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伊勢参宮街道独歩記

いせさんぐうかいどうひとりあるき



伊勢参宮街道ウォーク その3

平成17年7月23日(土) <その2>



市場庄から松阪へ

「格子戸の町並み案内」
左手に大きな『格子戸の町並み案内』の看板がある。それには伊勢街道の久米、市場庄、六軒までの街道地図に住宅が記され、屋号が書かれている。この先からが久米の集落である。この看板、伊勢へと向かう旅人にあっては、ここの場所より六軒の入口に有った方が興味を持てて有り難いと思うのだが・・・。

格子戸の町並み案内


「道標と行者堂、庚申堂、山の神など」
やがて街道は曲尺手のように左に、右にと曲がる。その突き当たりに『左さんぐう道』いおちかんのん』の道標、行者堂、庚申堂、嘉永5年(1853年)の常夜灯、山ノ神2体が並んでいる。

道標と行者堂、庚申堂、山の神など


「舟木家の塀」
街道は田圃の中から集落に入り、左手に立派な塀が現れる。これは南北朝時代から続く舟木家の武家屋敷で藤堂藩の城代家老や御殿医を務めたという家柄。

舟木家の塀


「舟木家の長屋門」
左に回りこむと文政年間(1818〜1830)に作られた長屋門がある。なまこ壁の堂々としたもので、左右に出格子の窓があり、入口の上には家紋が彫られている。そこには注連縄かけられ『笑門』の木札が付けられている。

舟木家の長屋門


「庚申堂」
再び曲尺手のように左に、右にと曲がる。その始めの曲がりの右手木の祠の庚申堂がある。この辺りで後から自転車に乗った中学生が来て、追い越しざまに「こんにちは〜」と声を掛けてくれた。このように郊外を歩いていると、小学生や中学生、お年寄りなどが挨拶をしてくれる。都心では有り得ないことだけに、とっても爽やかで嬉しいものだ。

庚申堂


「古川水神遥拝所と常夜灯」
街道の左手に万延2年(1861年)建立の常夜灯があって、その奥に祠と石柱が立っている。石柱には『古川水神遥拝所』とある。御嶽山や伊勢神宮の遥拝所などは聞いた事があるが、このようなのは一寸珍しいのではないか。

古川水神遥拝所と常夜灯


「国道23号線をくぐる」
左から近付いてきた国道23号線をくぐる。

国道23号線をくぐる


「百々川の橋本橋の常夜灯」
百々川に架かる橋本橋を渡ると、左手に常夜灯がある。これは江戸日本橋室町紅林氏が嘉永5年(1852)に建てたもので、正面に丸の中に久の字と紅林氏が彫られている。

百々川の橋本橋の常夜灯


「JR紀勢本線船江踏切」
間も無く踏み切りに差し掛かる。これが船江踏切、丁度そこへ電車が来た。左が松阪、右はすぐ先で名松線と紀勢本線に別れている。

JR紀勢本線の船江踏切


「船江の薬師寺」
踏切を渡った先、右手にお寺が見える。これが船江の薬師寺と言われる天台宗のお寺、利生山延命院薬師寺で、本堂は承応2年(1653)の建立、街道からは仁王門が見える。この辺りから松阪に入る。

船江の薬師寺


「曲尺手を曲り宿の道へ」
街道の道が斜めに進み、曲尺手のように左に曲がる。この間幾つか道路を横切るので、これで正しいのか一寸不安になってくる。

曲尺手を曲り宿の道へ


「街道の左右に虫籠窓のある家」
街道の左右に、一階が格子で二階が虫籠窓の家があり、道が間違っていないかの不安が少し解消される。

虫籠まどのある家


「古い家並み」
二階が低く袖壁を持った家が何軒か並び、宿場らしくなってきた。川井町で、昔はこの辺り松阪の北の入口、「酒楼妓院軒を並べ弦歌湧くが如く遊客群集す」と言われたほど茶屋や娼家があって賑わったという。

古い家並み


「なまこ壁の蔵と並ぶ虫籠窓のある家」
左手になまこ壁の蔵があり、その先には袖壁、虫籠窓のある金物店が見えた。ここは以前「探訪・日本の町並み」の目的でこの町を訪れた時に写真を撮ったので鮮明に記憶している。これでこの道が、間違いなく街道で有るとの確信を持った。

