奥の細道文学碑で、碑面には奥の細道のむすびの章の一節が刻まれている。
     駒に助けられて大垣の庄に入れば・・・

如行霧塚」
次に有るのが如行の霧塚。如行は大垣藩士の近藤源太夫で、この家に人々が集まって芭蕉の無事を喜びあった。
     霧晴ぬ暫ク岸に立給え   如行

如行霧塚


「芭蕉ゆかりの句碑めぐり案内」
この大垣は奥の細道結びの地であることから、芭蕉ゆかりの句碑が市内に多くある。その句碑めぐりのための案内が地図と写真入りで詳しく示されている。

「住吉橋」
赤い手摺と欄干に疑宝珠が乗った木造の橋が住吉橋。川と両岸の桜並木の中でその赤い色がひときわ鮮やかに映える。

「芭蕉送別連句塚」
二つの石を跨ぐようにあるのが連句塚。大垣を離れて伊勢に旅立つ日、芭蕉は友と送別の連句のやり取りをした。芭蕉をひとときでも留めようとする如行の句に対し、芭蕉は別れを惜しみつつ伊勢二見への新たな旅の決意を示していると言われる。
     秋の暮れ行く先々は苫屋かな  木因
     萩にねようか荻にねようか    芭蕉
     霧晴ぬ暫ク岸に立給え      如行
     蛤のふたみへ別行秋ぞ      芭蕉


芭蕉送別連句塚


「住吉灯台」
船町港は大垣と桑名を結ぶ水門川の川港で、江戸から明治にかけて交通の要衝として栄えた。そのシンボルの住吉灯台は貞享2年(1685)頃の建造。高さ8m、木造寄棟造り、上部に油障子をはめ込み、灯火を入れ、港の標識と夜間の目印としていた。

住吉灯台


「船町港跡」
港には川舟が1艘浮んでいる。このような舟が活躍して水門川から揖斐川、そして伊勢や桑名へと結び、舟運により大垣は経済都市として発展した。じっと見詰めていると荷の上げ下ろしに忙しく働く人々の様子が想像の中で動き出す。

「住吉神社」
川沿いに赤い鳥居の住吉神社がある。この神社はもちろん海上の守護神である。

住吉神社


「住吉灯台、船町港跡の看板」
水門川の左岸からバス通りの県道31号岐阜垂井線の高橋を渡って、水門川の右岸に出る。ここを今回の行程の終わりとし歩数計をリセットする。街道歩きはここまで。
これからは水門川の右岸を見ながら帰路につく。橋からすぐの所に『住吉灯台、船町港跡』と書かれた絵図と解説があり、脇には正面に『奥の細道結びの地』、側面に『芭蕉生誕三百六十年記念2004年』と書かれた看板がある。

「史跡奥の細道むすびの地碑と芭蕉と木因像」
『住吉灯台、船町港跡』の看板の隣(上流側)に『史跡奥の細道むすびの地』の石碑があり、横に大きなステージ状の台座に伊勢へ旅立つ芭蕉を見送る木因の像がある。台座には『芭蕉翁と木因翁』とある。

史跡奥の細道むすびの地碑と芭蕉と木因像


木因俳句道標
芭蕉と木因の像の先に『木因俳句道標』がある。
     南いせくわなへ十りざいがうみち   木因

木因俳句道標


「蛤塚」
続いて四角い石に丸く掘り込んだ中に、奥の細道結びの句が彫られている。
     蛤のふたみに別行秋ぞ   芭蕉


蛤塚
この句は通常『ふたみに』であるが、『ふたみへ』となっているのが初案だと言う。



木因白桜塚
続いて大きな自然石に彫られているのが『木因白桜塚』と呼ばれるもの。
     惜しむひげ剃りたり窓に夏木立   白桜下(木因)

木因白桜塚


「水門川と住吉灯台」
この辺りから川べりに降りて住吉灯台を眺めると、まさに大垣の観光絵葉書のようである。住吉橋の赤い影を落す水門川には川舟が浮び、繁る桜の緑の葉の間から、玉石で積まれた台座から高く聳える住吉灯台が見える。いろいろな本や資料でお目にかかる風景である。

水門川と住吉灯台


田三反句塚
住吉橋の先に有るのがやはり大きな自然石に彫られた田三反句塚
     隠家や菊と月とに田三反   芭蕉

「美濃路京口御門跡」
先に渡った記念館への橋の近くで『美濃路京口御門跡』の標石を見付けた。大垣の宿場は名古屋口御門からこの京口御門までの間にあった。

美濃路京口御門跡




今回の美濃路ウォーク<その4>では墨俣から大垣までの街道歩きの楽しみと、大垣での奥の細道ゆかりの句碑めぐりの二つの楽しみを味わう事が出来た。一時期真剣に奥の細道を歩こうと資料を集め検討したことがあった。今でもその気は無くしていないが、この結びの地で芭蕉の足取りを思うとまたその心が疼いてくる。

見落としたところが無いか確認しながら俵町まで戻って、そこからバスで大垣駅へと向かい、大垣発16時40分のJR東海道本線で帰路につく。

今朝のニュース、高裁統合交渉認める。UFJ・三菱東京きょう基本合意。アテネオリンピック、女子サッカー白星発進、スウェーデンに1対0。

     今日歩いた記録
     27,576歩(美濃路正味21,714歩)
     16.52q (美濃路正味13.02q)
     1,240kcal(美濃路正味996kcal)

     今までの累計
     123,764歩(美濃路正味103,720歩)
     74.55q (美濃路正味62.20q)
     5,445kcal(美濃路正味4,569kcal)



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