なまこ壁の蔵と並ぶ虫籠窓のある家




松阪宿

「松阪大橋」
朱塗りの手摺、欄干に擬宝珠のある橋が見えてきた。これが阪内川に架かる松阪大橋で、ここから松阪の宿に入る。

松阪大橋


「商人の館」
橋を渡るとすぐ左手に卯建が上がった大きな商家があり、前には犬矢来がある。これが『松阪商人の館』として解放されている旧小津清左衛門住宅。江戸で紙や木綿を手広く商いしていた豪商、小津清左衛門の邸宅で、千本格子と虫籠窓のある質素な外観からすると意外なほど広い屋敷内には、二つの土蔵も残り「江戸店持伊勢商人」の暮らしぶりが偲ばれる。展示品の中には千両箱ならぬ万両箱もある。

商人の館


「三井家発祥の地」
白い壁に囲まれた重厚な門は三井家発祥の地。その名を世界に轟かす三井グループも松阪の豪商から生れた。創始者三井高利が延宝元年(1673)に、後の三越である越後屋を江戸に開店させた。「店頭販売」や「現金掛け値なし」の商法は江戸商人の度肝を抜き、大成功を収め、江戸で儲けた金は故郷松阪へ持ち帰り、商いの町・松阪を築いた。一筋南の魚町には江戸木綿問屋の長谷川邸がある。

三井家発祥の地


「二階に虫籠窓と出格子のある家」
街道の右手には二階に虫籠窓と出格子があり袖壁のあるお店がある。近代化される町の中にあってこのようなお店が現役で働いているのは良いものだ。

二階に虫籠窓と出格子のある家


「まちの駅、寸庵」
左手には、まちの駅松阪「寸庵」がある。約100年前に建築され、呉服商『亀田屋』として昭和初期まで営業していた片桐邸の建物。市内の歴史や観光案内を行っており、無料休憩所としても利用できる。

まちの駅、寸庵


「和田金」
大手通の交差点から道幅が広くなり、街の中心街となる。左手には松阪牛の和田金のビル。丁度お昼時になったのだが、とてもこんな店には入れない。その隣が400年の歴史を持つ和菓子『老伴』の柳屋奉善。この辺り中町に本陣があったのだが、その跡を示すものは何も無い。

和田金


「道標」
駅前から来る道との交差点右向かい(東南)角、薬局の前に大きな道標がある。ここが日野町の追分。道標には『右わかやま道』、『左さんぐう道』とあり、交差点を左に行くと松阪駅。直進するのが伊勢参宮街道。右に行くのが旧和歌山街道である。

道標


「古い家と新しい店とが混在」
国道42号線との交差点が愛宕町。この左に行くと愛宕山竜泉寺があり古田織部の墓がある。この愛宕町は宿の東の出口で、西の川井町と共に紅灯を競ったと言われる。ここでら適当な店を見付け昼食をとる。

古い家と新しい店とが混在


「青春館」
左から来る道と三角公園のところで合流し垣鼻町になる手前、右手に『小津安二郎青春館』がある。表は昔の映画館のような造り。『秋刀魚の味』、『浮草』、『東京物語』、『父ありき』、『生まれてはみたけれど』の手書きの映画の看板が掛かっている。小津安二郎監督が青春時代の10年間を松阪で過ごしたことから、小津の青春時代を偲ばせる物や写真・資料などが展示されている。

青春館




松阪から櫛田へ

「出格子のある塀」
左からの道と合流し南へと進む。右手に街道の往来を覗き見することが出来る出格子の窓が付いた黒塀がある。ここ垣鼻町は宿の出入り口で愛宕町と並んで歓楽街であったと言うが、今では当時の様子を想像することが出来ない。

出格子のある塀


「名古須川の里中橋」
街道を南へと進むと、やがて道は二又に分かれる。その右手をとると名古須川の里中橋を渡る。静かな街道にクラシックなコンクリートの橋が良く似合う。

名古須川の里中橋


「信楽寺の閻魔堂」
橋を渡ると右手に、信楽寺の閻魔堂がある。普照山信楽寺は、天台宗真盛宗の古刹で、境内に面白い形をした旧本堂の鬼瓦が保存されている。

信楽寺の閻魔堂


「神戸神社」
閻魔堂のすぐ先、左手に神戸神社がある。昔は三宝荒神社で、垣花村の氏神だったとか。このお宮の詳しい由緒は分からないが、名前からすると伊賀にある穴穂宮の神戸神社と関係があるのかもしれない。

神戸神社


「妻入りの家」
この辺りにも妻入りの豪壮な民家が散見できる。

妻入りの家


「金剛川の金剛橋」
金剛川の金剛橋を渡る。この道中、真夏であるせいでか目を楽しませてくれる花々には余りお目にかからなかったような気がする。キョウチクトウ、サルスベリ、フヨウ、・・・、でも、暑さのせいで見ていても頭に入らなかったのかも。

金剛川の金剛橋


「常夜灯」
やがて右手、加茂川に架かる橋の袂に常夜灯がある。

常夜灯


「格子造りの家」
四ツ又の集落に入ると左手に格子造りの家がある。

格子造りの家


「JR徳和駅と踏切」
踏み切りに差し掛かる。踏切の右手に自転車がいっぱい置いてあると思ったら、そこがJR紀勢本線徳和駅で、ホームの上を道路が跨いでいる。

JR徳和駅


「常夜灯」
左に大きな常夜灯がある。その前に徳和小学校児童会が調査・作成した常夜灯の解説が立てられている。『私がいつも通っている参宮街道に、大きな石でできた物があります。あれは、いったいなんだろうなあと思ったので調べてみようと思いました。・・・』

常夜灯


「野仏」
左の田圃と用水の間に野仏があり、供えられた花が茶色く枯れていた。これは女人供養塔だとか。

野仏


「格子造りの家」
左手に集合住宅があり、それを過ぎると再び落ち着いた格子造りの家が目に入ってくる。

格子造りの家


「従是外宮四里」
左手に『従是外宮四里』の道標がある。弘化3年(1846)の建立。この辺りは上川町、外宮まであと4里、今までは道しるべで、左とか右とかを指していたが、今度は四里と具体的な距離が出た。いよいよ伊勢が近付いてきた。

従是外宮四里


「格子造りの家並み」
右上の高台に松阪商高のグランドを見て過ごし、豊原町に入る。右手には平入り格子造りの家が並び落ち着いた街道風景が見られる。左から国道23号線が近付いてきて櫛田川の手前で交差し櫛田川の土手に至るのだが、時間の都合、次回の行程などから今日はここまでとし、近鉄山田線の櫛田駅から引き上げる事とする。

格子造りの家並み




午後3時で切り上げて近鉄山田線櫛田駅へと向かう。松阪まで2駅の切符を買ってホームに入ったら、旨い具合に電車が来た。およそ30分に1本の普通電車が・・・。ラッキー! 15時11分櫛田発、松阪ではJRの快速「みえ16号」に乗り換える。ホームの洗面で、汗で塩の吹いた顔を洗い、売店でお土産の『老伴』を買っていたら列車が来た。これも殆んど待ち時間無し。15時25分発で名古屋へ向かう。冷房の効いた車内で火照った身体を冷やす。実に気持ちが良い。名古屋での東海道線への乗換も、豊橋での乗り継ぎも、待ち時間が無かった。今日の帰りは何と順調に来たことか! こんな日は気分が爽快である。

今日のニュース、朝刊では「エジプトのリゾート地で同時多発テロ、死者83名」。夕刊には「東京で震度5強の地震、帰宅の足が大混乱」。



      今日歩いた記録
     32,062歩(伊勢参宮街道正味29,302歩)
     19.23q (伊勢参宮街道正味17.58q)
     1,407kcal(伊勢参宮街道正味1,293kcal)

      今日までの累計
     102,020歩(伊勢参宮街道正味90,462歩)
     61.17q (伊勢参宮街道正味54.26q)
     4,387kcal(伊勢参宮街道正味4,016kcal)


ページ公開 平成17年8月8日
ページ改良 平成23年4月30日


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